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『阿Q正伝』 魯迅

中国を代表する文学者で中国の教科書にも載っている(らしい)作品。あまりに有名なので今更感はありますが、せっかく読んだので記録のために。後半にはなぜこの作品が一般的に名著と言われているのかについて述べます。
ちなみにこの写真は宮城県の東北大学川内キャンパス内にある魯迅さんの銅像です。雨によって銅が酸化して緑青ができてしまっていますね。緑青のおかげで内部まで腐食してしまうことが避けられるのでいいですがかわいそうですね(どうでもいいことをだらだら申し訳ありません)。

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まずは簡単にあらすじ

時代が清から中華民国に替わろうとする辛亥革命(1911-1912)の時期、中国のある小さなムラに本名すらはっきりしない、家も家族も金も持たない日雇い暮らしの男である「阿Q」という男が住んでいた。名前が阿から始まりQの発音であったことしか定かでないことからこのような名前で記すことにしたようである。それほどこの男の情報は少ない。

まず、この主人公はちょっとかわいそうな人間でもあるが、別に人格者なわけではなくそもそも少し問題のある人間であることは最初に言っておきたい。喧嘩は弱いので人々にボコボコにされる。頭にはハゲがあってそれも馬鹿にされる。弱そうな奴には自分から喧嘩をうるがそれでも返り討ちにされる。少し金が入ると博打で使い果たすなどなど。しかしべらぼうにプライドが高く自分は誰よりも偉いと考え、自身を正当化する精神的な勝利法を心得ていた。

ある日いつものように喧嘩に負け、腹いせに女の頬をつねる。その感触が忘れられず「女、、女、、」となぜか女をものすごく意識するようになる。その後、偉い人の家に日雇い労働に行った際にその家の女性に突然アプローチしてしまい職を失う。そして誰にも相手にされなくなり、金もなくなった阿Qは野菜を盗み村から姿を消してしまう。(ただ別に誰もそれを気にしていない、それほど周りの人にとっては何でもない存在だった)。

しばらくして人々の前に現れた阿Qは現金を持ち、少しいい服を着ていた。プライドの高く、人から偉いと思われたい(自分のことを偉いと思っていて、偉いと人々に思われるのが当然だと認識している)阿Qは城の中で働いているといい、皆もそれに敬意を払うようになった。しかし実際盗みを働いていたということがいずればれる。

辛亥革命の最中、「革命軍」なるものが責めていることを知った阿Qは、「なんかめっちゃかっこいい」と思い、気分も高揚し、自分も参加したいと申し出て革命軍のメンバーに接触する。しかし全く相手にされない。つまり本人は革命軍とは何の関係もないものの、革命軍に参加していたと勘違いされて逮捕される。そして見せしめとして町中を引き回された挙句、銃殺されることが決定した。そのときすらも独自のポジティブ思考で乗り切っていたが、銃殺される間際に死を実感。しかしあえなく銃殺される。周りの人々は迫力がないから銃殺は退屈だのいい、死ぬまで間抜けな死刑囚だなと、言っていた。
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この物語は中国では高校の教科書にも採用されている有名な文学作品である。なぜこんなにも有名なのか。それはこの阿Qという人物が当時の中国人自身を反映しているからであろう。当時アヘン戦争(1840-1842)や日清戦争(1894-1895)などで国力を落としていた清は大日本帝国などから侵攻され、植民地化されていた。しかし清の国民は危機感が足りず行動しようとしない。そんな状況に危機感を感じていた魯迅がこの作品を発表した。魯迅は阿Qのような卑しい奴隷根性を持ち危機感のない人間を中国人の象徴として描き、自国への厳しい批判としてこの物語を著した。

魯迅は1902から日本の東北大学に留学しているが、当時日露戦争(1904-1905)で国力を高めていた日本と支配されることに慣れ、どこか危機感の足りない(阿Qに表されるような高いプライドもあった?)中国の差を感じ、文学作品によって中国国民を啓蒙しようと努めたわけである。これは愛国心を持った魯迅が日本留学を期に、母国である中国を俯瞰することができ、そこから感じた危機感から中国の誇りを取り戻そう、このままでは中国は阿Qのように滅びても馬鹿にされるだけの国になってしまう、過去の栄光にすがるのはやめよう、と国民に訴える作品なのであリマス。

これを読んだときむしろ今これは日本で読まれるべき作品なのではないかと思いました。魯迅は私も縁のある文学者であるのに今まで読んでなかったのを反省しています。。。


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