絶望の中から見えた一筋の光
それは元気だった父が手術を終えた3日後だった。
【お父さんがご飯をなかなか食べないの】
母からの電話。食事を終えるまで1時間もかかるとの電話だった。
無理に食べなくても。という思いの裏で「食べなければ回復しない」という風習。
大きな病気もなく、入院もしたことがない父はいつかは回復するはず。その思いから帰宅した夜。
「腸炎から誤嚥性肺炎をおこし、耐性菌と現在戦っている状態です。」
一夜にして襲った出来事。人工呼吸器をつけた変わり果てた父の姿からは
言葉で話すこと、
言葉として伝えるコミュニケーション全てを失うことになった。
・・・・・・
若手ドクターたちは医療機器が少ない中。耐性菌に対して強力な抗生剤を投与し続けた。その反応で慣れない場所、慣れない環境。父の身体とこころには深い絶望と不安、悲しみがよぎった。
剣道をこよなく愛していた父は、武道をたとえてこう話していた。
【起こることはすべて自分自身に必要なこと。必要な学び】
命の危機を何度も乗り越え、そして人工肺のためのER(緊急救命室)での高度な医療も行われた。でも懸命な治療も父の回復は劇的には起こらずに。あるときから症状は副作用とのはざまで死を迎える準備期間となっていった。
ありとあらゆる話をする中で、若手の医師からは
【何とかしたい。でも現状の医療ではもう何も手立てがない。】
そう話す医師たちからは目に涙を浮かべた姿がそこにあった。
心のコミュニケーションを感じた場面だった。
ICUでもERでも。
できることはなんでもしたい!という心ある医療従事者の方々に恵まれた環境の中で父の大好きだった精油(アロマ)を使わせていただき、本来子供の入室が許されないERでも、特例としてかけあってくれた医療スタッフの姿がそこにあった。父は大好きな孫と共にできるだけの時間を過ごした。
【少しでもこころのケアを行っていくこと】【少しでも喜びがある生活を一緒に送りたい】その思いを医師もナースたちも。父に関わる全ての医療スタッフたちが結束してくださった。
父はペパーミントの香りをかぐと、いつも自慢そうに喜んだ。
【看護婦さんにも人気があると】
言葉として話せない、伝えられない父の身体からは、伝えられないもどかしさからストレスを抱え全身に怒りがこみ上げる日もあった。
でも、香りと触覚。その感覚は父の身体中の細胞が明らかに喜びにあふれる姿がはっきりと伝わった。私は涙が出るほどうれしかった。
【言葉を超えたコミュニケーションが今ここにある。】
警察官だった父は日本を動かした某政治家のSPでもあった。
幼少期から両親を亡くし義理姉に育てられた父は人情に厚く誇り高い人だった。
家族にも話すことができない重要な機密事項を胸にしまい、その悲しみを共有することもなく肺疾患で命を落とすことになった。中医学では、肺は【悲しみを抱える臓器】ともいわれ、大腸ともつながる臓器。まさに父の症状そのものだった。
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私自身、仕事に熱中しすぎ燃え尽き症候群、そして慣れない育児と義理父の介護から依存症も何度も体験した。失った自分自身を取り戻すかのように足を運んだワークショップ、学びの中で私を救ってくれたのはそこで出会った人とのご縁と、本当の自分自身がそこにあることの気付きだった。
植物や自然との共生を促す製油(アロマ)、古代からの学問である中医学、人間の生き方、命そのものを学ぶ中で自分自身を取り戻しながら、関わる人たちの姿そのものから【生きる喜びを感じたときに。人は内側から蘇る】ことを何度も目にするようになった。
喜び・悲しみと共に生きること
理学療法士でありながら中医学や、植物・大地からの叡智である精油、音楽療法で使われるライアーを奏でるようになり、スピリチュアルの学びからも多くの人達と出会うようになった。
西洋医学だけでは超えられない 命の尊厳、命の喜び。
それは決して現代の医学を否定することでなく、共に生きること=共生
私自身が医療者の一人であるからお伝え出来ること。そして父との貴重な体験を元に、必要とされる方々にメッセージをお伝えすることが天命であることをはっきりと感じ取るようになった。
◆医療者であるから伝わること。
そして
◆子供を育て。母として家族として。現実世界で地に足をつけて生きているからこそ伝えられるメッセージがある。
こうして私の旅は続いています♡
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