「憶測」が起こすもの
テレビを見ていていつも思う。
あるニュースに対して、
いろんなコメンテーターがそれぞれの見解を述べる。
専門家がいれば、コメディアンもいる。
教授もいれば、スポーツ選手もいる。
司会者がそれぞれの人に話をちょいちょい振って、
あぁだこぉだと言い合う。
なんなら時には笑いもおこる。
テレビの世界だけではない。
ネットの世界でもだ。
それらしい人が自分の意見を書き、
それに対して意見したい人がそれなりのことを書く。
全く別次元の人がものすごい角度から書く。
顔が見えない分、好き勝手なことを書く人もいる。
心無い人もいる。
だがしかし、
どれもこれも、
当の本人の言葉はどこにもない。
全ては置かれたリンゴをどう見ているかだけだ。
隣に置かれたリンゴと比べて意見するだけだ。
ここ1年の天気を調べて今年のリンゴの出来を推測するだけだ。
リンゴの色や形を見て判断するだけだ。
ミカンを持ってきて違いを羅列するだけだ。
それを聞いて、私達に何が起こるのか?
憶測が起こすものは、
私達の考え方に色をつけてしまうことだ。
勝手に色を塗られてしまうことだ。
憶測ではなく、
真の言葉を聞くことが大事なのに。
全ては本人にしか分からない。
真実は起こっている事の根元にしかない。
憶測に色を勝手に塗られないよう
私達は自分の色を、
相手の色を大事にしなくてはならい。
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