「創作と仕事」の壁をぶち壊す(1/6)【さらば、noteを書く理由(14)】
こんにちは、さらばです。
ここしばらく「さあ、ひととしての次元を上げるときがきた」から始めて、文書きとしての現在地、仕事人としての現在地を書き連ねてきました。
今回からは、いよいよ"わたしが考えたいこと"の本丸である「創作と仕事」の融合みたいなことについて書こうと思います。
創作と仕事は交わらないもの、だった
そもそもの話、わたしにとって長い間「創作と仕事」はほぼ交わらないものでした。
大学時代、わたしにとって創作は「心のままやるもの」で、そうでなければやる意味がないものだと考えていました。
反面、仕事というのは「自分のエゴを出すべきではないもの」でした。
要するに前者は好き嫌いだけでやるべきもので、後者は好き嫌いを持ち込むべきではないものという認識でした。
ある程度「誰でもそうじゃない?」と思うかもしれませんが、わたしの場合かなり極端だったと思います。
特に創作を始めたころは「売れることを考えるのは邪道」「その意味での技術を学ぶのもよくない」という考えでした。とにかく「感性に任せるべき」という曖昧な指標しか持たずに書いていました(今のわたしからすると、「そもそも感性ってなんだよ?」と問い質したいですが)。
それが、全て悪かったとは思いません。
「好き勝手に書く」という行為は、「長く続ける」というわたしの最優先目的にとっては存外役立ちました。18年以上書くことが嫌にならなかったのも、自分が書きたいものってなんなんだろう、と考え続けられたのも、「好き勝手に書く」という極めて純粋な創作体験が根本にあったからです。
また、そんなふうに創作で好き嫌いのエゴを発散させていたおかげか、仕事でエゴにとらわれることも(たぶん)ありませんでした。企画をしていると、周囲にはわりと好き嫌いで意見を言うひともいるのですが、わたしはそういうのを聞きながら「仕事なんだから良し悪しで判断しようよ」と思うことが多かったです。
ともあれこんなふうに、わたしの中で創作と仕事は完全に切り離されているものでした。
創作で培った文章力や推敲力など、局所的なスキルを仕事に生かすことはありましたが、考え方の根っこでは完全に分かれていました。
かつて、創作は"心の聖域"だった
実のところ、創作を仕事の考え方でやったほうがいいんじゃないか、と考えたことは何度もありました。それも、わりと早い段階から。
仕事で培った、
想定顧客を設定し、そこへ全てのベクトルを向ける。
伝えたい要素を整理し、要約的に大枠を構成してから細部を作り込む。
自分が伝えたいことよりも、相手の利になることを優先させる。
というような方法論を持ち込んだほうが、ある意味で質の高い物語がつくれるんじゃないかと考えたのです。
が、いつも出す答えは「それをやってしまったら、わたしの創作は終わってしまうかもしれない」でした。
わたしにとって創作は、わたしのためにやるものでした。
人生をより豊かにするため、自分の感情を見失わないため、死ぬまで続けることが最優先事項……そう考えたとき、仕事で身に付けたスキルを適用することは、表面的には良いことだとしても「初心を見失うリスク」が高過ぎるのではと思ったのです。
わたしにとって創作は"心の聖域"で、失うわけにはいかないものでした。
だから敢えて仕事で培った力とは切り離し、むしろ「こんな考え方、やり方で仕事してるやつがいたら怒るな……」という方法を取っていました。
壁を壊したくなってきた理由
そんなわたしが、「創作と仕事」を隔てる壁をぶち壊したくなってきた理由は、幾つかあります。
ひとつは、十八年以上続けてきたことで、わたしにとってすでに創作は人生の一部となっていることです。
この先余程のことがなければやめることはないだろう、と思えるくらいには自分を信じられるようになってきました(ただし油断すると危ないとは思っていますが……)。
だから今ならやり方を変えても大丈夫じゃないかと思うし、違うやり方を身に付けることは今ならむしろ「長く続ける」ことにとってプラスなんじゃないかとも思っています。
あとは以下のふたつ、創作面と仕事面から変化のきっかけを得たということが大きいです。
担当編集がいる状況で物語を作って、色々なことを考えた。
経営と戦略を学ぶ中で、色々なことを考えた。
で、こう書くと「色々なこと」ってなんだよという感じですよね?
というわけで、次回からそれらについて話していきたいと思います。
お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?