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『あなたが消された未来』

 妊娠中期の超音波検査には、楽しい思い出があった。第一子の時は性別を教えてもらえた。エコー検査とは違って、超音波検査ではいつもより時間をかけてじっくり赤ちゃんの様子を見ることができる。お腹の赤ちゃんは元気に動き続けている。
 もしも性別が分かったら、行きつけのケーキ屋さんでケーキを買おう。女の子ならイチゴのケーキ、男の子ならチョコレートのケーキだ。上の子には大好物のフルーツを買って、今夜はみんなでお祝いしよう。
 そんな楽しい想像をしながら、赤ちゃんの様子を見ていられることの幸せ。
 しかし、検査終了後、先生はどことなく居心地が悪そうにしていた。「大変申し上げにくいのですが・・・お子さんは、ダウン症かもしれません」。

***

ローラのことをどう考えればいいのかわからない、あの子に、単なる一症例ではなく、余分な染色体ではなく、ローラであってほしい、私の娘であってほしい、と言ったことを覚えている。(省略)ローラに、医学の問題の寄せ集めであってほしくない、彼女の人生のほんの一部だけでも、生(き)のまま残されていてほしい、と訴えた。

『あなたが消された未来』p.3

 これは、第二子がダウン症であると判明した一か月後に、ジョージ・エストライク氏が、旅行先で友人に語った言葉である。『あなたが消された未来――テクノロジーと優生思想の売り込みについて』(みすず書房、2021年)の序章で語られるこの告白は、本書を通して、(明示的にではないにせよ)形を変えて繰り返し現れることとなる。

 ダウン症、という言葉を聞いたときに、あなたはなにを思い浮かべるだろうか。
 私なら、まずはその相貌が思い浮かぶ。例えば、半月のような切れ長の目。気恥しそうな笑顔。どうしてだろう? 漠然と、彼ら/彼女らには控え目で物静かな人々という印象がある。それらはもちろん、ダウン症の人々と今まで一度も直接関わることのなかった、私の偏った印象にすぎない。

 著者は言う。「彼らの不在は顕著で、集団としての特性ばかりが示されている」(p. 239)。ダウン症の人々のことを思い描くとき、多くの人が身体的特徴や情緒面での特性(らしきもの)に言及する反面、具体的な個人の姿を思い浮かべることは困難だという。なぜか。それは単純に、彼ら/彼女らと関わったことが少ない、という経験の欠如によるのだろうか。著者はTEDトークにおける、ある定式を用いて考察を加える。


 アディーチェはここで、西洋の人々はアフリカの人々を「シングルストーリー(単一の物語)」の中に押し込めており、その偏った見方はアフリカの人々の多様性を看過させる、と批判する。彼女の講演は、講演内容だけでなく、彼女の謙虚な姿勢からも好感の持てるものになっている。アディーチェは、そうしたシングルストーリーを自らも内面化していたことがある、と講演の中で告白している。異なる国の人々だけでなく、同じ国の異なる生活を送る人々に対してすら、人は意図せず偏った理解をしている可能性が存在する。

 この、シングルストーリーという定式は、アフリカだけでなく知的障害に当てはめることができる、と著者は言う。「シングルストーリーは集団の特性を強調し、そうすることで、個々のアイデンティティと状況を消し去る。それは不可視性の一形態なのだ」(p. 240)。ダウン症の人々は、ダウン症ではない人々から「不可視」の存在とされている。彼ら/彼女らは、私たちの想像の中でのように、ことさらに慎ましくひっそりと生きているわけではない。単純に、私たちが彼ら/彼女らに目を向けていないだけである。
 
 本書で繰り返される「不可視性」や「不在」という言葉は、「ローラに、医学の問題の寄せ集めであってほしくない」という、筆者の身を切るような痛みの声のバリエーションである。本書は、「不可視」の存在とされているダウン症の人々が、新型出生前診断などの生殖技術の革新のなかで更なる窮地に追い込まれる可能性について告発する。彼らの存在は、やがて私たちの視界から「消され」、最後には「絶滅」させられてしまうのかもしれない――マンモスやリョウコバトやフクロオオカミは、ゲノム編集技術の発展によって、絶滅という長い眠りから目覚めさせるための試みが行われているにも関わらず?

私にとって本質的に重要なのは、テクノロジーではなく、そのテクノロジーを支持するうえで引き合いに出される、一部の人々に対する思い込みだ。ローラが世の中でうまくやっていき、居場所を得るには、彼女には居場所があると人々が信じていなければならない。 

p. 253



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