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自由への一歩~完璧主義からの脱却~

自己肯定感、自尊心ゼロだった人間が約2年前に12年勤めた会社を退職し、自分らしくありのままに生きる道を模索中の日々を綴っています。

最近、私にとっては少しうれしい自分の変化を感じました。
一般的にはいいことなのか、悪いことなのかわかりませんが、最近『私、随分適当になったなぁ。』と感じています。

ずっと真面目過ぎる?真面目にみえるように頑張り過ぎる?自分の性格があまり好きではありませんでした。

好きではないけど、仕事などでは真面目に頑張るのが当たり前だと思ってきました。

今ふと『そういえばずっと適当に憧れていたかも。』と思い出したことがあります。


小学生の時に、だらしない男の子に羨望の目を向けたことがありました。その子は、学校の机の引き出しに、持ち帰るべき配られたプリントや食べ残しのパンをなんでも詰め込んでいました。

後日、ぐちゃぐちゃになったプリントやペタンコになったパンが出てきても全く意に介していないようでした。

その姿を目の当たりにして、小学生の私が『なんて自由で、大雑把で素敵な考え方なんだ!』と感動したことを覚えています。

子供時代も大人になってからもこのエピソードに共感してくれた人は今のところいないのですが…(笑)

それくらい、昔から当たり前のようにずっと「真面目でいなきゃ。」「ちゃんとしなきゃ。」と思って、苦しいほど自分を律していたのかもしれません。


大人になってからも、自分では自分のことを完璧主義だなんて思ったことはありませんでしたが、ここ数年で何人かの人に完璧主義と言われることが何度かあり、『あぁ、私って人から見ると完璧主義なんだ。』ということに気付きました。

最近も複数の人から「完璧主義だよ。」「完璧主義なんですね。」といったことを言われました。

会話をする中で、素直に『私に対して大意なくただ「完璧主義」と感じたんだな。』という方もいましたし、発言のタイミングや内容などから暗にネガティブな意味を伝えようとして言っているように感じる方もいました。

どちらにせよ相手の意図に関係なく、私にとって「完璧主義」という言葉はうれしいものではありませんでした。

たぶん「完璧主義」や「真面目であること」はずっと自分を苦しめてきたものだという自覚があったからだ思います。

もしくは、「完璧主義」で「真面目である」部分がある自分を自分で認めてあげられていなかったのかもしれません。

「完璧主義」や「真面目であること」は、一日にできなかった作業があったり、ダラダラと過ごして日には、『ちゃんとできなかった』『やるべきことをできない自分はダメだ。』と自責の念に変わります。

そのように、毎日自分に自分で課題を課して、それができないと自分を責めるということを繰り返してきていたように感じます。

完璧主義ゆえに、準備が完全に整ってから動いたり、リスクを全て考慮し尽くしてから行動に移したいと思って、結局行動できずに終わったり、大きなチャンスに飛び込めなかったり。

でも、最近はようやく良くも悪くも、『とりあえずやってみちゃおう』と行動できるようになったと思います。

3月に創業したこともそうですが、先日、生活習慣改善のプログラム内容をブラッシュアップしている段階で、とりあえずトライアル提供の依頼を知人にお願いしました。

以前の私だったら、目標に向けて万全な準備をするために、まず本を読んだり、関連する資格の勉強をしたり、完璧なプログラムを完成させてから依頼する、という様なことをしていたと思います。

今は、まず行動をして、その目標の為に何をするか考えて動くという順番に変わりました。

もしかしたら、そんなの当たり前だよ、と感じる方もいるかもしれません。

でも、ずっと自分に自信が持てずにやりたいことがあっても行動できなかった私からすると、この変化はとても大きな変化で、うれしさすらも感じる変化です。

これからも自分の変化や成長を楽しみながら、前に進んでいきたいと思います。



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