「言語ほどあやふやなものはない」共同体験は言語を超える。
言語ほどあやふやなものはない。
言語化しようとする、伝えようとする努力は必要だけど、言語化が全てはではない。
言語だけでは伝えきれないものをオンラインイベントでみんなと体感したい。体感したことを全ては伝えきれないけど、伝える努力をしたい。
そのためにレポートを書く。
糸島二丈にある小さな本屋さん、『本屋アルゼンチン』。
360度カメラに映し出される3人は、株式会社ヌーラボ代表取締役の”橋本さん”、合同会社こっからの”なおきさん”と”デビさん”だ。
ゆったりとした空間の奥に、暖炉の炎がゴウゴウ燃えている。
マグカップの珈琲をすすりながらリラックスした様子の3人。
そろそろイベントが始まるが、そこに張り詰めた空気は感じない。
暖炉の炎もあいまって、ゆるく暖かな空気を感じる。
まもなく、橋本さんの1冊目のビジネス書、『会社は「仲良しクラブ」でいい』の出版記念イベントが始まる。
LIVEの冒頭、進行役のデビさんが言う。
「今日は本の内容には触れない。その替わり、本の内容を体現する」と。
結論、今回のLIVEを通して、言語だけでは表現できないものを体感することができた。
即興演劇なオンラインLIVE
LIVEを視聴する人は、”視聴者”ではなく、LIVEを共に創る”共演者”である。
今回のLIVEに参加して、そう感じた。
プツップツッと途切れる音声。現地の3人の会話は、虫食い算的に言葉が飛ぶ。
何が起きるか?
LIVE視聴者が自分たちで会話を想像し始める。
人間は答えを欲しがる生き物。
橋本さん、そこで何て言ったの?!
自らが考える。
決まったアジェンダはなく、現地で対話する3人も即興で話しを進めていく。
「組織の嫉妬心をどうすればいい?」
質問に答える橋本さんの声がプツップツッと途切れる。やがて何も聞こえなくなった。映像も止まっている。LIVE視聴するこちらは、懸命に声を聞き取ろうと前のめりになる。それでも声が聞こえない。YouTubeコメント欄の「音声が聞こえない」のコメントを見て、聞こえないのは自分だけじゃないと安心する。現地で橋本さんが、パソコンを触りあれこれ試してくれているようだ。映像・音声が動き出すまでの時間が生まれる。
間(ま)は人に思考の隙を与える。
YouTubeコメント欄には、「アンサーは自分で考える?」とのコメントが。
問いに対する回答を待つのではなく、視聴者が自分で考えようとの流れができた。
しばらくして音声が戻ってきた。
「嫉妬する人には出ていってもらうしかないね〜」と笑いまじりの回答が。
音声が途切れた間、どんな会話があったのかはわからない。
そこに正解はないのだろう。
この出来事からの学びがある。
LIVE視聴者は、観客として情報を受け取るだけではなく、そこにある問いに対して、登壇者と共に考える共演者である。
LIVE配信中に”音声が途切れる”という共同体験を通して、視聴者は視る人ではなく、演者として演劇に加わった。インターネット回線を通して、現場の3人や遠く離れた参加者と一つになれた気がした。
この感覚を味わうためには、一緒にその場を楽しもうとする気持ちが必要だ。
受け身ではなく、当事者でいようとするかどうか。
私がLIVEに参加している間、娘のゲーム相手をしながら、時折LIVEを見ていた夫は、コマ切れで入ってくる情報についいけなくなり、訳がわからなくなっている様子だった。同じ場所にいるだけでは、一体感は味わえないのだ。
「楽しんで取り組めばなんでも楽しくなる」と本にもあるが、予期せぬ通信トラブルをも、参加者みんなで「これ、どうなるどうなる〜」と楽しんでいる気がした。その場を楽しめているのは、楽しもうとする気持ちがあるからだ。
言語ほどあやふやなものはない
赤ん坊として生まれた時、人は言語を話せない。だから泣いて笑って想いを相手に伝える。赤ん坊に対しては、大人も”いないいないばあ”をしたり、”高い高い”や”こちょこちょ”とくすぐったりして、言語ではない方法でコミュニケーションをとろうとする。これは一緒に体験しているのではないか。
やがて成長し、幼児くらいになってくると、
「自分の気持ちは態度ではなく、言葉で伝えなさい」と教わる。
感情を抑え、言語化することを学んでいくのだ。
思い通りにいかない時、泣いて訴えるのは子供だと言われ、何が嫌なのか?どうしたいのか?、言語化することが求められていく。言語化する能力を磨きながら、感情を抑えていくことで、感じる能力が鈍化してはいないだろうか。
読書感想文、作文、卒業論文、ディスカッション、感じたことや言いたいことは、言語化して人に伝えていく。そんなことを学んできたように思う。
”言語化しようと努力すること、伝えようと努力すること”は大切だ。
世に出されている書籍は、考えや思想を言語化した努力の結晶なのだ。
ただ、そこに書かれている言語に触れるだけでは、私たちは全てをわかることはできない。そこに、自分の体験を重ねることで、言語をわかろうとしているのではないか。
自分ではない他の誰かに、想いや感情、考えを共有するとき。
音や表情を伴わない言語のみで共有することは、本当は難しい。
私たちは毎日、言語を交わして生きている。
ちゃんと意思疎通ができているのだろうかと不安にもなる。
相手の言わんとすることを、わかった気になってはいないか。
家族生活、職場、学校、友達、、、コミュニティでの体験を共にする中で、
言語を用いて語り合うことの大切さを感じる。
一緒に体験して、感じること。
言語化が苦手だとおっしゃる橋本さん。世界中で働くヌーラーバー(ヌーラボで働く人)たちと、BBQや薪割り、キャンプやイベントを共に体験することを大切にしている。ここ、糸島にある合同会社こっからのオフィスにも集合し、BBQや薪割りを体験したそうだ。無人駅の豊かな田舎町にやってきたニューヨーカーたちに、地元の人たちも驚いていたそうだ。
私が初めて橋本さんにお会いしたのは、大好きなキャンプ場だ。橋本さんは、ヌーラバーの皆さんとヌーラバーのお子さんたちと、海で一緒にSUPを楽しんでいた。子供たちがあまりに橋本さんと親しく遊んでいたので、最初は橋本さんのお子さんだと勘違いしていた。当時5歳だったうちの娘も仲間に加わり、一緒に遊んでもらった。そこには社長も何も年齢も関係ない、みんなで楽しく遊ぶ人たちがいた。
同じ景色を見て、海で遊び、花火をして、ピザを作り、焚火を囲み、語らう。
体験を共にする。
言語化だけが全てではない。
共同体験は言語を超える。
ヌーラボが提供しているチームのコラボレーションを促進するWEBサービスも、「このチームで一緒に仕事できて、よかった」を本当に世界中に生み出していくサービスなのだ。
矛盾を楽しむ
”一匹狼の群れ”
”集団ソロキャンパー”
橋本さんが小5の時から(冗談)使っているというワードにあるよう、相対するものを一つのキーワードにすることで名言風を生み出すことを楽しんでいる。相対するものも抽象度を上げると、同じに見えてくる。
ふと、矛盾したものが一つになることは多様性だと思えた。
異なるもの、相反するものがお互いを認めて一緒にそこに居るような。
橋本さんは、LIVEで何度も「言語ほどあやふやなものはない」と言っていた。それでも、本として言語化することで、伝えたいことがあったのではないか。
会社は「仲良しクラブ」でいい
今回はオンラインでのLIVE参加となったが、今度こそは、現地で同じ空気を吸って、同じ景色を見て、感じたい。
本屋アルゼンチン
#ヌーラボ仲良し本
#会社は「仲良しクラブ」でいい
#株式会社ヌーラボ
#合同会社こっから
#本屋アルゼンチン
#オンラインイベント
この記事が参加している募集
読んでいただきありがとうございます。 noteで出会えた奇跡に感謝します✨ サポートいただけましたら楽しい寄り道に使います。