ナカヤマサオリ

東京→鳥取/助産師/ことばと民藝がすき/4歳と1歳の子育て中/執筆業、聞き書きをときどき。 雛形〈私の、ケツダン〉執筆。鳥取県・大山町、伯耆町、境港市、日野町 https://www.hinagata-mag.com/feature/tottoriseibu

ナカヤマサオリ

東京→鳥取/助産師/ことばと民藝がすき/4歳と1歳の子育て中/執筆業、聞き書きをときどき。 雛形〈私の、ケツダン〉執筆。鳥取県・大山町、伯耆町、境港市、日野町 https://www.hinagata-mag.com/feature/tottoriseibu

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運命なんてものを、私は信じない。

「家族ってなんだろう」 それが知りたくて助産師になった。 家族のはじまる瞬間にたくさん出会ってきたが、 私にとって「あなたの物語」は、どこかリアルさに欠けていた。 そんな私が、ある日突然、母になった。 頭でわかっているつもりだった妊娠は、 決して皆から浴びせられる 「おめでとう」に応えられるばかりではなかった。 運命なんてものを、私は信じない。 これは、私がずっと知りたかった 「人が親になっていく過程」の記録である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自分

¥500
    • 一時保育が始まった

      下の子が一歳になったので、保育園の一時保育が使えるようになった。一人目の時も感じたが、基本的にこの一年間24時間赤児とずっと一緒にいたので、羽が生えたような気分だ。最後の一ヶ月くらいはこの日を待ち侘びていた。ついにこの日がきた。 上の子は町内ではなく、少し離れた森の幼稚園に通っている。車で15分ほどかかる送迎バスのバス停に行く前に、家から3分の保育園に下の子を送ることになる。違う園に通っているので、二人分の荷物を作る。上の子の幼稚園は弁当持参だが、下の子は給食。下の子はまだ

      • 箱入り娘をZINEという舞台へ

        初めて、自分のZINEを作った。noteやfacebookや紙の子育て記録や毎月作っていた短歌など、書き散らかしていたものをまとめ、新たに文章もいくつか書いた。それに伴い、noteに公開していた文章を引っ込めた。 いつでも誰でも見られたものを、ここでしか見られないものへ。これが付加価値というものか。逆に、いつでも誰でも見れたけれどほとんど誰の目にも触れなかった愛しいものを、大切におめかしして舞台に乗せてあげることで、思いを持った誰かへ届くかもしれない。 仲間たちがZINE

        • 中に入り込むことと、俯瞰して眺めること

          カニジルという、鳥取大学病院の広報誌の増刊号として、自分の住んでいる大山町での取材のアテンドの仕事をした。「エコ・医療に関わる、持続可能な社会」というテーマで、大山町の自然やそこで生きる方々の姿をポートレートという形で写真に撮るというものだ。 カニジルの代表でご自身もノンフィクションライターである編集長の田崎健太さんとプロのカメラマン大森克己さんが東京から来られ、私が大山町内を案内する。観光案内ではなく、人の生き様や文化、自然を、説明なしで写真のみで表現する、その案内人役を

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        運命なんてものを、私は信じない。

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          子どもの遊びに付き合うというあそび

          妊娠中、指が浮腫んで外していた結婚指輪を久しぶりにつけた。はめない状態に慣れていたため、授乳の度に、慣れつつある赤児の首を支える手つきの中でごろつき、違和感を感じる。これを当たり前につけていた頃は、まだこの子はこの世にいなくて、今と全然違う生活をしていたのだなと感慨深く思う。 赤ちゃん返りでオムツに逆戻りしていた3歳の上の子だが、ここ数日パンツに戻したところ、少しパンツに漏れるもののちゃんと「おしっこ出た」と言えて嬉しく思っていた。しかし、今日夫が仕事中に、私は赤児に授乳を

          子どもの遊びに付き合うというあそび

          立ち会い出産の記録

          分娩に立ち会った夫の発言が新鮮で、「痛いーと言っているうちは生まれなくて、本当に生まれる時は、雄叫びをあげて獣みたくなるんだな…。あの雄叫びは、普段生活している時には見ることのない姿で、3年前のお産の時以来だ」と言っていて、なるほどなと思った。普段は共感力がやや少なめで、もう少しもだえ加勢してほしいな…と思うことも多い夫だが、お産のように自分が全く常態でいられない場面で、冷静に眺めてくれている人がいるのもいいかもな、と感じた。 今回は、運良く3歳の上の子どもも立ち会わせても

          立ち会い出産の記録

          臨月日記・ガッカリの頸管長4センチ

          週に一度の妊婦健診。今回は、予兆をひしひしと感じていたので、鼻息荒く健診に臨んだが、頸管長39mm、児頭もまだ高く覚悟していたグリグリ(卵膜剥離)も届かないためできず、ということですっかり肩透かしを食らう。先生曰く、「ちょっと長すぎるくらいしっかり閉まってますね」とのことで頸管の熟化を促す漢方を処方される。グリグリでお産が進んで、帰りの運転中に痛んできたら連絡するからね、と夫に息巻いて家を出てきたのに、がっかりと安堵と複雑な気持ちになる。開き直って、倉吉時間を楽しむことにする

          臨月日記・ガッカリの頸管長4センチ

          臨月日記・子どもの描く絵

          3歳になったばかりの子どもの描く絵が、どんどん変化していておもしろい。 ペンだと色鉛筆よりも鮮やかな色で描けるのが楽しいようで、最近はペンを好んで選ぶ。(それに伴い、ヨギボーや布団などの布物をらくがきから守るのに大人は必死)一心不乱に塗りつぶすのが今のお気に入り。顔は、目、鼻、口はクリアに描けるようになり、これに眉毛や涙やメガネ、手足らしき縦棒がオプションで加わる。 これは、2ヶ月前にようちえんの親子キャンプで初めてキャンプファイヤー🔥を体験した直後にひたすら量産していた

          臨月日記・子どもの描く絵

          愚痴と対話のあいだ

          丸一日鬱々と過ごしたら少しパワーが充電されたのか、今日は急に思い立って、子どもと2人で1時間もかかる場所へ出かけることにした。そうと決まれば、今日中にやろうと思っていたことを午前中のうちに済ませるべくテキパキと動き出す。天気も良く、汗もかきながら作業を黙々とこなす。私だって、やればできる。このやる気さえ起きてくれれば、別人のように動けるのだ。オンとオフの差が激しすぎて、自分の気持ちが追いつかない。 当日券で見ることができた公演は素晴らしく、ここへ来る決断ができた自分を褒めて

          愚痴と対話のあいだ

          ママの第3形態

          2歳の子どもが我々親を呼ぶ呼び方が、「ママ、パパ」だったのが、「ママちゃん、パパちゃん」にいつの間にか変化した。おもしろいなと思っていたら、最近「まーちゃん、ぱーちゃん」にさらに進化した。「まーちゃん」。サオリという名前の自分にとって、今まで呼ばれたことも呼ばれる予感すら一ミリもしなかった名前で呼ばれ、なんだかむず痒く、地味に嬉しい。 かつて、まみちゃんという友人が「まーちゃん」と呼ばれていて、なんてかわいくて甘い呼び名だとひそかに憧れていた。その呼び名で、自分が呼ばれる日

          ママの第3形態

          にしゃい、おめでとう

          子どもが、2歳になった。 「今いくつ?」と聞くと、手を1にして「いっしゃい!」と満面の笑みで言う我が子。「今いくつ?」の質問の意味をわかっているというよりは、こう言われたらこう答えるものだと信じ切っている様子だ。誕生日の前前日くらいから、ちょっとずつ練習しようと思い、「今いくつ?」と聞いて「いっしゃい!」と言って出したその手から、中指をひっぱり出し、「もうすぐ、2さい、ね」と言ってみる。無言の時間が数秒間続き、小さな声で「にしゃい……」とつぶやいている。「そうそう、2歳ね。じ

          にしゃい、おめでとう

          私の時間を搾取しないで

          「私の時間を搾取しないで」。 自分の意思に反して自分の立場や肩書きや活動が一人歩きして、私生活まで侵食してくることに、怒りが湧く。住んでいる地域に自分をひらくことは形式上しているが、申し訳ないが全ての民にひらいてはいない。見ず知らずの人が、個人的な相談をSNSを用いて直接してくるなんて、お門違いも甚だしい。 オフィシャルとプライベートの境界線が曖昧になることで、ストレスが増えてきた。「私の時間をどれだけ使えば気が済むの?」という感情が湧く。何様だろう、と自分を叱る自分もいる

          私の時間を搾取しないで

          『太陽の子』を読み返して出会った、昔の自分

          灰谷健次郎さんの『太陽の子』という小説を読んだ。小さい頃から何度も読んだ本で、今度開催する読書会のお題になったので、久しぶりに読み返した。私の希望で選んだ本で、やや子どもっぽいかなとも思ったが、最近参加してくれる医学部の学生さんは本を読まないようで、あまり難しい本よりも読みやすく内容の良い本を読む経験を、と考えての選書だ。 灰谷健次郎さんの生き様は、私の人生に少なからず影響を与えている。もともと小学校の教員で、心を病んで、旅などをした果てに沖縄に移り住み、悠々自適な自然と近

          『太陽の子』を読み返して出会った、昔の自分

          おにっこちゃん

          1歳10ヶ月の子どもが、背後でなにか同じことを言い続けている。本を読んでいた私は、話半分で適当に流していたが、あまりにしつこくリピートしているので、集中して子どものことばに耳を傾ける。すると、聞こえてきたのは、「おにっこちゃん、どこいった?」。おにっこちゃんて、なんだ? おにっこちゃん、おにっこちゃん……自分も一緒に呟いてみて、もしやと思い、「お人形さん、どこいった?(のこと?)」と聞いてみると、「おにっこちゃん、どこいった?」と続ける。そうかそうか、お人形さんか。 さっ

          おにっこちゃん

          ことばの入力と出力

          1歳10ヶ月の子どもが、音の出る絵本を2冊使って「ぞうさん」の輪唱をセルフでやっている。このボタンを押すと「ぞうさん」が流れて、違う本のこのボタンも同じ「ぞうさん」が流れると認識していなければできないことだ。すごい。 年季が入ってきた本なので、押してもならない曲がある。「ゴンベさんの赤ちゃん」のボタンを押したのに音が鳴らず、何度も押しているうちに一つ下の「女々しくて」が流れ出すと、地団駄を踏んで怒り出した。このボタンを押すと「ゴンベさんの赤ちゃん」が鳴るはずで、今鳴っている

          ことばの入力と出力

          ことばの爆発期

          「おちゃちゃ、のむ?」 お茶ちゃ、飲む?と私がよく聞くからか、最近の子どもの口癖はこれだ。「飲む?⤴︎」と、語尾を上げずに「飲む↓」と言えば良いのだが、この言葉を言うとお茶がもらえることを学んだためか、連発している。 今日は、自分の顔をつまむ動作をして、私にはい、と差し出していた。アンパンマンが、お腹を空かせた仲間に自らの顔の一部をあげるように。ありがとう、と受け取り、ぱくぱくぱく、と食べる動作をする。そして、私も自分の顔をつまみ、はいどうぞ、と出してあげると、子どもも同じ

          ことばの爆発期