金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。
まさか、あんな不思議なことが僕の身に起きるなんて。
その時僕は、ばあちゃんは本当に魔女かもしれない、と思った。それはクリスマスイブのことだった。サンタクロースは信じていない。でも、ばあちゃんが魔女だという可能性は信じられる。そんなこと有り得るのだろうか。ないかもしれないけど、あるかもしれない。
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僕のばあちゃんは、いつも自分のことを魔女だと言った。綺麗な金髪のショートカットをなびかせ、耳には大きなダイヤがきらりと光るハイカラなばあちゃん。実のところ、僕はばあちゃんの年齢をよく知らない。いつも適当にはぐらかされていて、ちゃんとした数字を教えてもらったことはない。多分、70歳にはなっていないと思う。60歳くらいだろうか。よくわからない。正直、ばあちゃんの年齢には興味がない。大事なのは、ばあちゃんが魔女かどうか、だ。
僕は小さい頃に、ばあちゃんに直接聞いたことがあった。
「ばあちゃんって本当に魔女なん?」と。
ばあちゃんは、その質問を聞いて、ニヤリと笑った。
そして、こう言った。
「魔女やけど」と。
だからなんだ。証拠はどこだ。ばあちゃんは本当に魔女なのか。
僕は、ばあちゃんが魔法を使っているのを見たことがない。ばあちゃんが空を飛んでいるのも見たことがない。蛙を煮ているところも、カラスと話しているところも見たことはない。
だから、僕はばあちゃんが魔女だということを疑っている。どう考えたって怪しすぎる。
小学校3年生になった時に、サンタクロースがいないと知って、そしてその時にばあちゃんも魔女じゃないんじゃないかと疑い始めた。あれから2年が経つ。
でも、僕はばあちゃんが魔女かもしれないと半分信じている。半信半疑ってやつだ。なぜなら、ばあちゃんはいつもなんでもお見通しなのだ。
僕が喧嘩をして帰ってきた時も、隠しごとをしている時も、泣きたくてどうしようもない時も、全部ばあちゃんはお見通しで、僕の心の中を読んでくる。
いつもはそれが鬱陶しい。だけど泣きたくてどうしようもない時は、ばあちゃんのその謎の能力に助けられている。その謎の能力を持つばあちゃんの持ち物のひとつに水色のポーチがある。いつも仏壇に置かれている、何の変哲もない手作り感満載の水色のポーチだ。中には大きな巻貝がひとつ入っているくらいで、他に特徴はない。けれど、不思議な力があるような気がしてならない。
僕が涙を堪えている時に、ばあちゃんはその謎のポーチを僕に差し出してくる。大抵そういう時は、僕が本当に悲しい時で、泣きたくてどうしようもない時だ。よく分からないけど、僕はうまく泣くことができない。泣くのに上手いも下手もある訳ないのに、僕は泣くのが下手くそなんだ。
それはお父さんのせいだけど。
僕のお父さんは、ことあるごとにこう言った。
「男が人前で泣くんじゃない」と。
昭和感あふれる熱血指導だ。僕はもちろん、そんな古臭い考えは好きじゃない。和室のタンスの引き出しの奥底から引きずり出してきたようなカビ臭い教え。今は令和だぞ。男も女も関係ない。泣いたっていいじゃないか。そんなことを考えつつも、お父さんの言葉は呪詛のように僕の脳裏に刻まれた。
“男は人前で泣かない“
泣くなんてカッコ悪い。弱い奴がやることだ。男も女も関係ないけど、人前で泣くなんてカッコ悪い。絶対に泣かない。お父さんの言うことが正しいとは思わないけど、絶対に泣かない。僕は強い人間になる。お母さんがいなくたって、一人でなんでもできるようになる。お父さんにだって頼らない。
いつからか僕は、自分でも知らないうちにそんな風に考えるようになっていた。
そうしたら、本当に泣けなくなった。
悲しい時も悔しい時も、泣けなくなった。泣けなくなったのはいい。強くなった証拠だと思った。でも、どうしようもなく悲しいのに泣けないのは苦しかった。僕の涙は体の中に溜まっていって、僕の心は自分の涙で溺れてしまうような気がした。飲み込んだ涙が喉の奥に溜まって、息ができなくなった。泣こうとしても泣けない。息をしようにも、かはっかはっと咳が出るだけだ。息を吐くばかりで上手く空気が入ってこない。死にそうに苦しい。
小学生の僕にはどうしたらいいかが分からなかった。この気持ちを吐き出す相手もいない。慰めてくれるはずだったお母さんは、5歳の時に病気で死んだ。お父さんに至っては、泣かないことが正しいと思っている。
苦しい、苦しい、苦しい。
そんな時、ばあちゃんはどこからともなく現れて、謎のポーチをすっと僕に渡してくれる。僕はそのポーチを受け取ると、うまく泣けるようになった。自然と息ができる。謎のポーチの外側からは線香の匂いがして、中からは海の匂いがした。中には大きな巻貝が一つ入っていて、耳に当てると波の音がした。僕はその音を聞くと落ち着いた。理由はない。ポーチの匂いを嗅ぐと、涙がひとりでに溢れ出した。溜まっていたものが外に出ると、自然と息ができるようになった。
巻貝からは、静かで少し仄暗い海の波の音がする。ゆらゆらと揺れて、そのまま何かを飲み込んでしまいそうな波の音。爽やかな水色をしたポーチの中からは、冷たい海の匂いがする。磯の香り。華やかな春や夏の海の匂いじゃなくて、冬の海。
謎のポーチは特別なポーチで、海が詰まっているとばあちゃんは言った。色んな人の涙を飲み込み続けたこのポーチは、全てを許してくれる。誰のことも責めやしない。だからユースケ、安心して泣きなさい。泣くのは悪いことじゃない。強いことと弱いことの意味をはき違えたらいかん。優しくなんなさい。本当に強くなんなさい。幼い僕には、その意味がちゃんとわからなかった。何かを飲み込み続けた海が詰まったポーチからは、いつも少しだけ悲しい匂いと音がした。
泣いている時にはいなかったはずのばあちゃんは、気づくといつも僕のそばに立っていた。僕の背中をポンポンと叩くように撫でる。僕はばあちゃんの手を見る。あたたかくてシワシワの手。心がいつの間にか軽くなっていて、ばあちゃんは本当に魔法でも使ったんだろうかと僕は思う。
やっぱりばあちゃんは、魔女かもしれない。
今日から土曜日まで、全24話(1話3,000字前後です)を公開します!
日曜日にあとがき出します!
よろしくお願いしま〜す!
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