#91 お醤油と、サザエさんと、皇太子殿下と
「食べ物の恨みは恐ろしい」と言う。僕もそうで、小学生の頃に、最後の一杯のグレープ・カルピスを友だちのお母さんに飲まれたこと、布団屋の知り合いが家に来た時、水羊羹の一番美味しいところを父に取られたこと、今でもよく覚えている。今日はそんな食べ物の話のうち、「お醤油」に注目したい。
健康のためには薄味
「健康のためには薄味」はその通りで、塩分の摂りすぎはよくない。小さい頃、僕の育った家庭ではこの「薄味」が徹底されていた。しかしなぜか、「塩」を控えることはあまり注目されず、目の敵にされたのは「お醤油」。焼き魚やほうれん草のおひたしにお醤油をかける時、「ほんのちょっとだけだぞ!」と父に厳しく言われたことを覚えている。
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お醤油 > ガソリン?
父は昔よくこう言った。
当時は「父の言うこと=正義」だったので、僕は小学校で友だちにそれを言って回った、「知ってるか?醤油はガソリンより体に悪いんだぞ!」。先生にも話したと思う。当時の学校教育では、先生はそれを否定してくれなかった。今の先生は、ちゃんと否定できるだろうか?
一応科学者(の卵)なので、思い込みはいけないと思い、調べてみた。
科学的に決着がついた。ガソリンの方が三倍ほど、体に悪い。例えとして誇張して言ったのだとは思うが、子どもにはそんなことは分からない。
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サザエさんと皇太子殿下
その後、納得の行かない内容のテレビ番組を二つ見た。紹介したい。
一つは、「サザエさん」だ。ある回で、ピクニックに行くというサザエさんが「お醤油味」のおにぎりを持っていくシーンがあった。僕はすぐに父に言った。
父は特に何も言わなかった。一度「お醤油味」の茶色いおにぎりが食べてみたいと思った。クックパッドには、「醤油おにぎり」だけでレシピが843もある!
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次は皇太子殿下だ。といってもその頃はまだ昭和なので、昭和の皇太子殿下は、今の上皇陛下だ。醤油の名産地を訪ねて、小さなお皿(お刺身を食べる時に使うようなお皿)で、名産のお醤油を召し上がった、というニュースだった。何かを食べる時に使ったのではなく、お醤油だけを召し上がった画像だった。
すぐまた父に言った。
父は特に何も言わなかった。幼心に、父の言う「お醤油はガソリンより体に悪い」は間違いではないのかと思い始めたのは、その時だった。
大学進学後の衝撃!
時代は一気に10年以上進み、大学時代。とある飲み会で、同学年の友人が、出てきた料理に「どばっと」お醤油をかけた。その時に僕がどういう行動に出たか、分かるだろうか?
とにかく「醤油はかけすぎるな!」と言われて育ったので、僕は飲み会の場で周囲をキョロキョロした。意味が分かるだろうか?それは、「父親が見ていて、叱られないかどうか」を無意識のうちに確かめたのだ。おそるおそる、醤油たっぷりのその料理(何かは忘れた)を食べると、「こんなに美味しいものはない!」と思った。お醤油たっぷり、大学進学で一人暮らしするまでできなかったこと……自由の味がした!
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今でも、キョロキョロ
実は今でも、「薄味派」だ。料理上手な妻のおかげで、いい出汁(もっぱら茅乃舎の出汁を使っている)を使えば、塩や醤油はそれほど使わずとも、素材の味が楽しめる。それでも、幼少期に刻まれた「お醤油へのあこがれ」は消えない。
先の投稿「#69 最後の晩餐で食べるものは、2つ決めた」で、僕がこの世で最後に食べたいものは「ちくわの磯辺揚げ」で、それには「お醤油をたっぷりかけて」食べたいと書いた。僕はうどん店の厨房で調理のアルバイトもしていたので、天ぷらを盛り付ける時に使う「天紙」を汚すような食べ方は品が良くないと知っている。
しかし、「ちくわの磯辺揚げ」を食べる時は、マナーや品のよさは横において、天紙が真っ黒になるまで、お醤油をたっぷりかけて食べる。美味しいからだけではない、自由の味がするからだ。
これからも、年数回は
健康診断では、ほぼ全項目AかBをもらっている。つまり、健康体だ。だったら、年に数回、日本の居酒屋に行った時くらい、好きな料理にたっぷりお醤油をかけてもバチはあたらないだろう。上の投稿でも書いた通り、人間は味と栄養のためだけに食べるわけではない。食べ物には強烈な「想い出」が宿る。
来年も夏には日本に戻り、「つくばウォーク」をする。打ち上げの場では、「大将別館」で「ちくわの磯辺揚げ」を頼む。そこでは、お醤油をたっぷりかけて、自由の味を楽しみたい。そしていつの日かタイムマシンができたら、当時の自分に、「お醤油、大人になったらたくさんかけられるようになるよ」と、教えたい。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🕰️
(2023年11月25日)