未来猫
第二章 神山桜
彼女は、墓場という場所が好きだった。私たちは、彼女の親が残した、街外れにある屋敷に住んでいた。街に行くことはほとんどなかったが、たまに行くと、彼女は必ず帰りに墓場に寄った。だから、そんな彼女が墓場にいるのではないかと思って、木枯らし吹く中、私は今、ある街の墓場にいるのだ。どうして、彼女は墓場が好きだったのだろう。
数週間ばかり、ここを根城にしている。墓石が風除けとなって、意外と寒さを凌げる場所だということが判明した以外は、特に収穫はない。空から、ちらちらと白いものが落ちてきた。まだ積もることはないだろうが、本格的に冬になってしまう前にもっと大きな街にでも移動したい。冬を過ごすには、さすがに頼りない場所だ。
どうしようか、と思案していると、女性がひとり、墓場に来たのが見えた。墓参りのようだ。ちらと、その女性を見たが早いか否か、私は走り出していた。まさか、と思った。歩いている彼女を追い越して、彼女の前に立つ。突然現れた私に、女性は驚いていた。じっと見て、もう一度見たが、彼女ではなかった。尾を垂らして、元の場所に歩きだした。明日にでも、ここを離れようと決めた。
「ねぇ、もしかして、君、普通の猫じゃないでしょ?」
後ろから、話しかけられた。別に隠す理由もない。それに、うまくいけば、この女性の家でひと冬を過ごせるかもしれない、などと都合のいいことを考えて、うなずいた。
「どうして、私の顔を見に来たの?」
「人を探しているんだ。あなたの横顔がとても似ていたものだから。」
「ふぅん、人探しか。この寒い中、探すの?」
「できれば、それはごめんこうむりたいが、あいにく、いい宿がない」
「これは、奇遇ね。私、ちょうど、変わった話相手がほしいと思っていたところなの」
「私は、変わっているのか?」
「しゃべる猫なんてなかなか見かけないからね。お母さんが子どもの頃はまだけっこういたって聞いたけど、私は君が初めてだよ」
「その、君の母というのは、どこにいる?」
実は、私も他の魔法生物というのにほとんど会ったことがない。屋敷に、魔力を持った薔薇なら咲いていたが、彼も魔女や魔法使いを除けば、私以外に魔力を持つ生き物に会ったことがないそうだ。この女性の母に会えるなら、ぜひ話を聞いてみたいと思った。
女性は困ったように笑った。
「お母さん、ここにいるんだ」
「それは、死んでいるということか」
「そう。お父さんもここにいる。今日は墓参りに来たの」
そう言うと、持っていた花を供えた。買ってきたようなものではなく、そこでもいできたような花だった。彼女は手を合わせる。
「花を買う金もないのか?」
「あぁ、この花? 買うお金くらいあるよ。でも、今日ここに来たのは内緒で慌てて来たものだから、忘れてしまったの」
「君はどこかのお嬢さんなのか」
「……だったら、良かったんだけどね」
ふふ、と笑う。笑うと、小さなえくぼができた。
「じゃあ、帰ろうか。あ、そういえば、まだ名前、聞いてなかったな」
「私の名前はみらいだ」
「へぇ。私はね、神山桜。神の山に咲く桜って書くのよ」
桜はどこか寂しげに笑う。
墓場を桜の後について出る。彼女の背を見ているときに、不意に目頭が熱くなった。桜の未来が見えた。あぁ、そうか。そういうことか。病室のベッドが見える。桜は病に冒されているのだ。近くには、医者が一人、看護婦が一人見える。看護婦は泣きじゃくっている。そうか。桜は、この冬に死ぬのか。
桜が帰ったのは、もちろん、病院だった。この病院は、動物入れても大丈夫なんだよ、と桜がささやく。そして、実は病気なのという桜の告白を、できるだけ初めて聞いた風を装って聞いた。
病院に入ると、先ほど、未来で見た、医者と看護婦がたいそう心配そうな表情をして、桜のもとに走ってきた。病院内は走るなという規則を完全に無視している。
「桜ちゃんっ」いきなり、大声をあげたのは、看護婦のほうだった。
「どこ行ってたの。心配してたのよ」
「ご、ごめんなさい、彩さん」
看護婦の勢いに気圧され気味だった医者も続く。
「神山さん、症状が悪化したらどうするんだ? 僕は心配で心配でたまらなくて……」
「伊坂先生も、ごめんなさい。でも、私、どうしても、父と母に会いに行きたかったんです」
彩と呼ばれた看護婦は、困ったような顔をした。
「……桜ちゃん、まず、温まりましょう」
私のことが話題にのぼらないまま、三人は歩き始めたので、しかたがなくついていく。
私がこの病院に来て、一週間ほどが経った。十二月初め、地面には、薄く雪が積もっている。明日にも溶けてしまいそうな雪だ。桜が頼みこんでくれたおかげで、ひと冬の間、病院にいられることになった。本当は、よく訓練された動物であることの証明が必要であったり、常に清潔にしてなければならなかったりと面倒くさい条件があるそうだ。桜が個室であり、私が人の言葉を話せることで、なんとか許可が下りたようだ。なんにしても、朝夕二回の食事と暖房はありがたい。私の一日は、ほとんど桜の話相手になるか、丸くなって寝ているかで終わる。
「ねぇ、みらいが探している人ってどんな人なの? よかったら、教えて」
「彼女は……私の尾を触るのが好きだった。私はやめて欲しかったんだが。好奇心が旺盛でいつも外の世界を見に行きたがっていた。肩くらいまでの黒髪が素敵で、でも本人はもう少し長い方がいいと言っていた。それから、原っぱを裸足で歩くのが好きだった」
「みらいにとって、大切な人なんだね」
「そう、かもしれない」
このとき、心の底から自分が人間ではなくてよかったと思った。きっと、人間だったら顔が赤くなってしまっていただろうから。
「みらいは大切な人を探すためにいろんな街を歩き回っているんだね」
「そういうことになるが、正直、探す当てなどないから、彷徨っているという表現のほうが当たっているかもしれないな」
「その人の行きそうなところって、本当にどこも分からないの?」
「私と彼女は、ずっと街外れの丘の上の屋敷で暮らしてきた。たまに街に下りるくらいで、他に行きそうな場所はあまり思いつかないんだ」
「街から一度も出たことがないの?」
「私は別の街で育ってから、彼女のいる街に辿り着いたが、彼女は一度も出たことがなかったはずだ。私と彼女はずっと、その街で暮らしてきたんだ」
「ずっと?」
「そう、あ、えー、十年くらい」
本当の期間を言おうとして、桜が彼女を気味悪がったら嫌だと思い、咄嗟に嘘をついた。嘘だとばれたかもしれない。桜なら気味悪がらないかもしれない。それでも、本当のことは言いたくなかった。怖かったから。
桜は私に質問をぶつけて、聞き役にまわることが多かった。自分のことを話したくないというよりは、私の話をとにかく聞きたいらしかった。私は、旅した街のことや出会った人々、彼女と暮した日々を話す。
桜もこの町をほとんど出たことがなかった。幼い頃に両親を事故で亡くし、施設で育ってきた。小・中・高とこの町から出ることはなく、大学は隣県に行くことになっていた。両親を失った傷も癒え、新しい生活が始まるというときに、桜は倒れた。闘病生活はもう三年に及ぶ。
「理不尽だと思う」
桜の生い立ちを聞いたとき、私は感じたことを言うと、桜は笑った。
「なんかそれ、人間みたいだ」
私は首をかしげた。理不尽を理不尽と言って、何がおかしいのだろう?
「動物はさ、弱肉強食とか、厳しい環境とか、運命とか、なんとも思わずに受け入れて適応してしまうの。人間くらいなんだよ、それを理不尽と叫ぶのは。みらいって人間らしい。もっと冷めた性格してるのかと思ってたけど、そうでもないね。彼女を見つけるためにわざわざ旅に出てるし、けっこう情熱的なところもあるんだ」
また、人間らしいと言われた。そうだ。彼女の境遇を聞いたときも「理不尽だと思う」と言って、やっぱり彼女に人間らしいと言われた。彼女と桜はどこか似ている。具体的にどこが似ているとは言えない。でも、どこか雰囲気が似ている。よく話すのは桜とだが、看護婦の伊藤彩や医者の伊坂安次郎とも話す。彩は桜の三倍はあるのではないかという大きな声で話し、とにかく明るい。病院の元気の半分は彩によって作り出されているような気がする。
「あたしはさ、看護婦になりたかったのであって、看護師ではないのよね」
三日に一度は彩が主張することだ。私は知らなかったのだが、男女平等などに関する問題で、看護婦は看護師という呼び名に変わっていた。彩はそれが不満で仕方がないらしい。自らが担当する患者には、看護婦と呼ぶように頼んでいる。だから、私が彩を看護婦と呼んだときは感激したそうだ。
「看護婦っていうほうが女の子っぽくてかわいいでしょ。あたしが必死で勉強している間に世間の奴め、勝手に名前変えやがって、って思っちゃうのよね」
伊坂は私と同じく、名前に不満を持っている。
「僕は自分の下の名前が気に入ってないんだ。だから、君も僕を名字で呼んでほしい」
伊坂に初めて言われた言葉だ。安次郎という名前はある映画監督からとられている。伊坂の父親大ファンということで、息子につけたらしい。そのため、長男にも関わらず、次という字が入っている。しかし、映画監督の名前は、正確には安二郎。父親は大ファンであったにも関わらず、字を間違ったのだ。なんとも中途半端な名前である。
伊坂は桜の担当医で、頼りない雰囲気はあるが、医者としては優秀だ。おそらくは、彩の明るさに押し負けているのだろう。
看護婦の伊藤彩と医者の伊坂安次郎。この二人によって、桜は支えられている。
十二月半ば、ある朝、遅くに起きると、桜のベッドの隣にキーボードがあった。
「なんだ、それは?」
眠い目をこすりながら、桜に問いかける。
「これ、彩さんに準備してもらったの。もう少しでクリスマスパーティーがあるから」
「クリスマスパーティー?」
「みらいにはまだ話してなかったか。この病院の院長、城之内先生っていうんだけど、病院を陰気なところにしたくないって言って、年に何度かイベントを開くの。いろいろあるんだけど、患者も看護師も医者も全員参加で、何か出し物したい人はしていいことになってる」
「それで、桜は音楽をやるのか」
「そう。最近、体調も安定してきたし、やっと練習の許可が下りた。昔、ちょっとピアノをかじってたのよ」
桜がキーボードを弾き始めた。が、音が聞こえないので、故障かと思うと、イヤホンがついていて、弾いている本人にしか聞こえないような仕組みになっていた。
「何という曲を弾いているんだ?」
「本番までの楽しみにしててよ」
かたかた、たたんという乾いた音だけが響く。メロディは流れない。聞こえない曲を想像しながら、私は丸くなる。そして、夢を見た。昔の夢だ。
「理不尽だと思う」夢の中の私は言った。
「しょうがないよ。私は、きっとこうなる運命で生まれてきたんだ」
「でも、理不尽だ。君の家族は君のことを愛してはいなかったのか」
「違うよ。愛してるとか、愛してないとか、そんなんじゃないよ。私より大切なものがあっただけ」
私は黙る。
「みらいって、人間みたいだね。猫なのに。私は運が悪かっただけなんだよ。とてつもなく運が悪かっただけ。それだけ。それを理不尽とか、覆せるとか思えない。世の中には、どうしようもないことがあるんだよ」
なおも、私は沈黙する。
「ねぇ、もし、この街で一生を終えるのが嫌だったら、出ていってもいいよ。みらいまで、私に付き合わなくていいと思う」
彼女の名前を叫んだ。いや、叫んだつもりだったが、彼女の名前が出てこない。思い出せない。
「君の名前はいったい……」
目が覚めると夕方だった。桜は眠っていた。
桜が検査に出ていったのを見て、彩と伊坂に聞く。
「一つ聞きたいんだが、桜はいったいどんな病気なんだ」
「……心臓が弱い。本当なら、今すぐにでも移植したいくらいだが、順番待ちの状況だ。だから、外に出るなんて無茶はやめてほしいと思っている」
伊坂が答える。
「つまり、このままだと長くは生きられないということか」
「薬で現状維持を図ってはいる。桜とは付き合いも長いし、なんとしても助けたい。しかし、移植が間に合わなければ、そういう可能性もあるにはある」
自分の感情と冷静な理性の意見を混ぜ合わせた答えだ。
「みらいちゃんはどうして、そういうことを聞くのかしら」
彩が私を問い詰める。
「ちゃんづけはやめてくれと言っただろう。私はこんな色だが雄なのだから」
「どうして、聞いたの」
「なんとなく。桜に病状は聞きづらいものだから」
嘘だ。桜にもこの二人にも、私が未来を見えることを言ってない。桜の死を伝えるべきかどうか、迷った。病状を聞きつつ、伝えるべきかどうかを判断しようとしたのだ。
人間の死に立ち会うのは初めてだ。どうすればいいか分からない。伝えたら、心の準備ができるのだろうか。それとも、最期の日まで、生きる希望を持っていたいのだろうか。よく分からない。彼女なら、どうしてほしいのだろう。
「みらい、どうして、こんなことを聞く」
今度は伊坂が尋ねてきた。
「……嘘はつきたくない。しかし、本当のことも言いたくない。今、私は迷っていることがあるんだ。その判断材料の一つとして、桜の病状を聞きたかった」
正直に打ち明ける。桜と親しくなるほど、自らの力について語るべきか悩む。
「桜、君は未来について、何を考えている」
「みらいって、時間のほうの未来?」
「そうだ、私の名前のほうではなくて」
「急に難しいことを聞くね。どうしたの」
「深い理由はない。急に聞きたくなったんだ。桜にとって、未来は何だろうか。答えたくなければそれでもいい」
「私にとって、未来は今かな」
「今」
「そう、今。だって、私、明日まで生きてるか分からないもん。別に悲観的になっているというわけじゃなくてね? 伊坂先生にいろいろ聞いて、伊坂先生はまだ希望は十分にあるって感じの言い方をしてくれたけど、今すぐにも死ぬ可能性はある。そういう事実として受け止めてるだけ。だから、私にとっての未来は一秒後で、三十秒後で、一分後なの。一時間後には生きてるかも分からない。私にとっての未来は、ほとんど今に等しい」
事実として受け止めてる。考え方も彼女と似ている気がする。ますます私は迷う。私が見た未来は変わることはない。桜が死ぬことが変えられないなら、桜がより幸せに生きられる方を選択するべきだ。やはり、伝えないほうがいいだろうか。
ホワイトクリスマスとなった。昨日の晩から雪が降り続き、地面にはかなり積もっている。外を見ると、ぼた雪が絶え間なく、空から落ちてくる。銀世界とはこのような景色のことを言うのだろう。
しばらく見ていて、見覚えのある景色だと思った。何だろう。私と彼女が暮らした街はこんな大雪となることはなかった。今まで訪れた街もこんな雪が降る前に雪が少ない地域に移動していたから、こんな景色を見るのは初めてのはずだが。嫌な予感がした。そして、どこで見たか思い出した。桜と初めて会った日だ。桜の未来を見てしまったとき。桜の病室の窓から見える景色はこんな大雪だった。
つまり、桜が死ぬのは、今日だ。私はどうすればいいか分からなくなった。そして、逃げた。
ピンク色の毛並みがすっかり真っ白になってしまった。この色が嫌いなわけではないが、よく雌と間違われるので、白猫になるのも気分が変わっていいかもしれない。
病院から、だいぶ離れた。今頃、クリスマスパーティーが開かれているだろうか。それとも、私を探しているだろうか。桜はまだ生きているだろうか。
私は二百年近く生きてきて、人の死に触れたことがない。大抵は親しい人間が出来る前に別の街へと移動するからだ。彼女の家族を死んだと形容するなら別だが、親しくなった人間が死ぬのを見たことがない。私は死に対する免疫がないのだ。死を見るのが恐ろしい。だから、逃げてきた。
桜のピアノを聞きたかった。しかし、それ以上に死が恐ろしい。恐ろしくてたまらない。
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