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高村光太郎詩集より『声』

詩をほとんど読まない自分が感銘を受けた一遍


高村光太郎について自分が知りうる情報といえば、彫刻家であり詩人、奥さんは『レモン哀歌』の智恵子さんで、どちらかというと無骨で厳格な人物を想像していました。彼の彫った手の彫刻を美術の教科書で見た時は、そのあまりの美しさに、自身の手でその形を真似しようとしました。(あの作品は恐らく大人の女性の手をモチーフにしており、当時子どもだった私では再現が難しかっただろうなと、今になって思います。)

詩については、『道程』が有名かと思いますが、
その他にも多くの詩を書かれており、読み進めるうち、彼の人物像が自分のイメージとは少し違って見えてきました。(因みに『道程』は彼が初めて出した詩集の表題であり、その中の一遍として収録されています。)

今回は彼の第一詩集『道程』より、以下の詩を引用してご紹介します。
※出典:『日本の詩歌10 高村光太郎』中央公論社出版(昭和42年初版)(p.15-17より引用)


『声』
止せ、止せ
みじんこ生活の都会が何だ
ピアノの鍵盤に腰かけた様な騒音と
固まりついたパレット面の様な混濁と
その中で泥水を飲みながら
朝と晩に追はれて
高ぶつた神経に顫へながらも
レツテルを貼った武具に身を固めて
道を行く其の態は何だ
平原に来い
牛が居る
馬が居る
貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧が地面から湧いて出る
透きとほつた空気の味を食べてみろ
そして静かに人間の生活といふものを考へろ
すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い

そんな隠退主義に耳をかすな
牛が居て、馬が居たら、どうするのだ
用心しろ
絵に画いた牛や馬は綺麗だが
生きた牛や馬は人間よりも不潔だぞ
命の糧は地面からばかり出るのぢやない
都会の路傍に堆くつんであるのを見ろ
そして人間の生活といふものを考へる前に
まづぢつと翫味しようと試みろ

自然に向へ
人間を思ふよりも生きた者を先に思へ
自己の王国の主たれ
悪に背け

汝を生んだのは都会だ
都会が離れられると思ふか
人間は人間の為した事を尊重しろ
自然よりも人工に意味ある事を知れ
悪に面せよ
PARADIS ARTIFICIEL !

馬鹿
自ら害ふものよ

馬鹿
自ら卑しむるものよ

以上、いかがでしょうか。
初めの語りから一変して、後半に進むにつれ主張や口調までもが逆転する様に驚きませんか。
また歯切れの良く力強い言葉に、かっこいいなと思われませんでしたか。

ただ、実を言うとこの頃、高村光太郎は実際に弟と共に都会の生活に疲れ北海道への移住を試みており、精神的・経済的理由から呆気なく断念、東京へ戻ってきているのです。
急に彼のことが身近に、愛おしく感じられませんか。美しく綴られた言葉には表れていない、彼自身の葛藤や混乱、衝動的な感情が垣間見えます。
また彼は、自身から溢れ出る言葉を、自分に向けて投げかけているようにも感じられます。
(事実それについて言及した詩もあります)

詩というと、作者がみる情景や事象について、彼らの言葉のフィルターを通し味わうものだと思っていました。でもそれだけではなさそうですね。
また詩歌初心者としては、たった一遍の詩でこんなにも豊かな表現ができることに改めて驚きました。現代美術や政治経済の難解な本、心理学の教科書など、様々な人があらゆる方法で発信するメディアより情報量もずっと少なく、書かれた時代背景も今とは随分異なるはずです。ですがまっすぐ心に届くのが不思議ですね。(本人は読者に届けることを意図していないかも知れないですが)

私の拙い文章で恐縮ですが、もし高村光太郎の作品に興味を持たれましたら、次は『当然事』という詩を読んでみて下さい。
心が疲れた時、しんどくてベッドから動けない時、あとは雨の日などにおすすめです。

(追伸 何だか最後、ハーブティーを勧める店員さんのような口調になっていますが、お茶を飲みリラックスする様に、詩も楽しめれば)






『あたり前』

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