日々是好日
#ショートストーリー
「コウちゃん、この言葉の意味知ってる?」
ハルカはそう言って僕に1枚の紙を見せた。
ソファーで寝転がりテレビをBGMに聴きながら文庫本を読んでいた僕は、ローテーブルの上からリモコンを取り上げ、テレビのスイッチを切ってその紙を見つめた。
藁半紙みたいな紙に、ハルカの子供っぽい字体でその言葉は書いてある。
日々是好日
「ひびこれこうじつ?・・・わからないな」
「にちにちこれこうにち、って読むらしいよ。そっか、知らないかぁ」
ハルカは残念そうにもう一度その紙を眺めた。
「調べようか?」
「大丈夫、もう調べたの。コウちゃんは知ってるかと思って」
「教えてよ」
「うん。今日書道の先生に聞いてきたんだ」
年相応の字を書けるようになりたいと常々言っていた彼女は、最近ようやく書道教室へ通い始めていた。
先程の文字を見る限りでは、その効果はまだ表れていないようだけど。
「これはね、毎日が無事で良い1日になるように生きなさい、っていう意味なんだって」
「ふうん、何だかピンとこないな」
「要するに、日々を大切に生きましょう、っていう心構えらしいわ」
ハルカは続けて言った。
「コウちゃんは来年30でしょ。お仕事ばかりじゃなく、これからはもっと自分のために時間を使って好きな本を読んだりしてほしいな」
彼女が僕の体調を気遣ってそう言っているのはよくわかった。
最近仕事で新しい企画を任された僕は、結果を残そうと頑張りすぎていたのかもしれない。
「ちょっと無理をしていたかな。少し休みを増やしてゆっくりするよ」
そう言うと、ハルカは笑いながら
「わたし思ったの。今でも充分素敵な毎日だけど、もっともっと良い1日にしていきたいなぁって」
ハルカの気持ちが僕には理解できた。
こうして一緒に暮らせるようになるまで様々な紆余曲折があったからだ。
僕たちの結婚は周囲から猛反対を受けていた。
ハルカの両親はすでに亡くなっていたが、僕の両親はもちろん、彼女の姉弟や親戚の誰一人として賛成してくれる人はいなかった。
諦めかけたり、別れようとしたこともあった。
それでも僕らはお互い好きだったから、周囲の人々を粘り強く説得し続け、やっと最近みんなに祝福されて結婚することができたのだ。
だから僕は彼女が少しでも豊かな暮らしが出来るように頑張れるし、彼女も僕のためにとてもよく尽くしてくれていると思う。
僕は毎日、彼女の暖かい手料理を食べていると本当に幸せな気持になる。
これもまた、日々是好日なのかもしれない。
僕はソファーから立ち上がって伸びをした。
「来週、ハルカの誕生日だろ。プレゼント何が欲しい?」
彼女は入れ代わるようにソファーに座り、
「別に何も。早く帰って来てくれたら家でご飯をゆっくり食べたいかな」
彼女のそんなところも、僕は大好きだ。
でも、何もプレゼントしない訳にはいかない。
「あれはいらない?」
「イヤよ、絶対に着ないから」
「きっと似合うと思うよ」
ぶんぶん首を振って拒否するハルカを見て、僕は可笑しくなった。
「とにかく、本当にやめてよね」
「わかったよ」
せっかく目星をつけていたのにハルカが着てくれないのなら仕方がない。
別のプレゼントを考えることにしよう。
彼女の還暦祝いに可愛い赤の半纏を見つけたんだけどな。
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