私の手放しノート②~批判の裏にあるもの
私が保険営業になる、と
友人のもとを1件1件連絡を取っていたときのこと。
私の勤める某生保は、入社時にお客様の引き継ぎがあるわけではないので、
文字の如くゼロからのスタートだ。
このときに、ほんとにいろんなことを経験した。
「頑張ってねー!応援するよ!」とノリ良く返してくれる友人ほど、
実際に着任して電話をすると音信不通になった。
話をする前に、
「私、保険変えられないから」と先制パンチを食らわす人もいた。(いや、なにもまだ話してないやん!(笑))
反対に、この人は話を聞いてくれないだろうなあ。そんなに仲良くなかったもんな。
という人が真剣に聞いてくれたり、紹介を出してくれたり。
最初断られたけど1年後に戻ってきてくれたり。
でも、ほんとうに新人の頃は話も知識も拙い中、「ああ、ピリカに保険の話をされるんやろな」と感じながらも
私との時間を取ってくれたお客様には、感謝しかない。
最初の3ヶ月で7~8キロストレスで痩せた。(そのあと取り戻したけど(笑)!)
前置きが長くなったが、このとき一番ショックだったことがあって、
見て見ぬふりをしながらも、常に私の心を刺していた。
今日手放そうと思う。
当時、友人のひとりが、
深夜にメールをくれた。
改行のない、長文のメール。
嫌な予感はというのは当たるもので、あまりいいメールではなかろうと感じた。
e-mailできた文章は、私への批判だった。
営業職についた私に対して、
「旦那と子供をないがしろにしている」
「みんながピリカのことを心配している」
「あなたは、今どこへ向かっているのか」
という内容がいろいろと書き連ねてあった。
しかも、その友人とは4~5年会っていなくて、
どこへ向かっているのか、といわれるほど最近の私を知っているのかな?という疑問も残った。
よからぬ雰囲気を感じた私は、すぐに電話をした。夜中だったけど、このままじゃ眠れなかったから。
彼女は、電話にでなかった。それから、メールをしたが、返事はこなかった。
心配してくれているなら、メールの返信くらいありそうだ。
たぶん、本当の目的は「調子にのるな」ということだったんだろうと今では思う。
あとからきいた話であるが、
そのときは彼女の精神状態のほうがあまりよくなかったようだ。
自分がつらい時に、誰かが新しいことを始めたり、SNSの宴席の写真に笑顔で写ってたりすると、心がきしむのはよくわかる。
でも、その気持ちをいきなりぶつけるのは、いかがなものだろうか。
ぶつけられた私のほうは、お世辞にも楽しいとは言えない心理状態。
昼は商談、夜は異業種交流会で付き合う幅を拡げろ、と所長から言われて
泣きながら、吐きながら、身を削りながら宴席でピースサインで写真に写っていたのだ。
私は、ほんとうに壊れそうになった。
ひとつは、私の住まう土地が田舎だからであろう。
女性が、ちょっと目立つことをすると途端になじられる。
それも、直接ではない「心配している」という文字で。
あれから10年ほどがたち、私は友人のほとんどの保障を預かっている。
だから、私は倒れない。
絶対に定年まで仕事は辞めないと思っている。
それは、彼女に対する悔しさからくる感情でもあった。
でも、もう手放そう。
人は変わる。変わり続けていく。
もっと楽しい、のびやかな気持ちで仕事を続けたい。
だから、新しい世界を私は作り始めたんだ。
ネガティブはひとつずつ、手放していこう。
あなたもつらかったんだね。
でもね、私もつらかったんだ。
笑顔を見せてる人が、心まで笑顔とは限らない。
私も気を付けるからね。
もう、それでいいじゃない。
お互いに、終わりにしようね。
ピリカグランプリの賞金に充てさせていただきます。 お気持ち、ありがとうございます!