Back Story: インターナショナルスクールの授業
やると決めたらとことんやりたいのでログを再読しててめちゃくちゃ振り返りに時間がかかりそうです。
こんにちは😃
タイムラインにして自分の人生を事細かく記録していくととんでもない量の出来事が毎日飽きることなく発生してたんだなーと。
何十年経ってもところどころ記憶しているってことは相当だったんだなーと。
毎日毎日あの人からはああいう話をされてこの人からはこう言うことを聞いてあっちの人からはこっちの人やそっちの人の話を聞いて・・・毎日それはそれは時間感覚が今とは違ったことでしょう。
まとめ作業の合間?に一つBackStoryを。
ログを読み返すことで明らかになってきたのでー
Grade9当時の授業形態についてです。
もちろんこれはインターそれぞれ実施してる教育プログラムや、どこの国をベースにしてるかで異なるのであくまで母校の話。
我が母校はスウェーデン発祥の教育プログラム(国際バカロレアってやつ)認定校です。
なのでミドルスクール〜ハイスクールのG10まではMYPという中学部プログラム?に沿った授業形態でした。
※追記: バカロレアのプログラムをMiddleSchoolから実施してる学校は国内でも我が校だけだったんじゃないかなー当時。とても少ないきがする。
だからと言って学生がそのことを鼻にかけてるわけではなく、ただ普通に学校生活を送ってた。
なんなら国内の数あるインターの中で弱小だとでさえ思ってた。
私の勘違いでなければIBスクールになったのは当時まだ2、3年目だったと思うし。
ミドルスクールのときは以下の授業が必須で、言語(フランス語か中国語)だけが選択科目だった:
Maths(算数)
English(国語)
Music(音楽)
Drama(ドラマ・演劇)
Art(美術)
Science(理科)
Humanities(社会)
DT(DesignTechnology?日本だと何になるのか全くもって謎)(図画工作?)
CT(ComputerTechnology)(コンピュータ)
PE(体育)
言語→選択制
余談だけど道徳とかは完全日本独自の授業だと思う。家庭科とかも母校は一切なかった。
ハイスクールに上がってから理科や算数がレベル分けされたり、細分化されてまた美術系と社会系の授業も選択制になったのでいままでミドルで運命共同体でずっと一緒に行動してたのが、若干選択した授業によって付き合いのあるクラスメイトがグループ化されるようになった(と言ってもうちのクラスは比較的みんなミドルから共に上がってきた人が多かったのでやっぱり仲が良かった気がする)
ハイスクール(G9/10)での授業は以下の通り:
Maths Core/Extension(数学 基礎クラス・応用クラス)
Biology Core/Extension (生物学 基礎クラス・応用クラス)
Physics (物理)
Chemistry Core/Extension (科学 基礎クラス・応用クラス)
English A1/A2/B (国語 ネイティブクラス・バイリンガル中級・ESL)
PE (体育)
CT (コンピュータ)
Drama(演劇)
選択授業:
Music (音楽) OR Art(美術)
History(歴史) OR Geography (地理)
Mandarin (中国語) OR French (フランス語) OR Japanese A1 Core (日本語) ※ただし日本語ネイティブのみ
私はMusicとHistory、そしてJapaneseを選択してた。
必須のScienceとMathsはレベル内でもBasicクラスは2クラスに別れて授業をしてた気がする。
ローカルや、日本人学校に通ってる人たちからはインターに行ってるってだけでアメリカンドラマのようにパーティー三昧なイメージが先行して「頭が悪い金持ち」という超ど偏見で見られがちだった。確かに受験勉強っていう概念はないしね。
制服着てるから、外に遊びに行くとどこの学校かってわかるし英語の発音も違うし多国籍のグループでわいわいしてると目立つし余計にチャラチャラしてるように見えるんだろう。一部タバコ吸ったり髪染めた日本人も多かったしね。
だけど現実は、インターってハイスクールにあがっちゃうととってもハードで、いつも宿題の締め切りに追われる日々だった。インターって楽しそう♪っていうモチベーションで日本人学校から途中転入してきた子がいたけど、一年も経たずに「思ってたのと違った」っていう理由でまた日本人学校に戻った子がいたくらい。
日本の高等教育を受けたことがないから実際はどっちもどっちなのかもだけど。
どんな授業、宿題が多かったのかというとずばり「考える力を養う」ことにフォーカスしてたと思う。
知識はもちろんだけど、いかにその「知識」を日々の生活に応用できるか。いかに視点を広げて「グローバル」な人材を育てるか。
全授業でプロジェクトが課されて、それを1ヶ月、ないしは数ヶ月かけて提出する宿題があったりした。
例えばMaths。
1+1=2ですね?ということ以上に、どうして1+1が2になるのかを考えさせる、答えに至るまでを考える方針にあった。
当時の課題ほぼ全て残ってるのだけどG9当時のMathsプロジェクト(8月提出=すなわちハイスクール上がってすぐの課題)、これです。じゃじゃん
Science、特に記憶にあるChemistry(通称Chem)とBiology(通称Bio)では日常的に実験を行って、実験レポートを宿題で書かされた。
他にもプロジェクトと称してエッセイ提出が度々あった。
グループワークが出がちで、ペアか3人グループでプレゼン兼エッセイの提出があったかな。
G9のそのプロジェクトの時は心優しい間抜けなイギリス人Aと栗とでグループを組んで栗の家に行ってプレゼンの作戦を練ったの覚えてる。だから私はきっとBioとかはAと栗と同じクラス分けだったんだな。
Historyに関しても同じで、「1945年に終戦しました」という史実のみを習うのではなくて、どうして第二次世界大戦が始まることになったのか、なぜこの年に終戦したのか。なぜTrumanはこういう発言をしたのか?なぜ日本はハワイを攻撃したのか?このプロパガンダを出すことでどういう影響があったのか?後に冷戦が始まる理由は?核兵器がその時使われなかった経緯は? ありとあらゆる視点から物事を見て「分析」する力が求められた。
だから試験も課題も全部エッセイクエスション。エッセイをひたすら書いた。
あくまでインターナショナルスクールなので、一つの国に偏るのではなく、グローバルな視点で各国の立場を理解しないといけなかった。
プレゼンの課題もあって、そのときはペアを組まされて与えられたテーマでありとあらゆる視点でディベートをした。特にHot seat.歴史的人物になりきってその人の「視点」で「史実」を分析する。
Historyにも栗が一緒のクラスにいて、先生は私が栗とだと気楽にしてるのを気づいてたのか、はたまた何か裏の企みがあったのか、よく私たちはペアになってた。
そのペアワークも栗とだったから楽しかったな。上手くできなくても栗といたら笑って済ませれた。
そしてJapanese(通称Jap)。
当たり前だけど四六時中、授業は英語だった中Japaneseの授業だけ日本語の先生・日本人生徒のみで(しかも10人も満たないくらいの小さいクラス)とても和気藹々だった。
先生との距離も近くて、いつもは恥ずかしがり屋で発言が少ない子も、母国語になるとよく喋るようになったりして私はJapaneseのクラスの雰囲気が息抜きにもなって好きだったりもした。
課題は他と同じで論文地獄だったけど 笑
教科書とかはないので、市販の文庫本が与えられ、それを何週間もかけて読み込み色々な論文テーマを与えられてその本を基に書き上げる。
しかも当時全部Japは原稿用紙に手書きだった気がする!!笑
G10のときの課題だった「夏目漱石坊ちゃんがゲイ文学と言われることに関する見解」とかは読み手の視点を変えるだけで捉え方は何通りもあるのかととても面白かったから記憶してる。
論文の他には創作もあって、課題本の続編を創作する宿題だったりがあった。
海外にずっといたのに日本語上手だよね、って褒められることが大人になって逆に増えたけどそれは確実にJapaneseのクラスのおかげだと思っている。先生と学校に感謝。
ちなみに私のいたEnglishの授業とJapの授業は言語レベルとしては同一で、ただ違う言語で違う課題本を読んで似た論文をひたすら書く感じだった。・・・おや?なかなかハードですね?
(お陰でG10の時、自分が見聞きした噂話が一体何語で聞いたのか、そしてそれを私は誰に何語で話したのかが全くわからなくなったことがある。あと平仮名の「ぬ」を急に忘れて書けなくなった・・・電子辞書でひらがなを引いたの、生まれて初めて 笑)
全教科容赦なしに宿題課題がばんばん出される日々で、G9は思い返せばそこまでだったにしろ当時はもう一生ひーひーだった 笑 (多分今後書くけどその後IBというプログラムが始まったらそれはそれはもー大変だった)
どんどん就寝時間は0:00を超えていくし全学年みんな1:00でもオンラインになってる人がたくさんいて、よくお互いに嘆いてた。あーーーーあと200字!!こっちは今500字かいた!!うぇええ何について書いた?!みせてーーー😭😭
クラス分けで提出物の期日がずれてたりするから、仲良い子から課題のファイルを送ってもらったり。
栗なんか「もうこれ以上できる気しないから明日ホームルームの時間にやる!もう寝る〜〜〜!」ってよく言ってた 笑
Historyは特に!資料集めが大変で、History取ってない全然関係ないHageが心配して一緒に資料を探してくれたことも。
インター通ったからって英語がペラペラになるわけではないし、日本語でも知らない単語を英語で初めて聞くような学校での日常。
英語が第一言語じゃない子は特に電子辞書片手に単語のインプットから入るのでそれはそれは苦労したと思う。
私はミドルスクールの時点で日本語の単語と英単語を結びつける作業(例:Apple=りんご)が非効率ということに気がついて電子辞書はほぼ封印状態だったんだけど。
なのでお陰様で日本語の単語も知ってるのに英単語とイコールで紐づいてないからどうやって訳すのかわからない言葉がいっぱいある。
Aparatusとか普通にLab report書くときに使ってたけど、日本語でなんていうのか知らないよ?
英語の説明もなしにどんどん授業が当たり前に進んでいくんだから、それにみんなよくついていったよなと感心しちゃう。だってShakespeareなんかネイティブでさえ何言ってるかわからない古文なのにパッと渡されて論文を書け。って言われちゃうんだから。
※流石にShakespeareはネイティブクラスのみ
これ、理解できる人いらっしゃる?↑
きっと気づかないところでストレス受けてた子はいたんだろうと思う。
一緒のクラスだった日本人、韓国人、中国人、その他非ネイティブのみんな、よくがんばったね🥹 笑
苦労話がしたいわけじゃないけど、どうしても特異な環境だった分、誤解もされやすいから。当事者として書きたくなったトピックでした。
さて、またタイムライン作りに専念しよーっと 笑