「ハムネット」書評
豊崎由美さんを講師にお迎えした書評講座第二回に参加しました。2つの課題図書のうち、こちらは「ハムネット(マギー・オファーレル著、小竹由美子訳、新潮社)」のために書いたものです。もう一冊の「掃除婦のための手引き書」の書評もこちらに載せておきます。
以下、まず、講評後に手直ししたものを載せ、その下に講評前のものといただいたコメントを載せておきます。
講評後バージョン
本書はアン・ハサウェイとその家族についての史実に基づくフィクションである。といっても目鼻口の大きなハリウッド俳優の方ではなく、文学界の巨星、ウィリアム・シェイクスピアの妻の話だ。
シェイクスピアがロンドンの劇壇に名を表す前の7年ほどについては記録がほとんど残っておらず、「失われた年月」と呼ばれている。有名人の空白の期間があればそこに様々なゴシップが生まれないわけがない。史実として分かっているのは、18歳の時に8歳年上のアンと結婚したこと、その半年後に長女が生まれ、さらに2年後に双子の男女が生まれるが、長男のハムネットは11歳の時に夭逝。その4年後に「ハムレット」が書かれた、ということだが、年の差と授かり婚であったことから、「年上女が才能ある若者をたぶらかした」、シェイクスピアが家族を残し単身ロンドンに行ったのは「妻とうまくいっていなかったから」という解釈が定説化していったらしい。さらにシェイクスピアが遺言書で遺産の大部分を長女一家に残し、妻アンには「2番目によいベッド」と家具しか残さなかったことが、アンとの不仲説の根拠とされることもある。
亡くなった長男ハムネットを題材とした小説を描こうとリサーチを始めた著者マギー・オファーレルは、ハムネットの母親であるアンが、上記のように、シェイクスピアが疎んじた人物としてしばしばネガティブに描かれることに衝撃を受けたという。「どうしてみんな、自由奔放な男性芸術家像にこだわるあまり、彼女をこき下ろさなくちゃならないんですか?(本書の帯より)」-- 本作執筆のエネルギーは、著者のこの憤りから発しており、シェイクスピア一家の失われた年月を、大胆な想像を交えて妻の視点から描いている。面白いことに、ウィリアムの名は作中一度も出てこない。彼を示す言葉は「ラテン語教師」、「ジョンの息子」、「アグネスの夫」、そして「ハムネットの父親」だ。
本書では妻アグネス(=アン)は、シェイクスピアが惹かれたのももっともな、不思議な能力と魅力を持つ人物として描かれている。森から現れた母から生まれ、手に触れることで人の心を読み、植物に精通し薬草で薬を作って人々を癒し、鷹匠であり養蜂家でもあり、リスと戯れる。夫シェイクスピアは愛妻家で子煩悩な一人の男として描かれる。そんな二人がどのような関係を築き、どのような経緯で離れて暮らすことになり、子供の死という悲劇とどのように向き合ったのか、著者は史実として残っている情報をもとにそのつながりを想像し丁寧につないでいく。物語を読み終えた後は、むしろこれ以外ではありえないのではないか、という気にさせてくれる本書は、不名誉なゴシップの対象となった女性の名誉回復小説であり、あの四大悲劇の一つ「ハムレット」の制作背景を含む「シェイクスピアの失われた年月」の新解釈であり(「2番目によいベッド」についても回収されている)、なにより、「家族を見舞う困難とそこからの再生の物語」なのである。
(1238字)
講評前バージョン
本書はアン・ハサウェイとその家族についての史実に基づくフィクションである。といっても目鼻口の大きなハリウッド俳優の方ではなく、文学界の巨星、ウィリアム・シェイクスピアの妻の話だ。
本書を読む前に前知識をいくつか。シェイクスピアは18歳の時に英国ストラスフォードで8歳年上のアンと結婚した。この時彼女は長女スザンナを孕っていた。長女誕生の2年後にハムネット、ジュディスという双子の男女が生まれるが、長男ハムネットは11歳の時に夭逝した。双子の誕生からロンドンの劇壇に名を表すまでの7年間、シェイクスピアがどこで何をしていたのか、なぜ家族を残してロンドンに行くことになったのかは謎に包まれており、「失われた年月」 (The Lost Years)と呼ばれている。
有名人の空白の期間があればそこに様々なゴシップが生まれないわけがない。8歳年上の女性との授かり婚であったことから、「年上女が才能ある若者を誑かした」、「家族を置いて単身ロンドンに行ったのは、妻とうまく行っていなかったからだ」と見る向きが多かったらしい。シェイクスピアが遺言書で遺産の大部分を長女一家に残し、妻アンには「2番目によいベッド」と家具しか残さなかったことが、アンとの不仲説の根拠とされることもある。
「訳者あとがき」によれば、著者マギー・オファーレルは大学で英文学を学び、シェイクスピアについて多くの資料を読む中で、死んだ息子ハムネットに関する記述があまりに少ないことに驚き、興味をそそられた。やがて作家となり、この題材を描こうとリサーチを始めると、ハムネットの母親であるアンが、上記のように、シェイクスピアが疎んじた人物としてしばしばネガティブに描かれることに衝撃を受けたという。
「どうしてみんな、自由奔放な男性芸術家像にこだわるあまり、彼女をこき下ろさなくちゃならないんですか?(本書の帯より)」-- 本作執筆のエネルギーは、著者のこの憤りから発しており、シェイクスピア一家の失われた年月を、大胆な想像を交えて妻の視点から描いている。面白いことに、ウィリアムの名は作中一度も出てこない。彼を示す言葉は「ラテン語教師」、「ジョンの息子」、「アグネスの夫」、そして「ハムネットの父親」だ。
本書では妻アグネス(=アン)は、シェイクスピアが年の差を超えて惹かれたのももっともな、不思議な能力と魅力を持つ人物として描かれている。森から現れた母から生まれ、手に触れることで人の心を読み、植物に精通し薬草で薬を作って人々を癒し、鷹匠であり養蜂家でもあり、リスと戯れる。夫シェイクスピアは愛妻家で子煩悩な一人の男として描かれる。そんな二人がどのような関係を築き、どのような経緯で離れて暮らすことになり、子供の死という悲劇とどのように向き合ったのか、著者は史実として残っている情報をもとにそのつながりを想像し丁寧につないでいく。物語を読み終えた後は、むしろこれ以外ではありえないのではないか、という気にさせてくれる本書は、不名誉なゴシップの対象となった女性の名誉回復小説であり、あの四大悲劇の一つ「ハムレット」の制作背景を含む「シェイクスピアの失われた年月」の新解釈であり(「2番目によいベッド」についても回収されている)、なにより、「家族を見舞う困難とそこからの再生の物語」なのである。
(1369字)
講評でいただいたコメント
内容紹介が最後のパラグラフのみでその前がずっと背景紹介。バランスが悪い。
読み辛い漢字は使わない。「孕る」→みごもる「誑かす」→たぶらかす
もう一つの課題図書の「掃除婦のための手引き書」でも指摘された「背景説明書きすぎ」問題がこちらでも。自分が知らない情報だったので、「これは共有しなければ!」と力が入ってしまったのでしょうか。
この書評、最初は本書のストーリーを引用を交えて説明する、という内容だったのですが、それで行き詰まり、直前で構成をガラリと変えたのでした。