いつまでたっても、わたしは未熟な親なのかもしれないけど、
わたしは、優しくない。
子どもの方がなんと優しいのだろう。
一人でいたら気付かなくてもよかったのに……。
子どもを育てていると、つい狭くて真っ黒な自分の内面や部分を見てしまうことがある。
「なんて、心が狭い人間なんだろう」
「なんて、子どもっぽくて自己中心的な人間なのだろう」
改めて、知ってしまう自分の嫌な部分に落ち込む。
未熟な親だな。母親失格だな。
子育てしていて辛いことの一つに、嫌な自分と直面してしまうことがある。
一人で生きていたら、多分気付かなくてよかったこと。大人だけの世界なら、上手く隠して誤魔化せただろうのに。
良い部分の自分だけを見せて、都合よく振る舞えたかもしれないのに…。
そんな部分を否応なしに炙り出されるのが、家族関係なのだろうと思う。だからこそ、家族関係は難しい。素のリアルな自分と対峙するハメになるからだ。
たくさんの感情が生まれるのが家庭での場面。
「今だけ」の感情に集中すると、うっかり永遠に続くのではないか……と絶望的な気分になることもある。
終わりがない、トンネルの中にいる気分。
しんどい。しんどい。
疲れた。疲れた……。
頭に浮かぶ感情が、ロボットみたいに単調なものに支配されることもある。
だけど、多分悪いことばかりではない。
自分以外の人間も密接に関わる分、幸せなことや嬉しいことも、その倍以上たくさんある。
特に、一人の人間が成長する瞬間を直近で見ること。
昨日できなかったことが、できるようになるのを見ると、自分のことのように嬉しい。
「ママ、ぼくはママがだーいすきだからね」
「ママ、がんばってね」
「ママ、ありがとうね」
ニコニコと、まだ邪気のない目で笑いかけてくれる。ひどく叱ってしまった後でも、しばらくするとニッコリと近づいてくる。
わたしの、4歳の息子。
最近は、少し大きくなったわたしのお腹に向かって、
「あかちゃん、げんきー?おにいちゃんだよー」
「ぼく、産まれたらだっこしてー、おせわしてあげるからね」
と少し得意げに、ニコニコしながら話しかけている。
すっかり、息子はお兄ちゃんになるのを楽しみにしているようだ。
また、ショッピングセンターなどであかちゃんを見かけると、「いないないばぁ」をしてあかちゃんを笑わせている。
ジンと、心が温かくなる。
お腹をヨシヨシと、手で優しくさする息子の頭を、わたしがまたヨシヨシする。
数年前は、ただ泣き喚くしかできなかった赤ちゃんだったのに。
今はわたしを励ましたり、これまでの人生で言われたことのない言葉や感情を気付かせてくれたりする。
自分だけでは気づけなかったこと。
その度に「あぁ、なんてわたしは未熟なのだろうか。子どもの方が、純粋に愛が深いじゃないか……」と毎度ながらに反省する。
こうした日々の繰り返しで、子どもも、親も成長していくのだろう。
まだまだ、きっと続く。
「ママはね、怒ってしまうこともあるけど、どんな〇〇くんでも大好きだからね」
「うん。しってるよ」
コクっとうなずいて、眠りにつく息子。
毎日、寝かしつけのときに子どもに伝えること。
感情的になってしまった日はもちろん、そうでない日も伝える。
とはいえ、子どもの優しさにいつまでも甘えてはいられない。子どもの心はどんどん成長するし、少しずつ客観的に母親を見られるようになるものだ。
だから、もっと明日からは穏やかに……
毎日心で誓いながら、わたしも眠りにつく。
毎日同じような反省と、決意の繰り返し。
多分、親である以上はずっと続くのかもしれないが。
だけど、変わらない気持ちは伝え続けたい。
子どもが生まれてから、いったいどちらが子どもか分からなくなる日々だ。
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