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ミニーマウスなワンピースと黒と白のドット

キラキラとした街並みが見下ろせる、ビルの一室。

そこは、小学生の私には場違いな場所だった。
オシャレなディナーを楽しむお店。都会の華やかさと緊張で、ドキドキしていたのを覚えている。

当時、父親が勤めていた会社は、家族も大事にしてくれる会社で、クリスマスになると家族を呼んでクリスマスパーティーを開催してくれた。

たくさん人がいるパーティーもあれば、こぢんまりとしたパーティーもあったように思う。クリスマスになると、そういったパーティーにお呼ばれしたことがあったなと、仕舞い込まれたセピア色の記憶の中に、居心地の悪そうな、けれど少しドキドキしている私と、その周りでチラチラとライトが光を放っているのを思い出したりする。

その頃の私の一張羅は、赤い布地に白い水玉のワンピースだった。はっきりとは覚えていないけど、七五三やどこかにお出かけするときは、そのワンピースを着ていた。ホコリを被ったアルバムの中に、ぴっちりと写真がしまわれているはずだ。

とはいえ、私の記憶力なんてものは、同じ鍋になんでも放り込んだ闇鍋のようなもの。ミニーマウスなワンピースやクリスマスの記憶だって、闇鍋から拾い上げたキムチに染った餡もちかもしれない。味もへったくれも見た目も、全てが曖昧で、果たしてこれが餡もちなのだろうかと頭をもたげてしまうくらいの記憶だろう。でも、間違いなくキラキラしたクリスマスも、可愛らしいワンピースも私の記憶には残っている。

当時の私は、普段はジーンズを履いていて、スカートを持っていないような活発な女の子だった。むしろカッコいいを目指して生きていたから、かわいいは私の辞書には不要だったけど、それでも、可愛らしい格好をしていた時はあったと思う。

きっとそれはまだ、私の中の自我は寝ぼけ眼を擦ってばかりで、起きてるか眠っているかもわからない状態だったからかもしれない。眠っている私に差し込まれた母親の可愛いという価値観が、赤いミニーマウスなワンピースだった。赤はずっと好きな色だから、母の見立ては正解だ。だってその服を嫌いだった記憶は、私にはない。

その頃、父が勤めている会社の同僚の方が、家に遊びにきたことがあった。後輩だったのだろう。父より若い「お兄さん」ぽい雰囲気の方だった。お父さんの会社のお兄さんは、私や弟、妹とも遊んでくれた。私は得意なオセロで遊んでもらった。緑色のザラザラとしたフェルトっぽいオセロ盤に、とすんと静かな音を立ててオセロの石を置いたり、ひっくり返したり。

私はオセロが得意だった。
オセロには自信があったが、まさか大人に勝つとは思っていなかった。なんと私は、オセロの勝負で大人のお兄さんに勝つことができたのだ。

「強いね〜」と言われて、鼻がググんと伸びた。それこそ天井を突き破って月に到達するくらいに、鼻高々だった。小学生の私にとって、そのできごとは、みんなに自慢したくなるくらいのできごとだった。

「大人よりオセロが強い私!すごいでしょ!えっへん」

今考えると、お兄さんは子どもの私に気を遣って、負けてくれたんだなと思う。それに気付いたのは、もう少し大きくなってからだったけど。
子どもに華を持たせてくれる優しい大人。私も、そんなふうに、子どもと勝負した時、わざと負けたりするのかなと思ったりもした。


⚫️⚪️⚫️⚪️⚫️



そして、現在。

私は相変わらず、オセロが強い。カドを取って、相手に置く場所を与えない。絶対に勝利は渡したくないといいねちっこいオセロの仕方をする。そんな私は、子どもとオセロやボードゲームをした後、決まってこう言うのだ。



「ふっ。おかんに勝とうなんざ、百年早いわ!」



── 想像してた大人と違う。




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