見出し画像

記憶の中のラーメンは、いつも母の味がする 。

「とんこつラーメンといえば、ばあちゃんの作るラーメンが、ほんとに美味しかったんよね」

ラーメンを食べる時、母はそう言った。
遠い日を懐かしむように、口の中でばあちゃんのラーメンの味を想像している母は、味だけでなく、大切な時間を思い出しているように見えた。ばあちゃんのとんこつラーメンの味を私は知らないけれど、ガラスの引き戸の玄関から、すぐ和室につながる古い家の小さな台所で、背の低いばあちゃんが、大きな寸胴でとんこつを煮ている姿は、容易に想像ができた。


🍜


私の母は福岡出身で、父は徳島出身。結婚後、母は父の故郷である徳島に移り住んだ。私は幼少期を徳島で過ごし、私が小学校に上がるタイミングで、父の仕事の都合もあり、みんなで東京に引越しをした。

母の話では、昭和後期や平成初期の徳島や東京では「うまかっちゃん」は手に入らなかったらしい。「うまかっちゃん」とは福岡には必ずある袋麺。福岡のとんこつラーメンの袋麺といえば、知らない者がいない「うまかっちゃん」。

とんこつラーメンは、ばあちゃんのが一番だと言いつつも、袋麺なら、うまかっちゃんが一番だと信じていた母。そんな母は醤油ラーメンや塩ラーメンがあまり得意ではなく、我が家で出てくるラーメンは、いつも味噌ラーメンだった。私にとってラーメンとは、母が作るもやしやニラ入りの味噌ラーメン。

母の母である私のばあちゃんは、福岡でじいちゃんと一緒に屋台を引いていた。とんこつを自宅でくつくつ煮て、家で焼き鳥の串を刺して、屋台ではラーメンを出していたと、母は教えてくれた。

「ばあちゃんは、とんこつラーメンは手間がかかるけん二度と作らんって言いよったけど、本当にばあちゃんの作るとんこつラーメンは美味しかったんよね。また、ばあちゃんのラーメン食べたいなぁ」

母のそんな話を聞いても、私はばあちゃんのとんこつラーメンを食べたいと思ったことはなかった。どこかで嗅いだとんこつラーメンの匂いは、当時の私には、信じられないほど臭かった。味噌ラーメンしか知らない私の鼻には、あの独特な香りが“美味しい匂い“とは繋がらなかったのだ。「味噌ラーメンしか勝たん」と、昭和育ちの私が言ったかどうかはわからないが、当時の私がとんこつラーメンを食べる気にはならなかったことは、はっきりと覚えている。

小学5年生になる春に、父の転勤で私たち一家は母の地元である福岡に移住した。いつでもうまかっちゃんが手に入るようになると、母が味噌ラーメンを作ることは少なくなり、とんこつラーメンを作る機会が増えていった。

気づけば私は、「とんこつラーメンしか勝たん」と言うようになっていた。


🍜


社会人3年目の私が、職場旅行で京都に行った時のことだ。

京都へ到着した日の晩、私たちは大きな宴会場で、美味しい食事に舌鼓を打った。宴会の締めは博多手一本。リズムよく、パパンパンと手を叩くと、みんなで頭を下げ「ありがとうございました」と宴会は終了した。その後はみんな、散り散りに夜の街に消えていった。ホテルへ帰る人もいれば、遊びに行く人もいた。私も友人や先輩たちと、満たされない喉の渇きを潤そうと、駅周辺をうろつき、目に入った居酒屋に飛び込んだ。

居酒屋で大きなジョッキに入ったビールを飲み干すと、今度は腹を満たそうという話になった。〆はラーメンだな、と皆の意見が一致した。

京都のラーメンのことを全く知らなかった私たちは、酔いに任せて、再び駅周辺をうろつき、ラーメン屋の看板を見つけた。表に張り出してあったメニューを確認する。そこには、多種多様のラーメンがメニューに載っているではないか。味噌に醤油、塩にとんこつ。

「とんこつがあるよ!」

地元に帰ればいくらでも食べられると言うのに、京都という地元から離れた場所で、懐かしの旧友に再開したような気分になった私たちは、酒に酔った勢いで店に入り、迷うことなくとんこつラーメンを注文した。

どんっとテーブルに置かれた丼には、白濁としたスープがなみなみと注がれている。
箸で麺を持ち上げると、私は麺の様子に少しだけ違和感を感じた。

「ちぢれてる……?」

とんこつラーメンといえば、細いまっすぐな麺が主流だ。ちぢれ麺は、お店ではあまりお目にかかったことがない。あるとすれば、袋麺。

「麺は他のラーメンと一緒なんやない?」
「そうかもね」

私たちはずるずると麺を啜り、スープを飲んだ。
そして、顔を見合わせた。

「うまかっちゃんやん!これ!」


🍜


家でも外でも、とんこつラーメン。
気づけば、どこで出されても、うまかっちゃんの味がわかるようにまで成長した。とんこつスープで育ちました、なんて嘘を平気で言ってしまえるほど、とんこつに洗脳されてしまっている私だが、ごくたまに味噌ラーメンが恋しくなったりもする。

恋しくなるのは、小さい頃、母が作ってくれた野菜が載った味噌ラーメン。

母のラーメンは、さながら崖の上のポニョに出てくるラーメンのように、ありふれているのに特別に美味しそうに思い出される不思議さがある。母のラーメンには、卵もハムも乗っていなかったけど、それでも私には特別だった。きっと、母がばあちゃんのラーメンを特別だと思っているのと同じように。

味噌ラーメンを作る時、私がまずはじめにすることは、冷蔵庫を漁ること。なんでもいいので、とにかく野菜をのっけたい。もやし、にら、キャベツに白菜、人参、きのこにほうれん草。食べやすい大きさに切って、ごま油で豪快に炒める。

その間にお湯をぐらぐらと沸かし、麺をゆがく。麺は固め。時にはスープにちょい足し。味噌だったり、粉末スープだったり。生姜やニンニク、胡椒などなど。ノーマルな味も好きなんだけど、たまにオリジナリティを出したがるお年頃。

出来上がったラーメンに、どどんと野菜炒めをのせると、ただの袋麺が一気にご馳走になる。ラーメンを食べる時になぜか感じる罪悪感も、どっさりのった野菜が見えなくしてくれる。箸をしっかと握ると、野菜をかき分けて、麺を持ち上げる。勢いよくずるずるっとすすると、味噌の香りが鼻を抜けた。味噌ラーメンの味を確認した後は、麺と一緒に野菜を頬張る。野菜の甘さとシャキシャキした食感、ごま油の風味が最高に美味しい。味噌ラーメンはこれだよな、とひとり袋ラーメンに舌鼓を打つ。一味唐辛子を上からかけて、味を変えながら最後の汁までラーメンを満喫する。


母の作ってくれた味噌ラーメンとは違うけれど、自分で作った味噌ラーメンは格別に美味しかった。味噌ラーメンを食べながら「とんこつラーメンは、ばあちゃんのラーメンが一番美味しいんよね」と懐かしげに言っていた母を思い出す。

一度でいいから、ばあちゃんのラーメンを母と並んで食べて見たかったな、と私は思う。きっと母は自分が作ったかのように、ばあちゃんのラーメンを自慢するんだろうけど、そんな母の嬉しそうな顔を見ながら、ラーメンをすすってみたかった。




いいなと思ったら応援しよう!