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落ちていた一枚の靴底から生まれる物語

私はじっとそれを見つめた。

27.5cmくらいの革靴の靴底。右の足。茶色だったから、茶色の革靴の底に張り付いていたものだろう。なぜ道端に、靴底だけが落ちているのだろうか。ざざざと風が吹いた。答えは吹いてはこない。どこからか音楽が聞こえてくる気がした。たぶん、それは気のせい。どこからも音楽は聞こえてこない。風の音に乗って、私の妄想が働き出した。


👞


「ねえ、セバスチャン?」
「どうされました? レオン様」

白髪混じりの灰色の髪の毛を、前髪まで全てきっちりとセンターで分けた執事のセバスチャンに、私は声をかけた。セバスチャンは、しっかりと蓄えた白い口髭を撫で付けながら、眉根を寄せている。きっと彼は、私がまたよからぬことを考えていると想像しているに違いない。

「あそこに落ちている靴底」
「はい」
「拾ってきて」
「はい?」

セバスチャンは私に聞こえるくらいの大きさで、ため息をついた。全く無礼な執事だこと、と私は思う。私のことを稀代の殿様「バカ殿」の再来とでも思っているのだろうか。くだらないことばかりして、城下に降りては恋をしてくるあの「バカ殿」と一緒にするなんて! 全くバカにしてる。私は意味のあることしかしないし、むやみやたらに恋をしたりもしないのに。

その時、プップーと車のクラクションが鳴った。
堂々と道路の真ん中で止めていた私の車に、鳴らしてきたらしい。レオン様の車とわかっての狼藉かしら。私は少しばかり眉間に皺を寄せ、怒った顔を作りながら窓から顔を出した。クラクションの音がした方向へ視線をやる。車が横に着いた。完全な無礼者。その無礼な相手は、堂々と運転席から顔を覗かせる。眉間に皺を寄せた私と相手の目がバチッと目が合った。私は思わず目を逸らす。そして大きく舌打ちをする。

アイツか。

「そんなところで止まってると、一般市民の邪魔ですよ〜。レオンさま〜」
相手は天敵。小学校から幼なじみのムカつくアイツだった。アイツは舌を出しながら、颯爽と私の車の横を通り過ぎて行った。

私はギリギリと歯ぎしりをし、そして下唇を噛んだ。血が出そうに痛かったので、唇を噛むのをやめて、そのまま口を開く。
「靴底を拾ってきて!」
私は苛立ってセバスチャンに命令した。

「……はい」
セバスチャンは渋々といった様子で車から降りると、ゴム手袋をはめてから、ご丁寧に右の親指と中指で靴底をそろそろと摘んだ。

まるで汚物でも触っているかのように、口をひん曲げてセバスチャンは私に靴底を見せる。
「これをどうなさるんですか?」
「もちろん、届けるのよ。持ち主へ」
「…..誰が、どうやって?」

私は鼻から鼻息をふふっと飛ばす。笑いを堪えていた口元が、思わずニヤける。ニヤけたことは自分では気づいていなかったけれど、セバスチャンの表情を見てわかった。セバスチャンがどんな表情を浮かべていたのかと言えば、地獄に落ちた時の苦痛に歪んだ表情。地獄に落ちたことはないからよく分からないけど、多分そう。よからぬことを考えているじゃないかと、今にもセバスチャンの口からはそんな嫌味が溢れそうだった。セバスチャンの口髭がピリピリと震えている。まるでミニチュアシュナウザーが怒った時みたいだ。ミニチュアシュナウザーは飼ったことも触ったこともないから、怒ったらどうなるかは知らないけれど。


「あなたが探すのよ。探し方は自分で考えなさい」


それから、セバスチャンの靴底の持ち主探しが始まった。
靴のサイズは住民登録情報には記載されていなかったから、持ち主を探すのはとにかく大変だったようだ。シンデレラの件もあるのだし、これからは靴のサイズは男女ともに国の情報に登録すべきだと、セバスチャンはお父様に進言していた。勿論、そんな戯言は鼻息で散らされていたけれども。

「靴のサイズなんて登録して、なんの役に立つんだ」
そう一蹴したお父様の靴のサイズは、26.5cm。お父様の靴底じゃなくてよかったと私は安堵した。靴底を手に入れた私は、自分がシンデレラの王子様になれると信じていた。城下に行って、恋などしない。向こうから運命の相手がやってくる餌を手に入れた、と。

しかし、靴底の持ち主探しは難航した。
なかなか靴底の持ち主が名乗りでてこなかったのだ。そのことは、国中の噂になった。私が靴底の持ち主を探していると知り、逆玉を狙った男子たちがこぞって手を挙げ始めた。

みな、一様に靴屋で27.5cmの革靴を買い求め、そして左の靴底を剥がし始めた。

その騒動によって大部分の者たちが、靴底の持ち主の対象から外された。
セバスチャンは策士だった。噂が出回り始めた時、あえて国民に左の靴底がない革靴の持ち主を探しているという誤情報を広めたのだ。誤った噂を信じた者たちは、当然、左の靴底を剥がした。勿論、私たちが探している靴底がない靴は右なのだから、左の靴底を剥がしたものは除外される。左の靴を持ち込んだ者をセバスチャンは一気に除外することに成功した。

セバスチャンはあっという間に、名簿から大量の除外者のチェックを済ませ、数人チェックできていない人物をピックアップし、城へ呼び寄せた。もちろん、右の革靴を持参させて。

大抵はこの騒動に興味がない者たちだった。噂も我関せずという者たちだ。渋々やってきた、という雰囲気を醸し出していた。親に言われて仕方なくという表情が見て取れる。

ざっと10人ほどの顔ぶれを見て、私は眉間に皺を寄せた。天敵がいたのだ。しかし、私の好みの男性もいる。もちろんタイプではない人もいた。確率の問題。運試し。さて、私はシンデレラを手中に収めた王子様のようになれるのだろうか。

私の心臓は早鐘を打った。
少し高めの音を鳴らし続けている。

確認はいっせいに行うことにした。
皆の右手に右の靴を持たせ、その場で起立させた。私の号令に従い、皆が一斉に靴底を私に見せる。


「げ」


私は、被りを振った。
賭けに負けた。私の頭の上に幸福の鐘はならなかった。畜生。私は舌打ちをする。

顔を上げ、私は満面の笑みを浮かべた。そして右手をポケットに突っ込み、左手にゴム手袋をはめて拾った靴底を手にする。カツカツとヒールを鳴らしながら、靴底のない靴の前まで進んだ。

「靴底がない革靴で歩くのは、さぞかし大変だったことでしょう。我が家の素晴らしき瞬間接着剤で、直して差し上げます」

私はポケットから右手を出して、右手に持っていた瞬間接着剤をドヤ顔で天敵の前に掲げた。靴底のない靴底に瞬間接着剤を塗りたくると、左手に持っていた靴底をぺたりとくっつけた。

靴底は、靴底のなかった靴の裏にピッタリとハマった。離れ離れになっていた織姫と彦星が出会ったかのように、くっついて離れない。めでたしめでたしだ。

私は踵を返し元いた場所まで戻ると、くるりと振り返った。

「では、お疲れ様でした」
私はとびきりの最高級の笑顔を振りまいてから、ゴム手袋をはめたままの左手を虚しくひらひらと振った。
集められた男たちは、一体なんだったんだとばかりに不服そうな表情を浮かべ、部屋を後にした。

不満があるのはこっちだ、と私は思う。
そして、シンデレラは夢物語なのだと実感した。王子様はシンデレラに一目惚れだったから、靴の持ち主を探しに行ったのだ。多分、タイプじゃなかったらシンデレラを追いかけたりもしないし、靴も片方脱げていない。だから探しに行ったりもしていないはずだ。あの夢物語はシンデレラありきで、落ちていたガラスの靴ありきではなかった。

私は、思わず舌打ちをした。
横では、セバスチャンが腹を抱えて笑っている。


窓から降り注ぐ日差しは眩しく、空は青い。
今日もいい天気だ。


👞


という長い長い妄想にお付き合いいただきありがとうございました。
今日も、いい天気です。雨でも晴れでも、私の上には妄想という太陽が輝いています。今日が皆様にとっていい日でありますように。





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