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【感想メモ】言葉を知ることは自由になることーー自分を見失わないための言葉との付き合い方(古田徹也さん、牟田都子さん)

哲学者の古田徹也さんと本の校正をされている牟田都子さんのトークイベントのアーカイブを見た。気づきや学びをメモしておこう。


〈メモ〉

撫でるとさする。
焼くと炒める。
3歳の子どもにもわかるように、どう言葉にする?
広辞苑に書かれている言葉だって、何十年もかけて6回も改訂されてきた。

「炒める」とは、食材どうしをぶつけ合いながら加熱調理する、と表現された。わかったつもりでいたことが、言葉にすることで、より見えてくる。

言葉の意味を、どうすれば捕まえられるだろう。伝わらないなと思っていたことが、伝えられるようになったりする。

一日中、辞書を引いている牟田さんは、みんなが言葉をラフに使っているのを羨ましく思う。仕事で辞書をひく。国語辞書を10冊くらい使っていて、片っぱしからわかるまで辞書を引く。言葉を使う、考えたり使うことって、できてるようでできてないことがあるけど、みんなそこまで食い下がらないのでは。

炒める、という言葉をどう説明するかを考えることを、普段はしない。

娘が幼い頃、なんでなんで?と質問攻めにあい、納得するまで説明しようと頭をひねる場面を思い出した。これって、言葉にする訓練だったのかもしれない。そういえば、そういう場面が最近ない。いつの間にか娘も、「わからない」を、呑みこみ始めているのかもしれない。わかったつもりになっているのかもしれない。これ以上質問しても返ってこない、と思っているのかもしれない。こうして、大人になっていくのだろうか。わかったつもり、わからないことを、呑み込まないまま生きることって大事な気がする。

私が考感じたこと

うまいこと言葉が出てこない時は、大事なとき。

古田さん

「言葉の探索」を行うことが許されない雰囲気がある。
LINEでもメッセンジャーでも、スピードが求められる気がして。回転の早さ、返事の速さがクレバーであるような雰囲気。その雰囲気が場を支配しているかもしれない。

普段の暮らしで、言葉を探索すること、言葉を楽しむことができなくなっているのではないか。そういう場を作ると、楽しい。哲学界隈では、そういう場を意図的に作ろうとしている。
企業のミーティングでも言葉について考える時間、場が作れるといいんだけど。

「互いの発話を待つこと」

牟田さん

待つ余裕が今、ないのでは。スムーズに出てこない。モヤモヤを言葉にして出したいと思っている人たちを待ってもらえない空気。たとえば、広告が問題提起してくる。

牟田さん、「炎上」という言葉。
今起きていることは、本当にその言葉で表現していいことなのかと考えてしまう。誹謗中傷も炎上も、報道でも簡単に使われてしまう。本当はそのことは、何を指しているのだろうと考えてしまう。そこを雑にしていくと、雑さに世界がのっとられてしまう気がする。

急がないで待つ時間を持つ。

古田さん

積極的に発言ができないひとがどうすれば発言できる場にするのか、、、を考えたい。

古田さん、「火消しが遅れた」という言葉も簡単に使われている。みんなが評論家になっているように感じる。

一番いい炎上対策は、無視すること。反応しないこと。
謝罪すると言い訳に聞こえる。
謝罪しない、言い訳しない。言葉を交わし合わない、何もしないことが一番の本当の「火消し」になる。自分の言葉を引き受けて、反応しないこと。

古田さん:「謝罪論」にも書いていることだけど、、、

牟田さん:SNSは、説明する場ではなくなっている。それでも皆説明しようとしている。本当に言葉を使うって、単に言葉を選ぶことではなく、時間をもらって会って伝えるとか、、、そういうことではないのかな。そうではなくなってきているよう。

古田さん:子どもたちにも、もっとゆっくりでいいんだよって伝わるといいな。

校正者は文章を読んではいけない。文字を見るのだ。

「たどたどしさ」を大事にしていいのでは?言葉がスラスラ出てこないことは、悪いことではない。

「RAWの言葉」を大切にしたい。
辞書に載っていない言葉であれば、校正者としては直さなければならないのだけど、機械的に辞書の言葉に直さなければならないのだけど。。。ベテランの人はよく「直っちゃった」と言う。辞書に載っている言葉に直されてしまった。。。。という。

牟田さん

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉。
平凡な物書きが注意しないといけないのは、RAW、粗野な、正確でない表現を、性急に、すぐに、直してしまおうとしないことに気をつけなければならない。そうすることによって、最初の着想やひらめき、降ってきたものが、死んでしまう。直してしまうことによって、生きていた、芽が吹いていた植物が枯れてしまって、価値がないものになってしまう。

古田さん


書き手のひとが、校正者に怒られるからと言って、思いついた言葉を書かずに直してしまうことは残念なことでもある。直すことが仕事でもあるのだけど。

言葉をバカにしないで。もっと堂々と自分の言葉を使ってほしいと牟田さんがお話しされていた。


〈感じたこと〉

急がず、自分の口から出てくる、出てこようとしている言葉を見てみたい。仕事で原稿を書いている時に、そればかりやっていたら、まったく仕事が進まないかもしれない。。。。でも、大事な局面では、自分のなかから出てくる言葉を大事にしたい。編集さんに直されるかもしれないけれど、書いてみたい。言葉に向き合いたい。

普段何気なく使っている言葉を見直してみたい。できれば数人集まって。言葉って、面白い。

本当に今のわたしの気持ちは、「面白い」とひと言で表してしまって良いのだろうか、、、と考えるのであった。

〈追記〉

昨日、友人ふたりとごはん屋さんに行った。丁寧に作られた料理は、見てもわかるし、食べてもわかる。そこにかけられた手間暇、時間を感じる。それも味わいのひとつなのかもしれない。そう考えると、文章を構成する言葉だって、丁寧に選ばれたものとそうでないものは、わかるのかもしれない。ささっと作った焼きそばやチャーハンのうまさもある。でも、丁寧に皮をむいて小さく刻んで炒められた炒り豆腐も時にも食べたい。いつも時間をかけることはできなくても、料理も文章も言葉選びも、雑のなかにも自分なりの、こだわりを持ちたい。

お昼ごはん
今日のおやつ
4時みたいな3時。お店の時計がまたいい

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