シンプル仏教。
参禅堂の土台が設置され(ブルーシート)池のまわりに草が生えています。
来月11日(土)には棟上げです。
ようやく地固めができたと喜んでおります。
ひとえに皆さまのおかげです。
今朝目覚めたときに「シンプル仏教」との言葉が浮かびました。
ブッダの教えは深淵ですが、いたってシンプルなものです。
簡単なことを難しく述べる必要はありません。
ブッダは、その人がわかるように、当時の日常語で語られております。
わたしはなるべく仏教の専門用語を使わないようにしています。
それは一人でも多くの方に仏教に親しんで頂きたいからです。
仏教に親しみ、少しずつやってみる。
それが練習であり、実践だと思っています。
かんたん仏教でもいいかもしれませんが、少しニュアンスが違うんですね。
簡単じゃないんですが、シンプルでしょ?ってことです。
たとえば法句経(ダンマパダ)の原意は「真理の法」です。
法とは「ブッダの教え」のことです。
真理とは何かといえば「変わらないこと」です。
移ろいゆく世にあって決して変わらない。
ネットで法句経を検索すれば膨大な情報が上がっています。
その情報の洪水の中で「真理」を探し出すことはほとんど不可能でしょう。
それで先人たちは師を求めました。
行く雲のように、流れる水のように。
尋ねるということです。
わからないことがあれば知っているひとに聞いてもだめです。
それはネットの検索のようなものでしょう。
強いていえばChatかもしれません。
生成AIは適当に相手してくれるだけです。
わからないことは「わかっている人」に聴いてみることです。
先日、友人にバックホー(ユンボ)という建設機械の操作を習いました。
短時間でしたが、操作に慣れている人の教え方は的確です。
「やってみせ言って聞かせてさせてみて誉めてやらねば人は動かじ」
山本五十六の言葉です。
仏教も、同じ順序で教え、教えられるほうが身につきます。
教えている者が教えられるのです。
最初に修行道場で学ぶのもそのためだと思います。
ひとりで修行するのは、それからでも遅くありません。
参禅堂では「独参」というものがあります。
一対一で自分の考えを示し、師匠に点検を乞う問答のことをいいます。
まず自分が思うことを述べて、師に質問するわけです。
答えいかんで、師の器がわかる、まさに真剣勝負であります。
シンプル仏教は、この問答が基本です。
ご覧頂き有難うございます。
念水庵 正道