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「私が家を手に入れたのではなく、家が私を手に入れたのです」-ウォールデン森の生活(上)を読んで-
アメリカの詩人・ナチュラリストのヘンリー・D・ソローは、生まれ故郷の森に家を建てた。この本は、ソローが、森に暮らしながら「生きるとは」について綴った書だ。
本を読んで、生きるとは?を見つめ直すキッカケを受け取った。私たちが薄々気づきながらも、見て見ぬふりをしていることを、ソローはズバリ言っている。今の私の暮らしは矛盾に満ちている。
私はどんな天気の日でも、昼夜を問わず、今という時刻の刻みを大切に生きるように心魂を傾けてきました。棒にナイフで刻み目を付けて楽しんだことさえあります。
私たちは、ふたつの永遠、すなわち過去の未来の合わせ目にある”今”を生きています。たえず未来のスタートラインに爪先だっています。
ようやく家を手にれると、農民は豊かどころか、お金の面でも、精神の面でも、貧しくなっています。農民が家を手に入れたのではなく、家が農民を手に入れたからです。
・・・
死んでやっと、家から自由になれるのでしょう。
昔はたくさんのものを持つことが怖かった。
車も家も、ものを持つことで、動けなくなると感じていたから。
働き続けて、家族が増えて、お金も稼いで
次第に持つものも、消費するものも増えていく。
会社を辞めるとき、人生を考えなおして、
消費サイクルから抜け出したはずたった、が、そう甘くはない。私の暮らし丸ごと消費サイクルだ。
週末になるとひしひしと感じる。
消費サイクルの中に生きていることを。さあ休みだ、家族でどこにいく、何をするか、何を食べるか、消費行動を考える。そうすることで時間を使う。作られた街の、出来上がった家にいても、やることはなく、時を過ごす場を探している。
不自由さを求めて、つくること、生み出す喜びを求めて、わざわざキャンプに行くのだ。
思い切って買った家
家に買われてると感じる。
なぜだろう。
家があるから、家を買ったから、との理由で行動が制限されることがあるからだろうか。
ソローは、私に問うてくる。
あなたは、いつ、今を生きるのですか?
死んだら、今を生きるのですか?
死んだら、家から自由になれるのでしょうか?
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