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4才から学んだ、「人を思いやる気持ち」
人には、同じ経験を味わった人にしか分からないことが存在する。
自分が何をするにしても忘れないようにしていることの一つだ。
確かに、自分のことすらよくわからないのに、人のことを完全にわかることは、難しい。
だけど、同じ経験をしていないからってチカラになれない、なんてことはないと今は思う。
相手を想像して、思いやりを持った言動は誰でもできる。
人間だけにできること。相手の言語化していない心境や背景を、想像して考えること。
誰でも持っている、優しい、あたたかい気持ち。
思いやり、だと思う。
*
先日、体調悪くて寝込んでいた日のこと。
「ママ、だいじょうぶ?よしよし」
と4才の息子が頭をなでてくれた。わたしが、多分無意識に息子にしていた言動なのだろう。
「ああ、子どもって、本当によく見ているのだな」と、あたたかい気持ちになった。
息子には、多分わたしが今感じている痛みの詳細までは、わからないだろう。
だけど、誰かを心配する気持ちはあり、息子の中で芽生えているのだなぁ……と感じた。
こんなに小さくても、あたたかい心が育っているのだ。
嬉しくなった瞬間。
わたしの痛みは自体は消えないけれど、それ以外にあたたかく、嬉しくなった。
最近の忘れられない一コマだ。
*
誰かのチカラになりたい。
だけど、自負には同じ経験をしていないから無理だ。資格がない。わからない。
目の前で苦しそうな人がいても自分にはどうしようもできないとき。助けられないとき。
わたしはかつてそう感じていた。
だけど、そうではないのだと今は思う。
確かに、完全に理解することはできないけれど、寄り添うことはできる。
それは、今だけを見ると対して効果がない、意味がないのでは?と不安になってしまうけれど。
ちゃんと、相手には届いていることもある。
すぐかもしれないし、数年後かもしれない。
もしかすると、届いていても本人もまだ気付いていないのかもしれない。
だけど、人が人のことを想像する、思いやり。
現に、そんな周りの人のおもいやりの言動に、わたしは辛いときにたくさん助けられた。
「わたしがあの出来事を乗り越えられたのは、あの人のあの言動のおかげだ」
「何気ない、あの言葉に支えられていた」
と今になって理解できることが大人になった今、数え切れないほどある。
今だって。
今回は、4才の息子に。
大人になっても誰かを想像する「思いやりの心」。
これからも持ち続けていたいな、と我が子を見ていて思った。
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