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ペイパーバック・ライター

拝啓、リア様

私の手紙、読んでいただけましたでしょうか。
執筆には何年もの月日がかかりました。

前述の手紙に、私の想いが全て込められています。あなたは受け取っているはずです。読んでくれているはずです。私はそう信じています。

2024年9月X日にお待ちしております。
リア、あなたがこの手紙を受け取ったことは、実のところ把握しております。郵便局員から直接受け取っていただけたことと思います。読んでもらえないのではと心配だったので、書留郵便で送りました。では、思い出のあの場所で。

2024年8月末日

私は、大きくため息を吐いた。

どうしよう、と頭を抱えた。
行くべきだろうか、あの場所へ。心が一気に5年前に揺り戻された。心臓が早鐘を打っている。ひどく動揺しているのがわかった。思わず両手で顔を覆う。じわりと目頭が熱くなった。手のひらが、ひたひたと濡れた。重い漬物石を乗せて開かないように蓋をしていたのに、彼の文字はいとも容易く蓋を開けてしまった。私は手紙を安易に開封してしまったことを悔いた。悔いても仕方のないことだとは、もちろん自分自身が一番よくわかっている。

安っぽい薄い茶封筒に、少し黄ばんだ便箋。
節約志向の彼らしいと思った。差出人は書いていなかったけれど、封筒に書かれていた筆跡で、もちろん彼のものだとすぐにわかった。丁寧に書かれた大きさの揃った文字を見て、思わず顔が綻んでしまった。懐かしいと思った。こだわりの強い人だったから、相変わらず節約を続けているんだとわかって、なんだか嬉しくなってしまったことも認めざるを得ない。

5年も経てば、世の中も私も変わってしまう。
流行りの服も食べ物も、音楽も。街並みさえも変わっていく。最近は時代の進化があまりに早すぎるから、ずっと同じなんてことは奇跡のように思えてしまう。それでも彼が変わらずに彼のままでいる、ということを知れたのは嬉しかった。

だけど、会いたいとは思わない。
あの頃は24歳だった私も、気づけば29歳になってしまった。まだ若いと言われる世代だけど、彼の中の24歳の頃の私より、今の私は老けてしまっているだろう。つい先日だって、白髪を一本見つけてしまった。あまりの衝撃に、一本の白髪を抜こうとしたら慌てて普通の黒い髪の毛を二本も抜いてしまった。もったいないことをした。

彼と別れた理由は、単純なものだった。
小説家志望の彼が、「君を幸せにすることはできない。別れよう」と突然伝えてきたのだ。青天の霹靂だった。もちろん私は別れを固辞した。私は仕事をしていたし、彼の夢だって応援したいと思っていたのに。幸せの形は私が決めることであって、彼が決めることではないのだし。

でも、彼は私の申し出に首を縦に振ることはなかった。彼が彼なりにケジメをつけようとしてくれているのだろうということは、私にもわかった。でも、でも…..。心は別れを拒否していたけれど、大きな背中を小さく丸め、伏し目がちに私から目をそらす怯えた大型犬のような彼に、私はそれ以上、何も言うことができなかった。私も若かったし、彼も若かった。

そんな彼とお付き合いをした1年は、全ての季節がグリッターパウダーを眩したかのようにキラキラと輝いて見えた。付き合い始めてしばらく経った頃、彼が私を選んだ理由を聞いた。私は驚いた。理由は私の名前が「リア」だったからだ。そんな理由でと思ったけれど、彼にとっては衝撃的な運命の出会いだと思ったらしい。私の名前は、彼がよく聞く曲に出てくる名前だった。それに自分はリアリストだから、弁護士事務所で働く君と僕は、相性がいいはずだとも言った。

私からすると、彼はリアリストとはほど遠い、夢見がちな男だった。

そうでなければ、小説家など目指さないだろう。活字に恋をしている男だった。肉体労働で得た紙でできたお金は、そのほとんどが紙の本に姿を変えていた。必要経費なんだよとヘラヘラと笑いながら、スーパーの使い古しのレジ袋に入ったいっぱいの本を抱えて帰ってくる彼のその姿が、なんとも言えずかわいいと思った。

6年前に私が彼と出会ったのは、動物園にある大きなドーム型の温室だった。食虫植物の前にじっと座っている彼に、私は思わず声をかけてしまった。

「大丈夫ですか?」

彼は黒っぽい服を着て、うずくまっているように見えた。私が温室内を一周しても、その場から動かずにじっとうずくまったままだったから、体調でも悪いのかと思わず声をかけた。一緒に来ていた友人たちからは「やめときなよ」と言われたけれど、おせっかいな私は「先に行ってて。大丈夫だと分かればすぐに追いかけるから」と、一人で彼のそばに立って、「大丈夫ですか?」と声をかけたのだ。

私の声に驚いたように振り返った彼のことを、今でもよく覚えている。黒いジャケットの下には、タートルネックのベージュのセーター。ハリーポッターのようなメガネにマッシュルームヘア。眼鏡のレンズの向こう側に見える瞳が、少し淡い茶色で印象的だった。鼻筋の通った顔立ちは日本人離れしていて、一瞬、日本語で話しかけてよかったのだろうかと焦った程だった。

しかし、振り返れど何も答えない彼に、私はもう一度「大丈夫ですか?」と声をかけた。唇を大きく動かしながら「だ・い・じょ・う・ぶ・で・す・か?」と一音一音区切って繰り返した。

彼は「は?」と気の抜けたサイダーみたいな声を出した。

「あ、具合が悪いのかと思って」
私がそう言うと、彼はすっくと立ち上がった。私は思わず顔を見上げる。

身長が165cmある私より、彼は格段に大きかった。私の周りの男性は、一様に160cm後半から170cm前半の人ばかりだったから、顎を見て話すのは新鮮だった。彼の高い鼻の穴がよく見えた。180cmは裕に超えている。

少し膝を曲げて、私に視線を合わせて首を傾げて彼は答えた。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。食虫植物を見たのが初めてだったもので、興味深くて」
彼は温室に入り込んだ陽の光に目を細めた。寒い時期の温室にいて気が緩んでいるのか、彼の周りを包んでいる空気がまるで春の木漏れ日のように暖かで、思わず私の顔も緩んだ。

彼が大丈夫だとわかったのだから、そのまま友人たちを追いかければよかったのに、私はなぜか彼と一緒に食虫植物を眺めていた。私の瞳の中に映っていたものが、食虫植物だったのか彼の横顔だったのは、よく覚えていないけれど。友人たちから"まだ? なんかあった?"とメッセージが届いて、“先に帰ってて“と返すにとどまっていた時には、もうすでに彼への恋心に気づいてしまっていたような気もする。その後、私が友人たちと会食をした時に、怒涛のように質問攻めにあったのは、今でも昨日のことのように思い出される。

彼の横で食虫植物を眺めているのが、自分でも驚くほど自然な行為だった。仕事を始めてもうすぐ一年が経とうとしていた頃だった。緊張感で張り詰めた日々を過ごしていた私にとって、なんだか実家のリビングのソファーにいるような安心感がそこにあった。右にいる彼からは太陽の匂いがして、少しだけ触れる私の右肩は不思議な高揚感を持っていた。

私たちは決められた教室に入り、隣の席に座り、自然と自己紹介を始める入学したての高校生みたいに、当たり前に自己紹介をして当たり前に連絡先を交換した。その日の夜にずっと昔からの友人に連絡をするみたいに電話をして、デートの約束をして食事をして。全てが決められた人生のルートに乗っているかのように、私たちは自然に恋をした。

「リア」と私を呼ぶ彼の優しい声が、好きだった。

5年間、正直なところ私の心の時間は止まったままだ。突然に別れを告げられたあの日から、私の心は今もずっと置き去りのまま、5年前を彷徨い続けている。夢追い人のくせに別れ際だけ妙にリアリストな彼が、ひとり前を歩いていってしまったようで、振られたことよりもそれがずっと悲しかった。一緒に夢を追いかけたかったのに。私が現実を見ていれば、彼は夢を見ていられると思っていたのに。

今さら会ったところで、どうなるのだろうか。
でも、私は彼の手紙を読んでしまった。

彼の文字に触れて、私は思わずスマートフォンをタップし、彼が好きだったペイパーバック・ライターを再生する。ビートルズの楽曲。大衆小説の作家志望の男が、出版社に宛てた手紙の文面を歌詞にしたもの。彼はいつも「ポールが僕の気持ちを代弁してくれてるんだ」と笑いながら口ずさんでいた。

スマートフォンの横に置いていた冊子をペラペラとめくる。文芸誌。私は指を止めた。長い長い手紙がそこにはあった。タイトルは「リア」。リアという女神を求めて旅する冒険活劇。私にはこれが私へのメッセージだとは思えない。ただの楽しいエンタメ小説。純愛を語る純文学だったら分かりやすかったのに、と私は笑う。人が何人も死んでしまうようなサスペンスものでなくてよかったけれど。

ペイパーバック・ライターが終わって、オール・マイ・ラヴィングが流れてきた。私はフフっと軽く笑う。毎日手紙が届いたら、さすがに困るわね、と。

この冊子を持って、残暑が残る暑い中、蒸し暑い動物園の温室に出かけてみようか。黒いサインペンを持って、サインぐらいは書いてもらおう。小説家の夢をリアルなものに変えてしまった粘着質な彼は、きっと熱中症になってもあの場所で待ち続けるだろうから。このタイトルの意味くらいは、尋ねてみてもいいよね。




おしまい






本田すのうさんの #下書き再生工場  の企画に参加させていただきました。
タイトルはとらふぐ子さんの「ペーパーバック・ライター」を拝借しました。

ペーパーバック・ライターって何? と思って無謀にも知らないフレーズを選んでみたら、ビートルズの楽曲のタイトルだと教えていただきました。
音楽好きなとらふぐ子さんっぽいな〜。「それはたぶん」と「ペーパーバック・ライター」のおかげで、夏の日の1993とペイパーバック・ライターが交互にずっとリフレインしています。

面白おかしく書きたかったけど、なんかしっとりしちゃった。
供養になってたらいいけど。

ちなみに私の没ネタも供養していただきました。
どれも面白かったです。マジで供養された。
他の方のを読むと、もうちょっと面白く書きたかったな〜と思うけど、私の力不足ですね。とらふぐ子さん、供養になってますでしょうか。

供養いただいた私の没ネタを紹介します。
◎ 進化する結末
◎ コートの下はパンイチ
◎ へそのラムネ
◎ 同じパズルは二ついらない
の4本です! どうぞ!

町おこし事業の内容そのものが面白そうでめちゃくちゃ気になるのですが、結末が進化していくのも面白いなと思いました。私は全部書き終わってからしか公開しないスタイルなので、育ててもらう結末というのも面白いんだろうな。読む人も書く人も楽しそうだなと感じました。

混乱する主人公と全裸のおばさんの掛け合いに、朝から笑いが止まりませんでした。パワーワードが次々に出てきて、面白すぎる。脳内で朝から全裸のおばさんが蝶のように舞う朝を過ごすのは人生で初めてです。没ネタにした甲斐があったなと思いました。

“「へそにラムネがあるのよ。」“
自分で生み出したタイトルなのに、へそにラムネってなんだよ!と突っ込みたくなりました。なんかよくわからないけど、次々に産まれていく不思議な世界感がつかみどころのない泡のようで心地よかったです。

大人なパズルでした!
パズルと恋愛が結びつくとは思わず、なるほど!と唸りました。わかる気がする〜。ハマっているようでハマっていない。ゆるゆると形を合わせていくしかないけど、いろんなパズルは試せないし。そうだよね〜!って。


企画者の本田すのうさんをはじめ、書いてくださったみなさん、没ネタを提供してくださったみなさん、ありがとうございました。
めちゃくちゃ楽しい企画だなーと思いました。

人のタイトルで書くと自分では思いつかないものが生まれる感じがあるけど、その人の個性はちゃんと出るんだろうな〜って感じがした。
まだ残ってるタイトルあったら、書けたらいいな〜。

しかし、みなさん書くのが早いこと!
気づいたらものすごい速さでタイトルが供養されてて、まじでびっくりした!
noteってすごい書き手がたくさんいるんだなぁと改めて実感。

駄菓子菓子、なんでこんなタイトルがメモに入っていたのかはよくわからない。酔っ払ってたのかな。そうであってほしい。だって、へそのラムネってなんだよ。それに、コートの下はパンイチって #なんのはなしですか ? 変態の話ですか?




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