自分を好きにならなくても、自分を受け入れることはできる
自分を受け入れること=自分を好きになること
だと思っていた。
けれど、そうである必要はないと気づいた。
「良いか悪いかは知らんが、私は私だ」
こう思えるだけで十分だ。
自分のことを「良い!素敵!」と思えなくても、自分のことを好きになれなくても、自分のことを受け入れることはできる。
その先で自分のことを好きになりたいなら、そうなれるよう行動すればいい。
私はずっと自分を好きになろうとしてきた。そのために本を読んだり日記を書いたりアファメーションをしたりした。
その結果、たしかに以前よりは自分のことを好きになれたけど、理想には程遠い。
理想が「自分の100%全てが大好き!」だとしたら、今の自分好き度は20%くらいだ。
100%にするために、先程書いた方法も続けたが、だんだん苦しくなってきた。
いつまで経ってもパーセンテージが上がらなかったからだ。
自分の嫌いなところやダメだなと思うところは小さいことも含めたらキリがなく出てくるし、それを改善しようとしてできなかったらさらに自分のことが嫌になる。
これは、自分を好きになることや自分を素敵と思えることが正しく良いことで、自分を嫌いなことやダメだと思うことが間違っていて悪いことだという思い込みのせいで起きていた。
何が正しくて何が良いかを判断しているから、そうでないものは間違っている、悪いことだという判断も生まれてしまうのだ。
そう気づいたきっかけは、ぐっちさんのあきらめラジオに出演したことだ。
私は「普通の人」になることをあきらめた。
恋愛感情がよくわからなくて、恋愛や結婚をしたいとも子供が欲しいとも思わない。
「子孫を残す」という普通の人には備わっている人間としての本能が私には欠けている。
そんな自分を良いと思っているはずなのに「良い」と言い切れない。
このようなことをラジオで話した。
そして、ラジオを終えて最初に出てきた言葉が
「良いか悪いかは知らんが、私は私だ」
だった。
その言葉の中には「はいはい、どうせ私は欠陥人間ですよ。わかってるんだからほっといてよ」という気持ちがあった。
そして、すでに自分を受け入れているということに気づいた。
ラジオの中で、欠陥を罪だと言う捜査一課長と、罪を認めたくないのに無実を示す証拠を出せない私という構図で話した。
証拠を出せないのは、恋愛や結婚、出産に興味がない自分でも良いと思っていることは事実だけど、良くないと思っていることも事実だからだ。
親に孫の顔を見せてあげられなかった罪悪感もあるし、友達と恋愛の話になった時に上手く乗れなくて白けさせてしまったり、「あの恋愛ドラマいいよね!」「あのラブソング素敵だよね!」と言われても相手が期待するテンションで返せなかったりすると、やっぱり私ってダメなんだなと思ってしまう。
自分のことを「良い」と言い切れないのは、自分を受け入れているつもりでもそうではないからだ、受け入れられていたら「良い」と言い切れるし、「私ってこんなに素敵なんです」「私は私のことが好きなんです」と言って、捜査一課長の言い分を跳ね返せるのに…
そんな気持ちで話していた。
しかし、ラジオを終えてからふと思った。
結婚して子供を産むのが正しいって誰が決めた?
正しい/間違っているというジャッジをしているから、こんなに苦しんでいるのでは?
自分を好きにならなければいけないと思い込んでいるから、そうなれない自分を責めているのでは?
世間的には、結婚して子供を産むのが正しいとまでは言わなくてもそれが当然だと言う人は多い。
現に、「女性なのに子供を産みたいって思わないの?」「人間なら子供が欲しいと思うのは当たり前だよ」と言われたこともある。
けれど、結婚して子供を産まなければならないなんて法律は無いし、自分を好きにならなければ幸せになれない訳でもない。
私の周りが「結婚して子供を産むのが当たり前」と考える人が多数派だったり、「自分を好きになると幸せになれるよ」という発信を多く見ていたりするから、多数派になれない自分のことをダメだと思い込んでいるだけだ。
そう気づいた時、肩の力が抜けた。
どう足掻いても、私は普通になれない。
過去に婚活もしたし、なんならコーチングとの出会いも婚活だったし、普通になろうと頑張った。それでも結婚したいとも子供が欲しいとも思えるようにはなれなかった。普通にはなれなかった。
普通の人になることをあきらめた。
これはつまり、普通の人になれない自分を受け入れたということでもある。
約4年前のことだった。
4年前から私は自分のことを受け入れていたのに、自分を好きになれていないから受け入れられていないと思い込んでいたのだ。
自分を受け入れるために自分を好きになる必要はない。
好きなところも嫌いなところも全部ひっくるめて私だし、そこに良いも悪いもない。
そのような考えで2ヶ月間過ごしてきて、自分を責めることが減った。
ラジオ出演前は、発信したいのに睡魔やプレッシャーに負けて発信できない自分を「なんてダメなやつなんだ!」と責めていたが、出演後は「ダメかどうか決めなくてもいい」と思えて楽になった。
フリーランスとして独立したいくせに発信しないのはダメだという見方もできれば、自分の心身の状態を大切にしているという見方もできる。
どっちが良いとか悪いとかはない。その時の自分が選びたい方を取る。
私は後者を取って、発信のことは一旦忘れることにした。
「発信しなくては」という思いでいっぱいだった頭を空にして、ライブに行くことや着物を着ることなど好きなことをとことん楽しんだ。
その結果、もっと楽しみたいからやっぱりフリーランスになりたいし、そのために発信しようと思えるようになり、この記事を書くに至った。
自分を受け入れることが難しいことも身をもって理解している。
私がどうやって自分を受け入れたのか今後の記事で書いていきたい。
自分を好きにならなくても、自分を受け入れることはできる。
とにかくこのことだけは、この記事を読んでくれているあなたの心の片隅に置いてもらえると嬉しいです。