心はどこにあると思う?【物語と現実の狭間(1)】
高校から帰る途中のことだった。
とりとめもないことを話すのが楽しくて、その友だちとわたしはふた駅分を小一時間ほどかけて歩くのが習慣になっていた。
不意に雑談が途切れ、少しだけできた間へ滑り込ませるように、
「ねぇ。心はどこにあると思う?」
と訊いてきた友だちの隣を、わたしは自転車を手で引いて歩いていた。
とっさに思い浮かんだのは「ははぁ、なるほどこれは引っかけ問題だね。読んで字のごとく心臓と答えるのが普通なんだろうけど、ものを考えるのは頭だから……て、ことでしょ?」という凡庸きわまりない思考で、
「脳」
あろうことかそのまま口に出した。なんならドヤ顔気味で。
彼女は「ふぅん」と興味のかけらもなさそうな相槌を打って、また少し黙ってから「わたしはね」と、最初から言うつもりだったのだろう答えを唇に乗せた。
「ひととひととの間にあると思う」
貧しい感性、恥じるも難し
当時のわたしは彼女の言ってる意味がさっぱり解らず、適当に流した。正解が意図と違っていて不機嫌になったわけではないと信じたいが、ろくでもないやつだった自覚はあるので、自信はない。
わたしの気のない反応を彼女は淋しげな表情によって抗議しつつ、それからぽつぽつと「なぜそう思うか」を説明してくれたような気もする。が、よく覚えていない。聞いても理解できなかったのか、理解しようともしなかったのか。
もし今のわたしがその背後に音もなく忍び寄れるなら、自分の後ろ頭を横薙ぎにはたくか、あるいは高く舞い上がって背中に足跡を付けてやりたいと思う。
「おまえな、もっとちゃんと聞いとけよ。
その言葉、十年経っても思い出すくらい大事だぞ?」
実際は十年どころではない時間、わたしは彼女のことを思うたびにその言葉を思い出し、その言葉が浮かぶたびに彼女のことを思い出す。
そして今では、彼女はあの若さでずいぶん深みのある答えを持ってたんだなあと思っている。後年この話をほかの友だちにしたところ「おー、そんなこと言うひといたら、私は好きになっちゃうなー」という反応だった。
優れた感性を理解するためには、それに近い感性が要るということなのだろう。その意味で、わたしは自分の貧しい感性を恥じるどころか、貧しさに気付いてすらいなかった。
ろくに説明も聞かず、理解もできなかったくせに、その後わたしは彼女の言葉を何度も思い出した。あれはどういう意味だったのかと次第に考えるようになって、長い長い年月をかけ、彼女が言いたかったことがようやく少しは解るようになったと思う。
「自分以外のひとと関わると、いろんな感情が生まれるよね。
そういうのを、心っていうんじゃないかな?」
そんなふうに考えていたんじゃないだろうか。
心は現象
相手はひとに限らないと思うが、確かになにかと関わることによって、いろいろな感情が生じる。もし世界に自分以外のものがなにもなかったら、心というものは存在しないかもしれない。
悲しいのも、苦しいのも、苛々するのも、嬉しいのも、楽しいのも、気持ちいいのも、全部"自分以外のなにか"があって初めて成立する。
となると、心は物質ではなく、現象だ。「心はどこにあるか?」ではなく「心はどこに生ずるか?」というほうが、問いとしてはふさわしいかもしれない。
いずれにせよ、わたしはなにもこれを「真理だ」と主張する気はさらさらない。正しさの証明もできないし、する意味もない。そもそも「彼女はこういうことを言いたかったんじゃないか」と思っただけで、自分もそう考えるようになったと言っているわけではない。
ただ、素敵な考えだなあと思う。それから当時、目の前できらきらしたものを見せられていたのに、その価値にこれっぽっちも気付かず素通りしてしまったわたしの情緒のなさにうんざりする。
彼女とはもうずいぶん会っていない。
最後に話したとき、彼女は大きな災害の被災者で、何年かぶりに聞いた電話の声は震えていた。
怪我はないようだったが、わたしは彼女が一歩間違えればいなくなってしまっていたかもしれないという事態がとっさに処理できず、うまく声が出せなかった。適切な言葉も見つからず、無理矢理絞り出した声は届いたのかどうかも解らない。どうにもならない"遠さ"があった。
あれからまた時間が経って、わたしの身の回りもずいぶん変わった。変わっていないことと言えば、相変わらず文章的ななにかを書いていることくらいだ。
たまに……いや実のところ結構な頻度で、あの長い下校路を思い出す。あそこから今に至る彼女の道程を、これからの歩みを想像する。
そして「どうか」と思う。その先は「楽しくやっていて」かもしれないし「あの感性をまだ持っていて」かもしれない。手前勝手な思いではあるけれど、少なくとも不幸を願う言葉じゃない。
あのころ彼女と関わったことで、今もこんなふうに感情が湧き上がる。
わたしと彼女の間に、何度でも心が生まれる。
彼女はあのやり取りをきっと覚えてはいないだろう。仮に覚えていたとしても、わたしが覚えているどころか何度も反芻してきたとは夢にも思わないだろう。
もしいつかもう一度会うことがあったとして、
「心はどこにあると思う?」
とおもむろにわたしから問うたら、彼女はどう反応するだろうか。
「脳」
とドヤ顔で答えることはまさかないだろうけど、万一そんなことがあったら、そのときはめっちゃ、心、生じてしまうに違いない。