
禅の道(36)参同契
今日は中国唐代の禅の詩である「参同契」を取り上げます。タイトル画像は比叡山の方からみた琵琶湖です。それはともかく、「詩」という字は言偏に寺って書くんですね。はじめて気がつきました。「禅」は単に示すですし、漢字は、ある意味わかりやすいです。
参同契(原文:読み下し)
竺土大仙の心、
東西密に相附す。
人根に利鈍あり、
道に南北の祖なし。
霊源明に皓潔たり。
支派暗に流注す。
事を執するも
元これ迷い、
理に契うも
亦悟にあらず。
門門一切の境、
回互と不回互と、
回してさらに相渉る。
しからざれば位によって住す。
色もと質像を殊にし、
声もと楽苦を異にす。
暗は上中の言に合い、
明は清濁の句を分つ。
四大の性おのずから復す、
子の其の母を得るがごとし。
火は熱し風は動揺、
水は湿い地は堅固、
眼は色、
耳は音声、
鼻は香、
舌は鹹酢、
しかも一一の法において、
根によって葉分布す。
本末すべからく宗に帰すべし。
尊卑其の語を用ゆ。
明中に当って暗あり、
暗相をもって遇うことなかれ。
暗中に当って明あり、
明相をもって覩ることなかれ。
明暗おのおの相対して、
比するに前後の歩みのごとし。
万物おのずから功あり、
当に用と処とを言うべし、
事存すれば函蓋合し、
理応ずれば箭鋒さそう、
言を承てはすべからく宗を会すべし、
みずから規矩を立することなかれ。
触目道を会せずんば、
足を運ぶもいずくんぞ路を知らん。
歩みをすすむれば近遠にあらず。
迷て山河の固をへだつ。
謹んで参玄の人にもうす、
光陰虚しく度ることなかれ。
現代語訳(要旨)
竺土大仙の心、東西密に相附す。
インドの偉大なブッダ釈尊の悟りの心は、インドから中国へ、洋の東西を問わず伝えられた。
人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。
人には賢い人も鈍い人もいるが、仏道に優劣や方向など南北の違いは関係ない。
霊源明に皓潔たり。支派暗に流注す。
悟りの源は清らかで明らかであるが、その流れが末端に行くと曖昧になることもある。
事を執するも元これ迷い、理に契うも亦悟にあらず。
物事に執着するのは迷いであり、理屈で道を理解することも本当の悟りではない。
門門一切の境、回互と不回互と、回してさらに相渉る。しからざれば位によって住す。
目の前に広がるさまざまな世界は、調和するものもあれば調和しないものもある。それでも、すべてが互いに関係し合っている。そうでなければ、全ては固定化してしまうだろう。
色もと質像を殊にし、声もと楽苦を異にす。暗は上中の言に合い、明は清濁の句を分つ。
物の色や形、音はそれぞれ異なり、苦しみや楽しみも人それぞれで違う。暗は奥深い言葉に通じ、明は清いものと濁ったものを見分ける。
四大の性おのずから復す、子の其の母を得るがごとし。
世界を構成する四つの元素(地、水、火、風)は、それぞれ本来の性質を取り戻す。ちょうど子供が母親の元に帰るように。
明中に当って暗あり、暗相をもって遇うことなかれ。暗中に当って明あり、明相をもって覩ることなかれ。
光の中には暗さが隠れており、暗さを「暗」としてだけ見るべきではない。また、暗さの中にも光が潜んでおり、それを単に「明」としてだけ見てもいけない。
万物おのずから功あり、当に用と処とを言うべし、事存すれば函蓋合し、理応ずれば箭鋒さそう。
万物にはそれぞれの役割と場所があり、それに応じた使い方をするべきである。物事が整えば、箱とふたがぴったり合うように調和する。理が通じれば、矢が的に正確に向かうようになる。
言を承てはすべからく宗を会すべし、みずから規矩を立することなかれ。
教えを理解するときは、根本の真理に立ち返るべきであり、自分勝手な解釈を作ってはいけない。
触目道を会せずんば、足を運ぶもいずくんぞ路を知らん。
目の前の出来事に道を見いだせなければ、いくら歩いても正しい道にはたどり着けない。
謹んで参玄の人にもうす、光陰虚しく度ることなかれ。
真理を求める人々に申し上げる。どうか時間を無駄にせず、精進してください。
解説
「参同契」は、禅の修行における道理と日常生活での実践について、比喩を多用して語っています。この文章は、物事を表面的にとらえず、根本の真理を見極めることの大切さを教えています。
主なポイント
普遍性の強調
道の真理は、地域や文化に関係なく普遍的なものである。修行の道を歩む人は、自分の能力や背景に関係なく、それを目指すことができる。執着の排除
物事に囚われたり、理屈で悟りを求めることは、道に反する。悟りは体験を通じてのみ得られるものだと示唆しています。陰陽の調和
明(光)と暗(影)は対立するものではなく、互いに内包している。これは、二元論的な見方を超えて、すべての存在が互いに補い合っていることを表しています。自然な調和と役割の重要性
万物がそれぞれの役割を果たすことで、全体が調和する。これは禅の修行だけでなく、日常生活の中でも役立つ考え方です。時の大切さ
修行や学びにおいて、時間を無駄にしないことが重要。光陰(時間)は二度と戻ってこない貴重なものであるという警句です。
参同契(さんどうかい)は、中国唐代の禅僧石頭希遷による禅の詩。
参は現象、同は平等、契は一致という意味で、現象と平等とは一致しているという意味となる。
曹洞宗では毎朝の仏祖諷経で『宝鏡三昧』と交互に読まれる。
石頭希遷大和尚(禅師)は曹洞宗の法脈にあります。当時は今でいう臨済禅と曹洞禅の流れが分かれていった最中にあり、いずれも同じ系譜にあって、元を正せば釈尊の教え(仏教)であることを強調されています。
私たちはこの「参同契」を毎朝の日課(朝課)として伝灯歴代仏祖の諷経としてお唱えしています。永平道元禅師は「禅宗」とか「曹洞宗」と呼ぶことさえ明確に禁じられており、仏教の一家風に過ぎないと申されております。
現代では、宗旨の区分として「禅宗」の「曹洞宗」と位置付けられていますから、あえてそう呼ばれることを宗派として是認しています。こだわる必要はないのですが、仏教に違いは全くないと申し上げておきます。
「参同契」をお唱えするたびに、「光陰むなしく渡ることなかれ」の声が余韻として響きます。今日一日は、仏祖のお命をいただく大切な一日であることを肝に銘じて参りたいと思います。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
にゃんすいあん日記(6日目)
念水庵の書庫(ハウス)は、ふたりの専用部屋になりました。
キャリーに入れて運ぶよりも、ここにおれば安心して暮らしていけます。
完全室内飼いのメリット・デメリットはありますが、これが保護ねこの譲渡時における約束ですから、きちんと守ります。
生後2か月の赤ちゃんが走り回っています。
急速に脳が発達していくことを実感します。
ヒトも身体を動かせば、脳が活性化します。
このことを如実に教えてくれます。
まるで親猫にでもなったような気分です笑
兄妹か姉弟か?どうやら…
細かく観察していると、
ビリーは「びびり」ですが芯の強さを感じます。
ここは「興味津々」ですが甘えん坊です。
さいきん姉弟ではないかと思い始めました。
ではまたあした。。。