未来猫

第五章 柏木いずみ

 魔法をまだ研究する者がいるという噂を聞いた。村といってもいいような小さな町だった。本当にこんなところに研究者がいるとは思えなかった。ただ、最近は不確かな情報にも飛びついてばかりいた。だから、何の手がかりも得られなければ、すぐ別の場所へ行けばいいと考えていた。
 大きな柏の木のある家だった。庭には、ハーブやら花やら何やらが咲き乱れている。蝶が数匹、ちらちらと飛んでいる。追いかけたくなるのをぐっと我慢する。近くに他の家は見えず、家の奥には雑木林が見える。たんぽぽの綿毛が鼻に触れた。
「あたしの家に何か用かしら?」
 振り返ると、後ろに老婆が立っていた。ずいぶんな年寄りに見えたが、腰も曲がらず、しゃんと立っていた。
「あたしの、ということは、あなたが柏木いずみなのか? 私の名前はみらいだ。あなたに話があってきたんだ」
「そう。でも、まずは家の中に入りましょう。急ぐ用事でないなら、中でゆっくりと聞きましょう。急ぐ用事であっても、無駄に急いだってろくな事がありませんからね、やっぱり中で話を聞くことにしましょう」
 少し変わった人だと思った。まぁ、研究者には変わった人が多い。特に、魔法学なんてものを研究している人には。

 いずみは私に紅茶を入れてくれた。私がすぐに飲めるように、ぬるい。とても、おいしい。
「さて、お話って何でしょうね。みらいさん」
「みらいでかまわない。実は私は人を探しているんだ」
「実は、あたし、あなたのことを知っていますの」
「えっ」
「人探しをしている、魔法の猫がいるって。ずいぶんとおかしな話だから、本当の話だとは思っていなかったんですけどねぇ。申し訳ないけれど、人探しの役には立てないと思いますわ」
「いや、頼みたいことは別にあるんだ。私は魔力によって、未来を見ることができる。しかし、自在というわけではないんだ。もし、この力をうまく使うことができるようになれば、きっと彼女を見つけ出すのに役に立つだろうと思う」
「みらい、つまり、あなたは説明がほしいわけなのですね」
「説明?」
「あなたは自分の力がよく分からなくて、うまく使えないのでしょう? それを誰かに説明してもらいたいのですね。魔法を使う者たちが生きている時代ならば、そちらを頼ったのでしょうけれど、今はこんな時代ですからね、あたしのような研究者を頼らざるを得なかったわけですね。あたしは魔法歴史が専門ですが、古代魔法やら、占い学やら、あなたのような魔力を生まれた生き物やら、広い範囲にわたってかなり詳しいほうだと、自負しています。あたしで役に立てるのなら、役に立ちましょう」
 理解が早くて、助かる。さすが研究者だ。
 
「あなたに一つ聞きたいんですけどね」
 私の寝床を用意している最中にいずみが言った。私の魔法の詳しい解明は明日からということになった。夕食は肉じゃがで、やはりうまかった。
「あなたはこの世界を恨んではいませんか」
「恨む?」
 私はきょとんとして聞き返した。なぜ、私が世界を恨まなければいけないのだ。
「魔法民族への差別を撤回する条約が締結されたのがおよそ三百年前です。もし、あと百年早くこの条約が締結されていたら、今のこの世界は違っていたのではないか、あたしはいつもそんなことを考えるのですよ」
「例えば、魔女や魔法使いが絶滅を回避したかもしれない、と?」
「そうですね。魔法生物ももっといっぱいいたかもしれません。今でこそ、科学を中心とする社会でまわっていますが、五百年前はもっと魔法中心にまわっていたはずです。今の社会は魔法も魔法を差別していたことも忘れているようで、なんだか嫌になるときがあるんですよ」
 私は考える。魔女と魔法使いであふれている世界を。そしたら、彼女があんな重荷を背負うことはなかっただろう。
「そうかもしれないが、もうどうしようもないことだ。今の社会は変えられない」
「みらいは、私より大人ですね。何年くらい生きているんですか」
「もう、二百年以上は生きている」
「ということは、まだ人生の半分も生きていないわけですか」
魔法生物の寿命は平均して五百年前後と言われている。
「そういうことになるな。しかし、わたしも大人と言えるほど、成熟していないと思う。彼女を諦めきれず、未だに探しているのだから」
「それは、精神の成熟度とは関係がないと思いますよ。大切な人と一緒にいたいという気持はとても大切だと思います」
 彼女のことを思い出した。もし、いずみの言うことが正しいなら、どうして、彼女の家族は彼女にあんなことをしたっていうのだろう。どうして、彼女は私を置いて、どこかへ行ってしまったのだろう。

「かしわぎのおばあちゃんいるー?」
 いきなりの大声で目が覚めた。日はもう高く昇っていた。昨日は結局何時に眠りについたのか、覚えていない。
「いますよー。戸なら開いてますから、入ってきてくださいねー」
 いずみも負けず劣らずの大声を出す。
「いずみ、いったい誰が来たんだ?」
「みらいは起きるのが遅いんですね。はい、どうぞ」
 朝飯を私に渡す。
「あー、ねこがいる。おばあちゃん、ねこ、かったの?」
「ピンクのねこだー」
 朝飯に取りかかろうとした私を二人の子どもが見ていた。五才くらいの女の子と男の子だ。目をらんらんと輝かせている。嫌な予感がして、一歩後ずさる。子どもたちが走ってきて、逃げる暇もなく、抱きあげられる。抱かれるのはあまり好きじゃない。
「おばあちゃん、ねこ、さわっていい?」
 もう触っているだろう。台所から戻ってきたいずみは私を見ると、くすりと笑った。
「その子はみらいって名前なんですよ。あんまり、乱暴にしないであげてくださいね」
「いずみ、この子どもたちはいったい、何なんだ?」
 いずみの答えが返ってくる前に、子どもたちが声を上げる。
「しゃべるねこだ。すごい」
「このねこってもしかして、おばあちゃんがけんきゅうしてる、まほうのねこなの? だって、ふつうのねこはしゃべらないよ」
 女の子のほうが勘づいて、尋ねる。
「えぇ、そうですよ。みなさんには仲良くしてもらいたいと思います。でも、どうやらみらいは、抱かれるのはあまり好きじゃないみたいですね。茂ちゃん、放してあげてくれますか?」
 私の視線にようやく気付いたいずみが、私を抱き上げていた男の子に言う。床にどたっと下ろされる。
「未来、この子たちは、近所の家の子たちです。女の子のほうが明日香ちゃんで、男の子のほうが茂ちゃんです。親が共働きで、近くに幼稚園もないものですから、よく預けられるのですよ。二人が来ると、一人暮らしなんかしていますから、家の中が明るくなったようでいいですね。みらいも仲良くしてくださいね」
「再び抱き上げられるようなことがなければ、仲良くしよう」
「そんなこと言わずに」
 子どもはやっぱり苦手だと思う。二人そろってにぎやかな子どもたちだったが、いずみに言われてからはむやみやたらに触ってこなくなった。言いつけはちゃんと守れる子たちなのだろう。
 午前中、いずみは子供たちと共に庭の手入れをした。雑草を抜き、花の植え替えをし、肥料をまき、水を与える。私は手伝えないので、蝶を追って時間をつぶした。子供たちは遊んでいるのか、手伝っているのかよく分からない。とりあえず、二人とも、楽しそうではある。
「みらい、ちょっと来てもらえますか」
 いずみに呼ばれていくと、柏の大木の前に立っていた。
「みらい、この柏、どう思いますか」
 ただの大木ではないか、そう言おうとして、首を傾げた。
「……不思議な雰囲気がある。魔力を持った木だろうか」
「いえ、違うんですよ。ここらの土地の記録を見る限り、この木が魔力を持っているはずがないんです。おそらく、長く生きたために魔力に近い何かを得た柏だと思うのですよ。とても稀有な例ですね。あたしはこの柏に一目惚れして、田舎にこの引っ越してきたんです」
 もう一度、柏の木を見る。何かを感じる。何だろうか。言葉を持たない生き物が言葉を持つ生き物に何かを必死に伝えようとしている感じに似ている。うまく説明できないが。
 午後から、明日香と茂は昼寝をするということで、ようやく静かになった。
「昨夜、少し調べてみたんですけどね」
 いずみは古くて分厚い本をテーブルの上に置き、同時にほこりが舞い上がる。
「未来を見る魔法自体は、珍しくはありませんが、とても難しいみたいですね。未来や過去を見る魔法が使える魔法生物は猫の他に梟、ライオンに多いようです。見ること自体は慣れれば難しくないみたいですが、見たい未来を見るというのがやはり難しいみたいです」
「いったいどうすれば、見たい未来を見ることができるのだろうか。彼女に関する未来が見たいんだ」
「少し難しい話をしますが、確定している未来ほど見えやすいようです。みらい、あなたは自分が見えた未来は変わらないと言いましたが、変わることのない未来が見えているのですよ。逆に言えば、まだ確定していない未来ほど、見えにくいということです」
「分かりやすく言うと、どうなるだろうか」
「そうですね……。例えば、蕾があったら、次の日花が咲くことはほとんど確定しますが、茂ちゃんと明日香ちゃんが明日何をして遊ぶかは確定できないでしょう。人間の心は揺れ動きますから、人間の関わる未来ほど見えにくいでしょうね」
 今まで意識したことなかったが、そうかもしれない。ルーレットの目なんかは見えやすい。
「それから、人間が関わっていても、見えやすい未来というものがあります。なんだか分かりますか」
「……死に関することか」
「そうです。生物である限り、いつか死は訪れます。もちろん、健康であれば死は見えにくいでしょうが、全く見えないということもないでしょう」
「それは困る。私は彼女に関するあらゆる未来が見えないんだ。彼女は永遠に死なないということか」
「みらい、落ち着いてください。その、彼女に関する未来が見たいというのならば、あなたと彼女の関係について聞いた方がいいかもしれないですね。聞かせてくださるかしら」
 いずみに言われて、あの日のことを思い出す。ぽつりぽつりと私は語り出した。

 私は彼女と彼女の家族のいる街に落ち着くまで、あっちに行ったりこっちに行ったりして猫らしくない暮らしをしてきた。その街に来たときは、魔法使いの生き残りがいるとは知らなかった。しかし、同じ魔法の匂いがするせいもあってか、とても落ち着く家で、その家を中心に生活するようになった。家族はいい人ばかりで、特に彼女と仲良くなった。その頃の彼女はよく笑った。もし、自分が人間だったら、彼女と恋人になるのもいいかもしれない、そんなことを想像するくらい、彼女を好きになった。
あの日、私はいつものように、彼女の家に出かけた。一月前に会ったとき、何も変わったところはなかった、彼女も彼女の家族も。仲の良い家族。そんなふうに見えていたし、実際そうだったはずだ。ただ、彼らは普通の家族じゃなかった。魔法使いの一族の最後だった。彼らが死に絶えれば、魔法使いも魔女もこの世界からいなくなる。魔法使いも魔女も所詮は生き物だ。魔力を持って生まれた人間に過ぎない。不老不死ではないし、永遠の存在でもない。そんな重荷を背負って彼らは暮していた。彼女はその重荷を大したことではないように語っていたし、実際彼女にとってはどうでもいいことだったのだろうと思う。でも、彼女の家族にとってはどうなのだろう。それについて、私は考えたことがなかった。
家の玄関から潜り込み、家の中が異様に静かだったことを覚えている。いつもなら、彼女か彼女の祖母が出迎えてくれるはずだ。彼女の名前を呼ぼうとして、思い出せないことに気づく。奇妙には思ったが、単なる度忘れだと考え、気に留めなかった。そして、私は中庭に向かう。季節の花が咲き乱れる中庭は彼女のお気に入りの場所の一つだった。彼女の母と祖母がよく手入れをしていた。魔法の薔薇も咲いていた。
その中庭が更地になっていた。地面には奇妙な文様やら文字が書き込まれている。初めて見たが、おそらく魔法陣だと見当がついた。その中央に彼女は倒れていた。驚いて、彼女の傍に駆け寄る。目覚めた彼女は私に話した。彼女が不老不死になったことを。
なぜ。どうして。私の疑問に彼女は答える。
「おじいちゃんとおばあちゃんはどうしても、魔法の一族を絶やしたくなかったの。それでいて、魔力を持っていない普通の人間と交わることを許さなかった。だから、家族の誰かが不老不死になれば、人間と血は交わらず、永遠に魔法の一族は生き続ける。そう考えたの。弟は病弱だったから、私が選ばれた。不老不死の魔法って知ってる? 家族の命と名前を捧げることで、不老不死を作り出すことができる。それにね、この土地に結界を張って、その魔法を強化してるらしいの。私は永遠にこの土地で生きるの。大丈夫。私、この街好きだし」
 彼女のその声は震えていた。
「理不尽だと思う」私は言った。
「しょうがないよ。私は、きっとこうなる運命で生まれてきたんだ」
「でも、理不尽だ。君の家族は君のことを愛してはいなかったのか」
「違うよ。愛してるとか、愛してないとか、そんなんじゃないよ。私より大切なものがあっただけ」
 私は黙る。かけるべき言葉が見つからない。
「みらいって、人間みたいだね。猫なのに。私は運が悪かっただけなんだよ。それを理不尽とか、覆せるとか思えない。世の中には、どうしようもないことがあるんだよ」
 なおも、私は沈黙したままだった。
「ねぇ、もし、この街で一生を終えるのが嫌だったら、出ていってもいいよ。みらいまで、私に付き合わなくていいと思う」
 彼女の名前を叫んだ。いや、叫んだつもりだったが、彼女の名前が出てこない。思い出せない。
「君の名前は、いったい……」
「みらい、私は世界で唯一の魔女なんだよ。名前なんか必要ない。魔女って言ったら、もう私以外いないんだから」
「そんな。だって、君は自分の名前をあんなに気に入っていたではないか」
 名前のない彼女は泣いていた。私の前足を握る。
「……ごめん。私に付き合わなくていいって言ったけど、やっぱり、私と一緒に生きて。お願い」
 彼女から零れた涙が私の額に流れ落ちる。私は自分の無力さをこれほど恨んだことは後にも先にもない。自分が人間だったら、彼女を抱きしめることができたのに。魔法使いだったら、この魔法を解く方法を考えたのに。私にできたことは彼女の手の甲を舐めることだけだった。
 それから、百年間、私と彼女はその街で暮らしてきた。彼女が突然、いなくなるまでは。

 私が話し終えたとき、辺りは夕日色に染まっていた。
「みらい、話してくれて、ありがとうございました。あたしはもう少し、深く調べ物をしてみようと思います。その間、あなたはここでゆっくりしていいですからね」
 いずみは、二人を家まで送ってくると言って、家を出た。夕日は森の中に吸い込まれて消えていく。
 いずみの言うことが正しければ、彼女の未来が見えないということは、彼女は死なないということか。永遠に一人で生き続けるのだろうか。

 次の日から、いずみは書斎に閉じこもる時間が多くなった。当然、子供たちの面倒は私にまわってくる。基本は二人で仲良く遊んでいるが、たまに喧嘩したり、危ないことを仕出かそうとしたりするので、目が離せない。
「ねえ、みらいはどうして、ピンクいろなの」
 私にもよく話しかけてくる。魔法生物なんて、もうほとんどいないはずだが、何の抵抗感なく、私に話しかけてくる。
「この色は生まれたときから、こうなんだ。私にも理由は分からない」
「じゃあ、なんで、しゃべれるの? ぼくのうちのいぬともしゃべれる?」
「おそらく、魔力のおかげだと思うが、詳しい仕組みは分からない。それから、私は猫なので、犬とは話すことができない」
「ふーん、そうなんだ」
 ちゃんと理解したのかどうかよく分からない返事だ。いずみは昼と夕方には必ず出てきてくれて、昼飯を作り、暗くなる前には二人を家に送っていく。

 そして、初夏の大嵐がやってきた。その日は朝から天気がぐずっていた。昼からいよいよ悪くなっていった。雷が鳴り響き、風と雨が屋根を打ち付ける。いずみの家は古いので、その音がとても響く。明日香と茂が怖がり泣きだしそうで、すっかり困っていたとき、書斎から、いずみが出てきた。
「みらい、分かったかもしれません。あなたがどうして、彼女の未来を見ることができないのか。それについて説明したいので、書斎に来ていただけますか」
「いずみ、ちょっと落ち着いてくれ。二人が泣きだしそうで困っているんだ」
「あらあら、新しい発見をしたので、つい年に似合わず興奮してしまいました」
「おばあちゃん、いつになったら、かみなりやむの」
 目に涙を浮かべて、茂が問いかける。
「茂ちゃん、泣かないで。あらあら、二人ともおいでなさい。お昼ごはんを食べましょう。おいしいものを食べたら、きっと元気が出てくるでしょう」
 そんなわけで、私の話よりお昼が先になった。ご飯を食べたら、二人は少し元気を取り戻したようだ。お昼の片づけをしていた頃、二人の親が心配して迎えに来た。明日香の母親がいずみに私たちの家に来ないかと誘った。この古い家が倒れてしまわないか心配したのだろう。いずみは、大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます、と言って断った。
 外はうるさいはずなのに、二人がいなくなった瞬間に家の中はしんと静まり返るようだった。
「さて、みらい、書斎に来ていただけますか」
 不安と期待が入り混じりながら、書斎へと足を入れる。噎せかえらんばかりの古書の匂いで溢れている。壁の本棚にびっしりと本が並んでいた。机の上には、数十冊の本がひろげられていて、そのうち数冊に色とりどりの付箋が張ってあった。いずみは椅子に座り、眼鏡をかける。すると、研究者らしく見えてきた。二人の前では、優しいおばあさんとい言った感じなのに。
「調べてみたのですが、見えにくいではなく、全く見えない未来があることが分かりました」
「それは……不老不死の者の未来だろうか」
「いえいえ、みらい、もっと単純なことです。未来を見ることができる者は、自分の未来を見ることは決してできないのです。一番不確定な未来が自分であるというのは面白い話ですよね」
「しかし、いずみ、私が見えないのは自分の未来ではなくて、彼女の未来なのだ」
「ですから、考えてみたんです。もしかしたら、あなたの未来と彼女の未来は密接に絡み合っているのではないか、と」
「それは、もしかして、私はいつか必ず、彼女に会えるということだろうか……」
「いいえ、みらい、そこまで単純な話でもないようです。もちろん、その可能性は高いのですか、そうではなくて、みらい、あなたは自分が彼女の重要なものを持っていることに気づきませんか」
「重要なもの……?」
「分かりませんか?」
「彼女との思い出、だろうか」
「みらいはロマンチックですね、でも、違います」少し恥ずかしい。
「魔法とは、自らの魔力を使っていくつもの材料をまとめ上げる作業なのですよ。今となってはその深淵に触れることはできませんが、昔の日は魔法を料理に例えていたようですね。あなたの大切な人は何を使って、不老不死になったのでしょうか?」
「その土地の魔力と、家族の命と、そして、そうだ、彼女の名前……」
「みらい、そうです。今は忘れているかもしれませんが、彼女の名前を思い出せるのはあなただけなのです。今、彼女は不老不死の魔法にかかっているそうですね。土地の結界を自力で破ることが出来たなら、あとは名前だけだと思います。みらい、あなたが彼女の名前を呼べば、彼女の不老不死の魔法はきっと解けるでしょう。あなたは彼女の運命を変える力を持っています。しかし、故に彼女の未来を見ることはできないでしょう」
 いずみの言葉を聞いて、私は世界が変わった気がした。ついさっきまで、世界が白黒だったのではないかと思えるほどだ。私が彼女の名前を思い出せば、彼女は不老不死の呪縛から解き放たれる。彼女を見つける手掛かりにはならなかったが、旅の中で初めて、希望が見えた。ずっと、彼女を見つけたとしても、今までと同じ生活に戻るだけだと思っていた。それしかないと思っていた。でも、そうじゃない。彼女の名前を思い出すことができれば、私と彼女は一緒に年をとることができる。同じ景色を見ることができる。思い出せるだろうか。でも、それでも、もしかしたら、 本当にそんな夢みたいなことが叶うのかも知れない。
「いずみ、ありがとう。なんて感謝したらいいだろう……」
 いずみにお礼を言いかけた時だった。轟音が鳴り響いたかと思うと、何か巨大なものが倒れる音が聞こえた。
「今の音は……」
「みらい、今日は危ないですから、明日この音の原因を探りましょう。とはいっても、予想はついているのですが」
 いずみは悲しそうな顔をして、そう言った。

 翌日、昨日の大嵐が嘘のように、空は晴れ渡った。庭に出て、昨日の音の正体はすぐに分かった。柏の大木が、倒れていた。おそらく、雷にやられたのだろう。
「やっぱり、倒れてしまいましたか」
「予想していたのか」
「ずいぶん年寄りの木でしたからね。とても残念なことですが、生きているかぎり、いつかは死ぬものなんです」
 いずみは続けた。
「みらい、聞きたいことがあるんです。あなたが彼女の名前を呼べば、彼女にもいつか死が訪れることになる。きっと、彼女はあなたより先に死ぬことになるでしょう。あなたは彼女のいない時間をどんなに少なく見積もっても数十年は生きることになるでしょう。それでも、彼女の名前を呼びますか」
 しばらく考えてから、私は答えた。
「私は彼女のために死ぬことすら厭わない。彼女のために孤独を生きることがどうしてできないだろうか」
 いずみは少女のようにくすくす笑い、言った。
「みらい、一年後にきっとまたここを訪れてくださいな。きっと柏の木の跡にいっぱいの花を咲かせておきますから」
 私は頷いた。玄関の方から明日香と茂の声が聞こえる。

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