他者性
短歌を始めたことで、描写するということを覚えた。
例えば「楽しそうに歩く子ども」。これはよくない表現。楽しそうと感じたのは私の主観なので、楽しそうと感じたのはなぜか、例えばランドセルを弾ませている様子なのか、足取りがスキップしているのか、その描写を丁寧に丁寧に書く。そうすると、感情は直接は書いていないのに、その情景が詠み手に伝わり、作者の感情が伝わってくる。それが描写。
これは散文にも大いに応用がきいて、簡単に感情をそのまま書かずに、なぜそう感じたかの描写を丁寧に描くことで写真や映像とはまた違う文章でしかできない表現ができる。それが楽しかった。
ある方に、私の文章は自分の世界の大きさに世界を合わせている、と指摘を受けた。他者性がなく、経験をこちら側に引き寄せてまるっとみせている。もっと自分を無にして解放して開いて、他者と向き合ってそこから見えてきたものを書くことで、前とは違うものが見えてくるのではないか、と。
ガツンときた。この数ヶ月、短歌をやっていないこともあるかもしれない。制限がないことで自由に散文を書いていたが、描写を失ってただ簡単にことばにできるものを書き散らかしていたのかもしれない。もう少しマインドフルに、自分と、他者と、世界と、子どもと向き合ってみたい。