書きたがりな私が勉強会に参加したら、書いた文字を削除していた話。
書けないと思ったことは、特にない。
むしろ、書きたくて仕方がない。
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私がnoteを始めたのは、2023年5月のこと。
自分のことを書くために、私は真っ白い画面に文字を打ち始めた。初めは何を書いたらいいのかがわからなかったし、どこまで書いてよいのかも、どう書いていいのかも、右も左もわからなかった。
noteを始めてしばらくすると、毎日更新をしている方がいらっしゃることを知った。私も毎日更新をしてみようと思い、500日と1日間、毎日更新を続けた。
毎日更新は私にとって、とても大変なことだった。私はキリの良い500日という数字を選び、毎日更新をやめた。宣言してやめたことで、肩の荷が降りた気がした。自由な時間もできると思ったし、他のことを始めようかと思ったりもした。
しかし、私はすぐにまた、毎日、書き始めていた。
毎日更新をやめてみて気づいたのだが、どうにも、書いても書いても満足できない私がいるらしい。
ふと思いついたフレーズや、楽しかった出来事、とにかく、出来事も感情もアイデアも、私はなんでもすぐに文字にしたがるようになっていた。
そして、書き上がると、誰かに読んでほしいと、noteに公開してしまう。
きっと私の体は、500日の間に、頭の中をアウトプットする快感と、読んでいただける快感を覚えてしまったのだろう。とにかく、書くことも公開することも、どちらも、ものすごく楽しくて仕方がない。趣味、いや、若干中毒に近いような気もしている。書くな、と言われても、書くことはやめられないだろうと、そんな気さえする。
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書くこと中毒になった私は、とある勉強会が私の住む街である福岡で開催されることを知った。
主催者はみずのけいすけさん。
みずのさんのことは、note社に以前勤めていらっしゃった方ということしか、存じ上げていなかった。
そして、その勉強会とは #書けるようになるnote勉強会 というもの。
noteは、ほぼ毎日書いてるし、書けないわけではない。知っているnoterさんも参加されると知り、面白そうだな、と思って参加をすることにした。
ドキドキしながら会場に到着し、主催者のみずのさんに受付をしてもらい(みずのさんが、受付からなんやらかんやら、全てをこなしていらっしゃった!)、かわいいステッカーをいただいて、席に座った。
満員御礼とのことで、会場には熱量を持った参加者の皆さんの熱気が充満していた。
まずは、みずのさんの略歴や、noteを知らない方にでもわかるようにと、noteの説明があった。その後は、noteの書き方や読まれるための記事のポイントなどをレクチャーいただき、参加者の質問にもたくさん答えていただいた。
興味のある内容だから、というのはもちろんあるが、お話そのものが、とても面白かった。参加者からの質問も、必ず肯定してからのアドバイスという形を取られていて、すごく耳に入ってきやすいと思ったし、参加者の書くことについての色々な可能性を引き出していくプロセスがとても面白かった。
みずのさんファンという方もいらっしゃって、みんなみずのさんが大好きなんだろうな〜というあったかい雰囲気がした。だからと言って、一見さんお断り!ということではなく、新しい方もおいでおいで〜と受け入れてくれる雰囲気もあり、ドキドキしていた気持ちは、いつの間にかホワホワしていて、最後はみんなすごいなぁと思いながら、noteを書くぞ!という気持ちになっていた。
勉強会の内容で、私が特に印象に残っているのは、「SNSは社会のひとつになってきているので、インターネット上では徳を積むといいよ」というお話だ。
お話の内容としては、ほんの些細なことでいいから、誰かのちょっと役に立つことを書くといいと説明されていた。
"SNSは虚構の世界"と考えている私にとって、SNSを一つの社会として捉えるというのは新しい価値観のように思えた。よくよく考えてみると、確かにリアルのコミュニティと、SNS上のコミュニティの比重は、私にとってはあまり変わらないような気もしている。
インターネット上で、私は本名を晒していない。
しかし、私の場合、本名を晒していない分、日常生活では晒せないような心情的な部分や思考した内容を、インターネットでは素直に晒せている気がする。
そう考えると、リアルに存在する私もちゃんと私だし、インターネット上の私もちゃんと私だなと改めて思った。"外と中"みたいな感じかもしれない。できれば外も中も、上手に融合できるよう、どんな時もどんな時も私が私であるために、ずっと素でいたいなと考えているが、なかなかそれは難しいなと感じるところでもある。
noteを書き始めた当初は、インターネット上での自分の晒し方がよく解っていなかった。いまでもよくわかっていないが、以前、匿名だからと、苛立った感情を吐露したこともある。その時は、リアルの知り合いから、ちょっと書きすぎかもよと指摘をされたことを覚えている。
実生活でインターネットを使った仕事をすることがない私にとって、インターネット上のマナーや社会について考えたことはなかったので、非常にいい機会を与えていただいたなと思った。
noteを毎日書きながら、インターネット上で自分がどう振る舞うと心地いいか、ということを模索してきた500日間だったが、この勉強会に参加して、これだという答えが見つかったような気がした。
それ以外にも、たくさんタメになるお話があったが、一つ一つ書いていくと、間違いなく1万字を超えるくらいに語りたくなってしまうので、ここで一旦終了するとして。
例えば、レイアウトの話や、読まれるための記事・タイトルの書き方、内容やタグなど、すぐに実用できるような内容もふんだんに盛り込まれていて、とても充実した二時間だった。
(お話の内容をすごく端的にまとめてある方がいらっしゃったので、勉強会の内容を私が拙い文章力で記述することは割愛させていただき、その方のポストを貼らせていただきます。↓)
申し込む前はドキドキしたけど、一回飲みにいく価格でこんなに有益な時間を過ごせたのは、貴重な体験だったと思う。それに、noteがもっと好きになった。
二次会にも参加させていただき、勝手に三次会もして満足して帰宅した私は、すぐにnoteを書きたくなり、noteのエディタを開いた。お酒の力を借りたこともあり、筆がすごく乗った。オレに乗りこなせない波はないぜ、とばかりにウェイウェイ書いているうちに、流石に眠くなった私は、気づけば夢の中を漂っていた。
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結構お酒を飲んだはずだが、二日酔いにならずに気持ちの良い朝を迎えた私は、noteの続きを書こうとタブレットを開いた。そして、愕然とした。
え? 何コレ!!
「お」の大群に仰天し、これはネタになるかもしれないとすぐにスクショを取った。酔っ払って、キーボードに手を置いたまま寝てしまっていたようだ。私は打ち込んだ文字を削除した。
いや、ちょっと待って!
ここでタイトルにある「書いた文字を削除した」を回収したいわけではない。
そういうことじゃない。
もうちょっと、お付き合いください。
昨晩、ノリに乗って書いた文章を、私は冷静な頭で読み返した。そして、思う。
無駄が多い。
私は無駄を遊びだと思いたいタイプだが、noteというのは、誰が読むかわからない世界だ。私を知らない人が読みにくる可能性もあるし、知っている人が読むかもしれない。
情報は多すぎても、少なすぎてもいけない。
それは、勉強会で学んだことの一つだった。
たくさん書くことも大事だが、書きすぎない。
必要な情報は、きちんと書く。
私は、自己満足だと思う余計な文章を削除し、説明が足りないと思う文章に追記した。私の場合、文章を書いてから一晩経つと、自分の文章を友人の文章のように読める。一週間経つと、誰が書いたのかもよくわからない文章のように読むことができる。
書くのは楽しい。
でも、せっかくなら、私の文章を目に留めてくださった方に、読んで良かったなと思っていただけるような文章を書きたい。
私はこれから、書いた文字を、楽しみながら削除していけたらいいなと思う。
上記の記事が、勉強会参加後に書いたnoteです。
三次会の様子や、美味しかったラーメンの話などなどを書いています。
たくさんの方に読んでいただけて、嬉しい限りです!
お読みくださった皆様、ありがとうございます!