ハードワークは悪か?(1/2)【創作のための仕事論(2)】

のっけから質問です。

「あなたはハードワーク肯定派ですか? 否定派ですか?」

と、いうわけで、今回のテーマは「ハードワークは悪か?」です。
ひとりの仕事人として、そして創作者の端くれとして思うところを述べていきます。

そもそも前提がよく解らない

まず、そもそもの話で恐縮ですが……ハードワークってなんですか?

自分で振っといて訊くなよと言われそうですが、実はよく解ってません。
周りのひとに訊いてみたところ、

「長く働くこと?」
「仕事好きなひとがやること」
「昭和」
「根性論」
「ブラック企業」
「イーロン・マスク」
「仕事しんどい……」

などなど、なかなかバラエティに富んだ(?)回答が集まりました。
とりあえず印象として、

  • 一般社員層でポジティブな印象を持ってるひとは少ない。

  • 逆に、管理職以上の層ではポジティブな印象を持ってるひとが多い。

という感じでした。
これはまあ、なんとなくそうなるよなと思います。

いずれにせよ働き方改革が叫ばれ、ブラック企業が社会問題になるという世の文脈上、「ハードワーク」はニアリーイコール「長時間労働」という意味合いで認識されているように感じます。

ただ、一般社員が「(強制的な)長時間労働」という意味で捉えているのに対し、管理職以上は「(自主的な)長時間労働」という意味で捉えている気がしています。

そしてわたしは、この違いこそがハードワークを語るときの最も重要なポイントだと思っているのです。

働きたくないハードワーカー

とっかかりとして、わたし自身の話をさせてください。

わたしは基本的に「できれば働かずに生きていきたい」「毎日定時で帰りたい」ひとです。
十年以上社会人をやってるので、さすがに昔より慣れましたが、気を抜いたら一気に社会生活不適合者まっしぐらな自信(?)があり、未だにそう豪語(?)してます。

だけど、周囲のひとたちは誰も信じてくれません。

「いやいや、そう思ってる奴の働き方じゃないだろ」

といつも言われます。
そして確かにそう見えるだろうけども、という自覚はあります。

ですが嘘を言ってるわけではなく、わたしの中では矛盾もしていないのです。あ、もちろん誰かに強制されてるわけでもありませんよ?

やりたいことしかできない

わたしは退屈や我慢が苦手です。
苦手かつ、嫌いです。忌み嫌ってると言ってもいいでしょう。

つまらない学校の授業や講義を聞き続けるのは、がんばっても無理でした(面白い授業は好きです)。
飲食店やアミューズメントパークで「並んで待つ」というのも、耐えがたい苦痛です。
だから例えばひたすら単純作業を繰り返すような仕事に就いたら、三日ともたないと思います。

これでも一応矯正を試みたこともありますが、無理でした。単なる我が儘だと言われたら否定できないのですが、

「やりたいことしかやりたくない」

というより、

「やりたいことしかできない」

のです。明らかに会社員なんて向いてなさそうじゃないですか?

そしてこれが、わたしの「働き方」を決める起点になっています。

やりたいことしかできない企業人の生存方法

やりたいことしかできないわたしが、長く勤め続ける方法は、突き詰めるとひとつしかありません。
なんだと思います?

当然、「やりたい仕事だけ選り好みする」という方法では長続きしません。
また「やりたい仕事」がやれたとして、それを何年経ってもやりたいと思い続けられるかどうかは極論、やってみないと解りません。好きなことを仕事にするのが幸せとは限らない、とも言いますしね。


わたしの答えは、

  • 「あいつのやりたいようにやらせてもいい」と、周囲に思わせる。

です。

どういうことか?
わたしは、「やりたい」と思えるかどうかって、実のところ仕事の中身以上に、"自由度"にあると考えています。例えば、

  • やりたい仕事だけど、上司の言いなりになってやるしかない。

のと、

  • そこまでやりたいと思ってなかった仕事だけど、好きにやれる。

のとでは、どちらが「やりたいことしかできない」人種(わたし)に向いてると思いますか? はい、考えるまでもなく後者ですね。

この考えが仕事観の一番根っこにあるがゆえに、わたしは「働きたくないハードワーカー」と化しているのですが……次回はもう少しこの点を深掘りさせていただき、テーマに対する考えを述べたいと思います。


と、いうわけでお読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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