陰陽論~輪廻転生と限りある生と~
皆さま こんばんは。
玲月彩良(れいげつ・さら)です。
もう残暑厳しい9月も残りわずかな月末です。
皆さまは、いかがお過ごしでしょうか?
私は今日は、今年初の「栗きんとん」を食べました。
お砂糖と、栗をこした栗粉を合わせただけのシンプルな作り方なのに、どうして栗きんとんはあんなに美味しいのでしょうね。
何個でも食べたくなる美味しさですが、栗きんとんは大切に一つを少しづつ味わうのが、王道のような気がします。
東洋の占いの基本的な考え方に「陰(いん)と陽(よう)」の二元論があります。
この世の中の事象全てが「陰」と「陽」の二つに分けられるという考え方です。
「陽」は明るさ 強さ 男性 大きい 天 昼 太陽。
「陰」は暗さ 弱さ 女性 小さい 地 夜 月。
「陰」と「陽」は正反対の性質ですが、善悪や上下の差はありません。
陽は陰があるからこそ光り輝けますし、陰は陽がいるからこそ落ち着いた美しさを醸し出します。
陰と陽は、お互いを必要としており、どちらも存在しているからこそ、各々の存在価値が高まります。
人間は魂=ソウルと肉体=スピリットと両方で構成されているというお話を、最近伺う機会がありました。
ソウルは陽の気で精神を司るもの、スピリットは陰の気で肉体と五感を司るものなのだそうです。
ソウルとスピリットはどちらも転生が可能です。
ただ、転生するときは、違う組み合わせで転生するのがほとんどだそうです。
どんなに何度もソウルもスピリットも生まれ変わるとしても、今世で生を受けたソウルとスピリットの組み合わせは、今世限りがほとんどだそうです。
つまり、次に生まれ変わっても、まったく同じ「自分」にはなれないということです。
限りある生というだけでなく、転生している中でもたった一度きりの経験の大切な時間が、今の私たちが生きている今世なのですね。
そんな大切な人生を、他人の気持ちや評価を気にして、やりたいことができずにいるなんて、なんとももったいないと思いませんか?
自分と他人は全く異なる存在だということ。
物事の結果は一つでも、感じ方は人それぞれに違うこと。
自分にとって正しいことでも必ずも人は正しいと思う訳ではないこと。
逆に自分が許せないことでも、相手は何とも思っていないこともあるということ。
究極は、自分以外の人の気持ちは本人にしか分かないものです。
そして、物事には必ず「陰」と「陽」という二面性があります。
それならば、分からないことは、無理に分かろうとせず、自分自身のことに、エネルギーを使いたいものですね。
今世での自分の使命とは、自分らしい生を一生懸命に生きて楽しんで、まっとうすること。
さぁ、いつだって目の前には自分が主人公の舞台が待っているのです。