文学フリマ岩手8【記録編】
記録編は、なるたけ数字と事実を次回イベントの参考にするために残す用です。
短歌の選択理由
Twitterでたまたま、岡本真帆さんの短歌を見かけて、短歌が好きだったことを思い出したから。
前回の文学フリマ岩手(2019年)で、新刊の小説が1冊も売れなかったのが、プチトラウマだったから。
短歌ジャンルは、小説より母数が少ない分、出店サークルを全てチェックしてる人がそこそこいるのではないか?知ってもらえれば、手に取ってもらえる可能性も上がるのではないか?と考えたから。
Twitter運用
・2022年の秋くらいには文学フリマ岩手に参加することを決めていたので、本体とは別に創作の報告、宣伝用のアカウントを作ろうと思い、12月に開設。画像がどのように見えるか、タグをつけるとどの程度反応があるか、実験的に何度か呟くが、本格的に運用を開始したのは、原稿の目処がついた5月中旬くらいから。5月22日より宣伝ツイ開始。
以下の画像は2023年6月26日時点での反応なので、当日までの反応と少し違うと思うが、そんなに増えてないと思う。毎日宣伝するつもりだったが、反応がよく分からなくて、普通に力尽き、でも、完全に途切れない程度には宣伝してた。もっといろいろ試しても良かったかも。
①最初の宣伝ツイ。サークル名がないという痛恨のミス。
②最高のインプレッション数の宣伝ツイ。たぶん、時間帯とか、画像とかの影響、たぶん。
③文学フリマ岩手当日の最後の宣伝ツイ。おそらくだけど、開始直前はもうTwitter見てる人少ないと思われる。
・Twitter運用の所感。
やっぱりリツイートされると見る人が増える。画像の有無やタグによる反応の違いはそもそもの前提として、自分が無名過ぎるのでよく分からなかった。投稿の時間帯は気にした方が良い気がする。他の参加者の宣伝に反応すると、こちらの宣伝に反応してくれることもある。興味を持った他の参加者の宣伝は、積極的にリツイートした方が良い気がする。因みにフォロワーは、0人から8人まで増えた。
売上と反応
冬コミ(C95)……2冊
(ほぼ宣伝なし)前回の文学フリマ岩手……4冊
(少し宣伝したが、新刊は売れず、冬コミで出した分が売れた)
今回の文学フリマ岩手
新刊の短歌集、6冊。
しおり、7枚。
ブース内の見本誌を見た人、9人。
*しおりの内訳は、しおり単体が2枚、本とセットが5枚。
・宣伝の効果を知りたかったので、この作品をどこで知ったか尋ねた。尋ね忘れた人もいるので、状況による推測も混じるが、おそらくこんな感じ。
2人……Twitterの宣伝
1人……noteの作品
1人……見本誌コーナー
2人……お隣さん効果
*お隣さん効果というのは、おそらくお隣さん目当てでやってきた方が、隣の私のブースにもついでに寄ってくれて、興味を持ってもらえた、みたいな感じです。
短歌解説
短歌の解説というか、短歌を作るときの自分の思考回路をメモしておきたいので、1首だけ説明。
『アスファルト潰れた猫が落ちていた足が動いたまだ生きていた』
・表紙にも入れた今回のメインとも言える短歌。去年の11月くらい?に作ったと思う。実体験2つと、ある小説のワンシーンから想起して作った。
実体験①
運転中に前の車が、何もないところで、急にハンドルを切ることがある。そういう場合、だいたい野生動物の死体が道路にある。その死体をタイヤで踏みたくたいから、私も避ける。トラックもよく通る道なので、原型を留めていないこともある。車に轢かれた野生動物をいちいちかわいそうと思っていたら、感情がもたない。でも、なんの気持ちも向けずに一瞬で通り過ぎるのもなんかモヤモヤする。
実体験②
犬の散歩中、雀の死体が落ちていた。猫が走っていくのが見えたので、おそらく猫に襲われたのだろう。犬が興味を持たないように少し離れてチラリと見ると、足が動いていて、まだ生きているようだった。散歩の帰りには、血の跡だけが残っていて、猫がどこかに持ち去ったのだろう。
小説のワンシーン
だいぶ昔に読んだ本なので、ストーリーとか細かいところはよく覚えていないが、よしもとばななの小説だったと思う。主人公が猫が死ぬ瞬間に立ち会って、死に際なのに生命力を感じた、というようなエピソードだったと思う。
・この短歌を作るときに、最初「死」の方に焦点を当てて考えていたけれど、「生」に焦点当てた方が良さそうと思った。以下は、推敲による短歌の変遷。
『道の上雀の死体が落ちていた足が動いたまだ生きていた』
出来立てほやほやの短歌。後半は変更がない。後半は字数が綺麗にはまってるし、直す必要ないかな、と思った。全体的に実体験②のまんま。『道の上猫の死体が落ちていた足が動いたまだ生きていた』
雀から猫に変更。猫の方がボリューム感があって、多くの人により身近な存在だと思ったから。犬よりは猫の方が車に轢かれてそうと思ったから。あと、猫が好きだから。猫飼ってないけど。『道の上潰れた猫が落ちていた足が動いたまだ生きていた』
31文字の中に生きると死ぬという逆の言葉が入るのは少しくどいような気がした。あと、私はある言葉をそのものを使わずに表現したい欲求があるので、「死体」という言葉を使わずに「死」を表現したいと思い、変更。『アスファルト潰れた猫が落ちていた足が動いたまだ生きていた』
「潰れた猫」だけでは、死にかけの猫ではなく、潰れたような体勢で寝ている猫という意味に取られるのではないか?という疑念から、「道の上」を「アスファルト」に変更。たぶん、車を運転する人なら、アスファルトと潰れた動物のセットで意味が通じるだろうと考えた。
・短歌に限らず、作品の解釈が作者と読者で違うのは、それも1つの面白さと思ってるが、作者の意図が一切通じていない、というのも少し悲しい、と考えている。それで言えば、この短歌は少なくとも、文学フリマ岩手で話した人は死にかけの猫という解釈で通じていたので、良かった。
・また、私は死に際の最期の生命力のようなイメージで詠んだけれど、普通にかわいそうとか、少しグロテスクとかいうような当然と言えば当然の感想もいただいて、その視点が完全に抜け落ちていたので、すごくなるほど!!と思った。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?