「創作と仕事」の壁をぶち壊す(5/6)【さらば、noteを書く理由(18)】
1~4はこちら。
物語における「順番」の重要性・1
前回、「戦略とは順番が重要だ」「物語も同じように順番が重要だ。それもふたつの意味で」と書きました。
今回はその続きですが、まず"ふたつの意味"を具体的に書きます。
物語の世界で起きる出来事の順番。
受け手に提示する出来事の順番。
例を出します。
浦島太郎について書くと、1はこうなります。
単純に、主人公である浦島太郎が辿る時系列の順番です。
このとき大事なのは「展開に破綻がないか」です。例えば1がなければ2も発生しません。1と2がなければ、亀が浦島太郎を竜宮城に連れて行く理由がありません。
5で玉手箱を渡される伏線(?)がなければ、7で開けることもできません。
また直接的には描かれませんが、6で「圧倒的な時間が経っている」ことと7で「一気に歳を取る」ことから、5で竜宮城側が玉手箱を渡した意図を想像することができます。
こんな感じで、時系列の中で起きる出来事の因果に破綻がないかどうかは、物語の質に大きな影響を及ぼします。特に「因果」が重要です。場面場面が必然性の高い因果論理で繋がっていればいるほど、物語の流れが阻害されず、(ファンタジーであっても)リアリティが増します。
前回わたしは、
と書きました。ここがまず、戦略と物語の似ているところです。
物語における「順番」の重要性・2
さて、もうひとつ「2. 受け手に提示する出来事の順番」という話をします。
先程の浦島太郎の例で言うと、物語で語られる順番は1~7のとおりですが、物語によっては作者が敢えて意図的に、受け手へ提示する順番を変えることがあります。
例えばこんな感じです。
勝手に太字部分を追加しました。
無理矢理入れたので時系列的な因果論理はむしろ弱くなってしまっていますが、この例では「なぜ乙姫は浦島太郎に(害となる)玉手箱を渡したのか?」という問いを前面に押し出す構成になっています。
こんな感じで、物語は必ずしも時系列どおりに進みません。
敢えて順序を入れ替えたり、一気に未来に飛ばしてあとから過去に戻ったり、段々過去に遡るという構成すらあります。
なぜそうするかというと、作者が受け手の感情をコントロールするためです。
コントロールというと嫌な印象を持つひともいるかもしれませんが、概ね物語に触れる側というのは、以下のような欲求を持っていると思います(敢えて単純化して書きます)。
もちろん全ての物語がそうとは思いません(日常系漫画とかはAとBの繰り返しが望まれるでしょうし、Dはジャンルによってはむしろ後味悪く終わらせるのがいい、ということもあるでしょう)。
ただどんなパターンにせよ、作り手は「退屈させず、AからDまで体験してもらう」ことを考えないと、特に今の時代は最後まで味わってもらえないことが多いと言われます。これが「受け手の感情をコントロールする」ということです。
時系列順に展開することでそれを満たせるならそのままでいいですが、時系列をいじるほうが効果的なら(A⇒B⇒C⇒Dに則れるなら)、敢えて物語として提示する「順番」を変えるほうがいいでしょう。
これはこれで、受け手の感情という軸で考えたとき、「この順番で出したほうが、受け手に喜んでもらいやすい」という意味で、必然性の高い因果論理を考える行為だと言えます。
"時系列軸"の順番と"受け手の感情軸"の順番……両方が高いレベルで成立している物語というのは、恐らく受け手にとって「面白い!」という感想になりやすいと思います(ただ、もちろんそれができていればどんなものでも、誰にでも面白いと思ってもらえるわけじゃないのが難しいところですが)。
そして「必然性の高い強固な因果論理」の有無が質の高さを決めるという意味で、戦略づくりと物語づくりは極めて近似するものだと思うのです。
と、いうことにこの3年で気付いた(体験した)わたしが、「じゃあこれからどうするのさ?」という話が、この話題のまとめになります。
そんなわけで続きは次回。
お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!