未来猫

第三章 赤塚竜平

「もしかして、あんたが、みらいとかいう名前の猫なのか」
 紅葉したかえでが鼻の上に落ちてきた。ひらひらと舞いながら落ちてきた。塀の上で昼寝をしていたところ、一人の男に話しかけられた。
「そうだが、どうして私のことを知っている」
「街の情報屋に聞いた。あんた、けっこう噂になってて、知ってるやつは知ってるぜ」
「そうなのか?」
「全国歩き回ってるんだから、知られてるに決まってるだろう。人探しなんだって?」
「そうだ。まだ見つかってない」
「あんた、未来が見えるんだろう? それでなんとかならないのか?」
「残念ながら、自在に見えるというわけではないんだ。たいていはうまくいくんだが、どうしてもうまくいかないこともある。見たくない未来が見えてしまうこともあるし、見たい未来が全く見えないこともある」
「そうか、万能ではないんだな」
「それで、何の用だ? 私に用があるから、来たのだろう?」
「そうなんだ。おれもあんたと同じ人探しってところかな。まぁ、こんな寒いところで立ち話もなんだからさ、おれのアパートで話を聞いてくれないか?」
 私は人探しにつられて、赤塚竜平のアパートに行くことにした。

古いが、こぎれいな部屋だった。一人で暮らしているようだった。
 ざぶとんを二枚、引っ張りだす。どっかと座った。と思ったら、立ち上がり、冷蔵庫から、板チョコを取り出して、がりっとかじる。
「あんたも何か食べるか?」
「じゃあ、そのチョコをもらおう」
「猫って、チョコ大丈夫なのか? 食べたらまずいって聞いたことがあるけど」
「普通の猫はだめだが、私は大丈夫だ」
「なんだ、その理屈」
 笑いながらも、板チョコの端をぱきっと割って、私の前に置いてくれた。私が板チョコをぺろぺろ舐めていると、竜平は話し始めた。
「何から話せばいいか、いまいち分かんないけどな。ま、最初は自己紹介だよな」
「名前なら、さっき聞いたが?」
「職業だよ、職業。おれの仕事が何かって重要だろ」
「まぁ、確かにそうだな」
 人間の仕事は特に興味はないが、耳を傾ける。
「えーと、まぁ、なんだ、その、おれは、その、いわゆる殺し屋なんだ」
「は?」
 私が人間に驚かされることなどそうないが、これには驚いた。殺し屋と言えば、人間を殺して、金をもらっている、ろくでもない連中だと聞いている。
「それは、冗談というやつか? 私はあまり冗談というやつが得意ではないんだ。どこで笑えばいいんだ?」
「みらい、落ち着いてくれよ。冗談じゃないんだ。おれは殺し屋なんだ」
「私に頼みとは何だ? 人間を殺すのを手伝えと言うなら断る。今すぐ出ていく」
「ちょっと待ってくれ。話だけでも聞いてってくれよ」
 竜平の目を見た。真剣な目をしていた。人殺しなんかをしているとは思えないほどに。
「……話を聞くだけだ」
 私は再び腰を下ろし、板チョコを舐め始めた。
「ありがとう。で、おれが何で殺し屋になったかってとこから始まるんだけどな」
 竜平は深いため息をついた。これから話したくないこと話すように見えた。
「もう、十年前になるのか。おれには妹がいたんだ。けっこう仲のいい兄妹って言われてたんだけどな、まぁ、今それはどうでもいいか。妹が大学二年のとき、買い物から帰ってこないことがあったんだ。二日後、山奥で見つかった妹は、額が撃ち抜かれていた。妹は殺されたんだ」
 竜平は少しの間、目を閉じる。開ける。また、話を始める。
「どうして、妹は殺されたのか? 警察の説明はまるで要領を得ず、いつまで経っても、犯人の手掛かりは見つからなかった。父さんと母さんは泣き暮れてばかりいたけどな、おれは真相が知りたくて、動いた。あらゆる手を尽くして、調べた。調べたけど、何も分からなかった。手掛かりも何も出てこないんだよな。一年くらいして、一人の情報屋に出会った。その人、裏の世界に詳しい人でさ、それで、分かったんだよ。どうして、妹は殺されたのか?」
「どうしてなんだ?」
 竜平から、明るい雰囲気がすっかり消え去っているのに気付いた。
「杉崎鈴」
「杉崎鈴?」
「殺し屋の名前だよ。その殺し屋が人を殺した現場を妹は見てしまった。それで、妹は証拠隠滅のために殺されたってわけだ」
 ここで、竜平はたばこを取り出して火を点けた。たばこの匂いは嫌いだったが、何も言わなかった。言えなかった。
「おれはどうしても、杉崎鈴に復讐したかった。けどな、その情報屋に止められた。杉崎鈴は現時点で最も優れた殺し屋の一人だと。警察もわざと手を出さずにいる。おれが挑んだって、無駄死にするだけだって。そもそも、居場所もめったに分からない。殺すなんて騒いでいたら、見つける前に殺されるだろうって。だから、おれは殺し屋になったんだ。やつと同じ土俵に入って、殺す機会を伺うことにしたんだよ」
 恐ろしいほど、冷たい声だった。
「殺しの技術も覚えて、嫌なこともあれもこれも、杉崎鈴を殺すため、妹の仇を討つためだって自分に言い聞かせてやってきた。でも、どうにもこうにも杉崎鈴の居場所が分からない。そんなとき、あんたの噂を聞いた。居場所を見つけるのに、役立つかなって思ったんだけどな」
 ちらとこちらを見る。
「事情は分かった。だが、やはり、人間を殺すことは手伝えない」
 竜平は、悲しそうな残念そうな目をした。
「そっか。そうだよな。こんなこと手伝うようなやついないよな……。話だけでも聞いてくれて、ありがとな」
 外はいつのまにか、雨が降っていた。雨脚が少しずつ速くなっている。
「あのさ、今日くらい、おれのアパートで寝たらどうだ? 雨も降ってきたし、外は寒いだろ?」声の温度が少しだけ緩んでいた。
「そうだな。今晩だけ、面倒になろう。秋雨は冷たいから」

 次の日の朝、私はひどい腹痛で目が覚めた。
起き上がることができないほど、痛い。いったい、何だ? 生まれてこのかた、大きな病気はしたことがない。これといった持病もない。いったい、何だ?
「おい、どうしたんだ。大丈夫か?」
 私のうめき声で、竜平が起きてきた。腹が激しく痛むことを伝える。
「もしかして、昨日のさんまが当たったのか」
 確かに昨日の夜は二人でさんまを食べた。非常に脂がのっていて、うまかった。少し消費期限が過ぎていたことを竜平は気にしていたが、私は焼くから大丈夫だろうと言った。昨日のさんまが……?
「い、いや、じゃあ、何で、竜平は平気で私だけが苦しんでいるんだ?」
「あぁ、そっか。じゃあ、別のものか。でも、少なくとも、昨日の夜は食べたものは同じだよな?」
「あ」
 一つ、思い当たるものがあった。言ってしまえば、竜平に笑われる可能性が高い。しかし、ここで意地を張って、どうすると言うんだ?
「実は……」
「いったい、何を食べたんだ?」
「チョコを食べたのは初めてだったんだ」
 それから、およそ十分の間、竜平は笑い続けた。腹を抱えて、手を床に叩きつけて、もういい加減にしたらどうだと言いたくなるほど、笑った。こんなに笑われたのは、初めての経験だ。怒りを通り越して、新鮮な気持ちにすらなる。当然、私はその間、腹痛に耐えていたのだが。
「あ、あんた、大丈夫って言ってたよな? おれより頭良さそうに見えたのに、食い意地はってたのかよ?」
 ようやく話したかと思うと、また笑い始めた。さらに数分ほど笑い、やっと落ち着いたようだ。
「なんか、人間に似てるよな」
「人間に?」
「食べてみたいって気持だけで危ないもの食うってあり得ないだろ。食べなきゃ死ぬって状況で食うならまだ分かるけどな。ふぐ食って死ぬ人間に、あんたは似てる」
「まだ、私は死んでない」
 かろうじて、言い返す。頭もくらくらしてきた。
「で、どうする。病院行くか? 今の時間、動物病院とか開いてるのかな」
「いや、たぶん、二、三日も寝ていれば、治る」
 これは本当のことだ。魔力のおかげで、たいていのけがや病気は放置していたほうが治りが早い。
「じゃあ、まだ、おれのアパートにいるってことか?」
 私は仕方なくうなずいた。

 その夕方、幾分か腹が落ち着いてきたので、出かけるという竜平についていくことにした。少し風に当たりたかったのだ。
「どこへ行くんだ?」
「情報屋に会いに行くんだ。あんたが寝てる間に、珍しくあっちから連絡があって、杉崎鈴の情報が入ったって。あんたに頼らなくてすむかもしれない」
 頼られても、手伝うつもりはない。というか、手伝える状態ではないのだが。
 外に出ると、空気は冷たいが、空は晴れ上がっていた。息が白くなる。
 竜平の肩に乗って、商店街を進んでいく。そして、一軒の飲み屋に入っていく。
「店長、中山さん、いるか」
「二階の座敷に行きな」
 竜平は店長の指示に従い、二階に行く。
「裏の世界というものだから、もっとおどろおどろしいようなところへ行くのかと思っていた」
「そんなことないさ。裏の世界なんて言っても、表の世界と密接に絡みついてる。打ち合わせの場所が喫茶店なんてこともざらにあるし。表裏一体と言うだろ。裏の世界は表の世界とそんなに離れちゃいないよ」
 座敷に入ると一人の中年男がいた。刺身を食いながら、酒を飲み、太ってはいないが、どちらかと言えば不健康そうな身なりをしている。
「おぉ、竜平か。待ってたぞ」
「中山さん、本当に次の情報は確かなんですか」
「そんなの、知るか。杉崎鈴についての情報なんざ、入ることすら稀なんだぞ。真偽は知らんが、とりあえず聞いとけ」
 なんだか、むちゃくちゃである。情報屋というから、もっとスマートに仕事をこなす人間を想像していた。それが、真偽は知らんと来た。
「あれ、もしや、その猫、未来が見えるっていう猫か。珍しく、俺の情報が当たったわけだ」
「確かに、中山さんの情報が珍しく当たったよ。でも、杉崎鈴探しは協力してもらえないかもしれない」
「どうしてだ」
「理由は何であれ、人殺しに協力する気はないそうだ。それに、今、体調を崩してて……」
 そこで、竜平は再び笑いを我慢できずに吹き出した。なんとか、中山に事情を話すと、今度は二人で笑いだす。
「魔法生物なんざ、初めて見るが、案外間抜けな生き物なんだな」
「普段はそれほど間抜けではない。チョコレートへの興味を断ち切れなかっただけだ」
 何とか反論するが、また腹が痛くなってきた。私は竜平の隣で丸くなった。二人は杉崎鈴の情報について話し始める。うとうとしながら、話が終わるのを待つ。
中山と竜平の話は夜も更けてきた頃に終わった。涼しい夜道を歩きながら、竜平が話しかける。
「みらい、明日も暇か」
「腹痛はまだ治らないし、暇と言えば、暇だな」
「明日、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ」

 ゾウがいる。キリンがいる。シマウマがいる。彼女と暮した街には動物園がなかったので、ほとんど初めて見る動物ばかりだ。
「竜平、動物園に来て、何をするつもりなんだ」
「いや? ただ来ただけだよ」
 動物園は他の人間と来て、動物を見て、楽しむ場所だと思っていた。竜平は一人でぶらぶらと園内を見てまわるだけで、楽しそうな様子もない。
「……小さい頃さ、家族でよくこの動物園に来てたんだよな。なんか、ここに来ると落ち着くからさ、でかい仕事の前にはよく来るんだ」
「……それはこのあと、でかい仕事があるということか」
「そうかもな」
「……それは昨日の話と関係があるか」
「どうだろうな。中山さんの情報がまたデマカセだったら、このまま帰って寝るだけだし」
 動物園には夕方までいた。帰り道、建物の間から見事な夕日が見えた。
「さくらんぼみたいだ」
「さくらんぼ?」
「おとといの夜に、デザートにってさくらんぼの缶詰を開けただろ。あのさくらんぼに似てる夕日だ。真っ赤で崩れそうなとこが似てる」
 面白いたとえだ。本当に殺し屋なのかと思ってしまう。
「みらい、先に帰ってていいぞ。アパートの窓を少し開けといたから、そこから入れるだろ」
「竜平はどうするつもりだ」
「さあな。明日の朝、冷たくなってるか、アパートの布団で眠ってるかは、まだ分からないね」
「竜平、見届けてもいいだろうか」
「見届ける?」
「私は一度、逃げたことがあるんだ。だから、結果がどうなろうとも、最後まで見届けたい。その、協力することはできないが……」
「そうか。じゃあ、ついてきてくれ」

 竜平は私が何から逃げ出したかを聞かなかった。私は桜のことを思い出していた。そして、彼女が死にかけた日のことを思い出していた。彼女と私がまだ一緒に街で暮らしていた頃、彼女が崖から落ちたことがあった。崖に生えていた花をとろうとして手を伸ばし、バランスを崩して落ちたらしい。助かる高さではない。彼女が屋敷に帰ってきたとき、首はおかしな方向に曲がっていたし、頭からはとめどなく血が流れていたが、次の日には傷は全て治っていた。そして、彼女は「私、もう普通の人間じゃないんだ」と言って、泣き崩れた。そのときも私は彼女の傍にいることしかできなかった。

 夕日がほとんど沈んだ頃、工場跡地に着いた。街の明かりが遠くに見える。こんなところに誰もいないはずだが、何か物音がする。
よく分からない機械が並んだ合間から、一人の人間が見えた。細身の男で、竜平よりも若く見える。
「みらい、どこか安全なところにいたほうがいい」
「そうさせてもらう」
 竜平の肩から、飛び降り、機械の安定する場所に上る。竜平はもう細身の男と対面していた。
「……間違いがあったら嫌だから初めに聞くが、お前が杉崎鈴か」
「そうです。あなたは誰ですか」
「赤塚梨奈って名前に聞き覚えはあるか」
「……ありません」
 次の瞬間、竜平は銃を引き抜いた。杉崎鈴もそれに反応して、ナイフを構える。どうやら、杉崎鈴はここでひと仕事を終えていたのだと気付く。油の臭いで気付きにくいが、深く吸い込むと血の匂いが混じる。
 一発目の銃弾が杉崎鈴の太ももを掠める。体勢を崩しかけるが、そのまま一気に竜平との距離を詰める。二発目。外れる。三発目。外れる。杉崎鈴はぎりぎりで銃弾を躱している。竜平の喉笛を切り裂こうとする。ナイフの切っ先が掠め、赤い線ができる。竜平は銃で思い切り杉崎鈴の頭を殴りつける。一瞬動きの止まった杉崎鈴を銃で狙うが、杉崎鈴はまたもやぎりぎりで躱し、距離を離す。
「あの、よければ、どうして、僕を殺そうとするのか、教えていただけませんか」
 頭から血を流しながら、竜平に問いかける。血の匂いが濃くなる。現状、けがの浅い竜平の方が優勢に見えるが、昨日、うとうとしながら聞いていた、中山と竜平の会話を思い出す。人を殺す、天才。
「あの、どうしてですか」
「……お前が、俺の妹を殺したからだ」
 竜平が怒鳴った。その瞬間、竜平の肩にナイフが突き刺さる。杉崎鈴が投げたのだ。竜平は怒りのままに銃を撃つが全て外れた。
「すいません。本当は覚えてました。竜平さんは腕がいいと聞いていたので、冷静さを失わせないと、こっちがやられると思ったんです」
 冷静にそんなことを言いながら、距離を再び詰める。竜平は別の銃を取り出そうとしているが、間に合いそうにない。そうか。竜平はここで死ぬのか。そう思った瞬間、私は杉崎鈴の腕に飛びついていた。杉崎鈴は驚いただろうが、私の方がもっと驚いていた。私はいったい何をしているのだ。見ているだけで協力はしないつもりではなかったのか。私が振り払われたとき、竜平は銃をすでに構えていた。
 近くで銃声を聞くと、鼓膜が破れそうだ。銃弾は杉崎鈴の肩に当たっていた。杉崎鈴が避けたというよりは、竜平の手が震えたせいで急所を外れたようだ。もう一発撃ち込もうと再び構えるが、力なく腕を落とす。銃を落とし、胸を抑え、倒れこむ。どうしたというのだ。
「卑怯な手を使って、申し訳ありません。あなたは、刺し違えてでも僕のことを殺したいでしょうが、僕には死ねない理由があるんです。効き始めたら、あまり長くは苦しまないはずなので、それで勘弁してください」
「……ナイフに毒か」
 苦しそうに竜平が答える。
「竜平、大丈夫か」
 大丈夫なはずがないが、他に何と声をかけたらいいか分からず、おろおろとする。
「……みらい、巻き込んで悪かったな」
 出会って三日目で、そんなに親しくもないというのに、悲しみが込み上げてくる。死と向き合うということは悲しみと向き合うことなんだろうか。
「私こそ、協力できなくて、悪かった」
 竜平は何か言おうとしたが、聞き取れない。激しく咳き込んで、血を大量に吐くと、それきり動かなくなった。死ぬということは、こんなにも生きるということなのか。
「杉崎鈴、一つ聞いてもいいだろうか」
「なんですか」
「さっき言っていた、死ねない理由とは何だ」
「僕は……僕には、恋人がいるんですよ。彼女のために、死ぬことはできません」
「そうか」
「あなたって、人探ししてるっていう魔法の猫ですよね? 僕からも一つ、質問いいですか。あなたが探してる人って、あなたにとってそんなに大切な人なんですか」
 彼女が私にとって大切でなければ、こんなにもなって探しているはずがない。私はどれだけ、彼女のことを大切に思っているのだろう。杉崎鈴の方を振り向いた。
「……とても大切なんだ。彼女を殺しても構わないと思えるくらい」
赤塚竜平

「もしかして、あんたが、みらいとかいう名前の猫なのか」
 紅葉したかえでが鼻の上に落ちてきた。ひらひらと舞いながら落ちてきた。塀の上で昼寝をしていたところ、一人の男に話しかけられた。
「そうだが、どうして私のことを知っている」
「街の情報屋に聞いた。あんた、けっこう噂になってて、知ってるやつは知ってるぜ」
「そうなのか?」
「全国歩き回ってるんだから、知られてるに決まってるだろう。人探しなんだって?」
「そうだ。まだ見つかってない」
「あんた、未来が見えるんだろう? それでなんとかならないのか?」
「残念ながら、自在に見えるというわけではないんだ。たいていはうまくいくんだが、どうしてもうまくいかないこともある。見たくない未来が見えてしまうこともあるし、見たい未来が全く見えないこともある」
「そうか、万能ではないんだな」
「それで、何の用だ? 私に用があるから、来たのだろう?」
「そうなんだ。おれもあんたと同じ人探しってところかな。まぁ、こんな寒いところで立ち話もなんだからさ、おれのアパートで話を聞いてくれないか?」
 私は人探しにつられて、赤塚竜平のアパートに行くことにした。

古いが、こぎれいな部屋だった。一人で暮らしているようだった。
 ざぶとんを二枚、引っ張りだす。どっかと座った。と思ったら、立ち上がり、冷蔵庫から、板チョコを取り出して、がりっとかじる。
「あんたも何か食べるか?」
「じゃあ、そのチョコをもらおう」
「猫って、チョコ大丈夫なのか? 食べたらまずいって聞いたことがあるけど」
「普通の猫はだめだが、私は大丈夫だ」
「なんだ、その理屈」
 笑いながらも、板チョコの端をぱきっと割って、私の前に置いてくれた。私が板チョコをぺろぺろ舐めていると、竜平は話し始めた。
「何から話せばいいか、いまいち分かんないけどな。ま、最初は自己紹介だよな」
「名前なら、さっき聞いたが?」
「職業だよ、職業。おれの仕事が何かって重要だろ」
「まぁ、確かにそうだな」
 人間の仕事は特に興味はないが、耳を傾ける。
「えーと、まぁ、なんだ、その、おれは、その、いわゆる殺し屋なんだ」
「は?」
 私が人間に驚かされることなどそうないが、これには驚いた。殺し屋と言えば、人間を殺して、金をもらっている、ろくでもない連中だと聞いている。
「それは、冗談というやつか? 私はあまり冗談というやつが得意ではないんだ。どこで笑えばいいんだ?」
「みらい、落ち着いてくれよ。冗談じゃないんだ。おれは殺し屋なんだ」
「私に頼みとは何だ? 人間を殺すのを手伝えと言うなら断る。今すぐ出ていく」
「ちょっと待ってくれ。話だけでも聞いてってくれよ」
 竜平の目を見た。真剣な目をしていた。人殺しなんかをしているとは思えないほどに。
「……話を聞くだけだ」
 私は再び腰を下ろし、板チョコを舐め始めた。
「ありがとう。で、おれが何で殺し屋になったかってとこから始まるんだけどな」
 竜平は深いため息をついた。これから話したくないこと話すように見えた。
「もう、十年前になるのか。おれには妹がいたんだ。けっこう仲のいい兄妹って言われてたんだけどな、まぁ、今それはどうでもいいか。妹が大学二年のとき、買い物から帰ってこないことがあったんだ。二日後、山奥で見つかった妹は、額が撃ち抜かれていた。妹は殺されたんだ」
 竜平は少しの間、目を閉じる。開ける。また、話を始める。
「どうして、妹は殺されたのか? 警察の説明はまるで要領を得ず、いつまで経っても、犯人の手掛かりは見つからなかった。父さんと母さんは泣き暮れてばかりいたけどな、おれは真相が知りたくて、動いた。あらゆる手を尽くして、調べた。調べたけど、何も分からなかった。手掛かりも何も出てこないんだよな。一年くらいして、一人の情報屋に出会った。その人、裏の世界に詳しい人でさ、それで、分かったんだよ。どうして、妹は殺されたのか?」
「どうしてなんだ?」
 竜平から、明るい雰囲気がすっかり消え去っているのに気付いた。
「杉崎鈴」
「杉崎鈴?」
「殺し屋の名前だよ。その殺し屋が人を殺した現場を妹は見てしまった。それで、妹は証拠隠滅のために殺されたってわけだ」
 ここで、竜平はたばこを取り出して火を点けた。たばこの匂いは嫌いだったが、何も言わなかった。言えなかった。
「おれはどうしても、杉崎鈴に復讐したかった。けどな、その情報屋に止められた。杉崎鈴は現時点で最も優れた殺し屋の一人だと。警察もわざと手を出さずにいる。おれが挑んだって、無駄死にするだけだって。そもそも、居場所もめったに分からない。殺すなんて騒いでいたら、見つける前に殺されるだろうって。だから、おれは殺し屋になったんだ。やつと同じ土俵に入って、殺す機会を伺うことにしたんだよ」
 恐ろしいほど、冷たい声だった。
「殺しの技術も覚えて、嫌なこともあれもこれも、杉崎鈴を殺すため、妹の仇を討つためだって自分に言い聞かせてやってきた。でも、どうにもこうにも杉崎鈴の居場所が分からない。そんなとき、あんたの噂を聞いた。居場所を見つけるのに、役立つかなって思ったんだけどな」
 ちらとこちらを見る。
「事情は分かった。だが、やはり、人間を殺すことは手伝えない」
 竜平は、悲しそうな残念そうな目をした。
「そっか。そうだよな。こんなこと手伝うようなやついないよな……。話だけでも聞いてくれて、ありがとな」
 外はいつのまにか、雨が降っていた。雨脚が少しずつ速くなっている。
「あのさ、今日くらい、おれのアパートで寝たらどうだ? 雨も降ってきたし、外は寒いだろ?」声の温度が少しだけ緩んでいた。
「そうだな。今晩だけ、面倒になろう。秋雨は冷たいから」

 次の日の朝、私はひどい腹痛で目が覚めた。
起き上がることができないほど、痛い。いったい、何だ? 生まれてこのかた、大きな病気はしたことがない。これといった持病もない。いったい、何だ?
「おい、どうしたんだ。大丈夫か?」
 私のうめき声で、竜平が起きてきた。腹が激しく痛むことを伝える。
「もしかして、昨日のさんまが当たったのか」
 確かに昨日の夜は二人でさんまを食べた。非常に脂がのっていて、うまかった。少し消費期限が過ぎていたことを竜平は気にしていたが、私は焼くから大丈夫だろうと言った。昨日のさんまが……?
「い、いや、じゃあ、何で、竜平は平気で私だけが苦しんでいるんだ?」
「あぁ、そっか。じゃあ、別のものか。でも、少なくとも、昨日の夜は食べたものは同じだよな?」
「あ」
 一つ、思い当たるものがあった。言ってしまえば、竜平に笑われる可能性が高い。しかし、ここで意地を張って、どうすると言うんだ?
「実は……」
「いったい、何を食べたんだ?」
「チョコを食べたのは初めてだったんだ」
 それから、およそ十分の間、竜平は笑い続けた。腹を抱えて、手を床に叩きつけて、もういい加減にしたらどうだと言いたくなるほど、笑った。こんなに笑われたのは、初めての経験だ。怒りを通り越して、新鮮な気持ちにすらなる。当然、私はその間、腹痛に耐えていたのだが。
「あ、あんた、大丈夫って言ってたよな? おれより頭良さそうに見えたのに、食い意地はってたのかよ?」
 ようやく話したかと思うと、また笑い始めた。さらに数分ほど笑い、やっと落ち着いたようだ。
「なんか、人間に似てるよな」
「人間に?」
「食べてみたいって気持だけで危ないもの食うってあり得ないだろ。食べなきゃ死ぬって状況で食うならまだ分かるけどな。ふぐ食って死ぬ人間に、あんたは似てる」
「まだ、私は死んでない」
 かろうじて、言い返す。頭もくらくらしてきた。
「で、どうする。病院行くか? 今の時間、動物病院とか開いてるのかな」
「いや、たぶん、二、三日も寝ていれば、治る」
 これは本当のことだ。魔力のおかげで、たいていのけがや病気は放置していたほうが治りが早い。
「じゃあ、まだ、おれのアパートにいるってことか?」
 私は仕方なくうなずいた。

 その夕方、幾分か腹が落ち着いてきたので、出かけるという竜平についていくことにした。少し風に当たりたかったのだ。
「どこへ行くんだ?」
「情報屋に会いに行くんだ。あんたが寝てる間に、珍しくあっちから連絡があって、杉崎鈴の情報が入ったって。あんたに頼らなくてすむかもしれない」
 頼られても、手伝うつもりはない。というか、手伝える状態ではないのだが。
 外に出ると、空気は冷たいが、空は晴れ上がっていた。息が白くなる。
 竜平の肩に乗って、商店街を進んでいく。そして、一軒の飲み屋に入っていく。
「店長、中山さん、いるか」
「二階の座敷に行きな」
 竜平は店長の指示に従い、二階に行く。
「裏の世界というものだから、もっとおどろおどろしいようなところへ行くのかと思っていた」
「そんなことないさ。裏の世界なんて言っても、表の世界と密接に絡みついてる。打ち合わせの場所が喫茶店なんてこともざらにあるし。表裏一体と言うだろ。裏の世界は表の世界とそんなに離れちゃいないよ」
 座敷に入ると一人の中年男がいた。刺身を食いながら、酒を飲み、太ってはいないが、どちらかと言えば不健康そうな身なりをしている。
「おぉ、竜平か。待ってたぞ」
「中山さん、本当に次の情報は確かなんですか」
「そんなの、知るか。杉崎鈴についての情報なんざ、入ることすら稀なんだぞ。真偽は知らんが、とりあえず聞いとけ」
 なんだか、むちゃくちゃである。情報屋というから、もっとスマートに仕事をこなす人間を想像していた。それが、真偽は知らんと来た。
「あれ、もしや、その猫、未来が見えるっていう猫か。珍しく、俺の情報が当たったわけだ」
「確かに、中山さんの情報が珍しく当たったよ。でも、杉崎鈴探しは協力してもらえないかもしれない」
「どうしてだ」
「理由は何であれ、人殺しに協力する気はないそうだ。それに、今、体調を崩してて……」
 そこで、竜平は再び笑いを我慢できずに吹き出した。なんとか、中山に事情を話すと、今度は二人で笑いだす。
「魔法生物なんざ、初めて見るが、案外間抜けな生き物なんだな」
「普段はそれほど間抜けではない。チョコレートへの興味を断ち切れなかっただけだ」
 何とか反論するが、また腹が痛くなってきた。私は竜平の隣で丸くなった。二人は杉崎鈴の情報について話し始める。うとうとしながら、話が終わるのを待つ。
中山と竜平の話は夜も更けてきた頃に終わった。涼しい夜道を歩きながら、竜平が話しかける。
「みらい、明日も暇か」
「腹痛はまだ治らないし、暇と言えば、暇だな」
「明日、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ」

 ゾウがいる。キリンがいる。シマウマがいる。彼女と暮した街には動物園がなかったので、ほとんど初めて見る動物ばかりだ。
「竜平、動物園に来て、何をするつもりなんだ」
「いや? ただ来ただけだよ」
 動物園は他の人間と来て、動物を見て、楽しむ場所だと思っていた。竜平は一人でぶらぶらと園内を見てまわるだけで、楽しそうな様子もない。
「……小さい頃さ、家族でよくこの動物園に来てたんだよな。なんか、ここに来ると落ち着くからさ、でかい仕事の前にはよく来るんだ」
「……それはこのあと、でかい仕事があるということか」
「そうかもな」
「……それは昨日の話と関係があるか」
「どうだろうな。中山さんの情報がまたデマカセだったら、このまま帰って寝るだけだし」
 動物園には夕方までいた。帰り道、建物の間から見事な夕日が見えた。
「さくらんぼみたいだ」
「さくらんぼ?」
「おとといの夜に、デザートにってさくらんぼの缶詰を開けただろ。あのさくらんぼに似てる夕日だ。真っ赤で崩れそうなとこが似てる」
 面白いたとえだ。本当に殺し屋なのかと思ってしまう。
「みらい、先に帰ってていいぞ。アパートの窓を少し開けといたから、そこから入れるだろ」
「竜平はどうするつもりだ」
「さあな。明日の朝、冷たくなってるか、アパートの布団で眠ってるかは、まだ分からないね」
「竜平、見届けてもいいだろうか」
「見届ける?」
「私は一度、逃げたことがあるんだ。だから、結果がどうなろうとも、最後まで見届けたい。その、協力することはできないが……」
「そうか。じゃあ、ついてきてくれ」

 竜平は私が何から逃げ出したかを聞かなかった。私は桜のことを思い出していた。そして、彼女が死にかけた日のことを思い出していた。彼女と私がまだ一緒に街で暮らしていた頃、彼女が崖から落ちたことがあった。崖に生えていた花をとろうとして手を伸ばし、バランスを崩して落ちたらしい。助かる高さではない。彼女が屋敷に帰ってきたとき、首はおかしな方向に曲がっていたし、頭からはとめどなく血が流れていたが、次の日には傷は全て治っていた。そして、彼女は「私、もう普通の人間じゃないんだ」と言って、泣き崩れた。そのときも私は彼女の傍にいることしかできなかった。

 夕日がほとんど沈んだ頃、工場跡地に着いた。街の明かりが遠くに見える。こんなところに誰もいないはずだが、何か物音がする。
よく分からない機械が並んだ合間から、一人の人間が見えた。細身の男で、竜平よりも若く見える。
「みらい、どこか安全なところにいたほうがいい」
「そうさせてもらう」
 竜平の肩から、飛び降り、機械の安定する場所に上る。竜平はもう細身の男と対面していた。
「……間違いがあったら嫌だから初めに聞くが、お前が杉崎鈴か」
「そうです。あなたは誰ですか」
「赤塚梨奈って名前に聞き覚えはあるか」
「……ありません」
 次の瞬間、竜平は銃を引き抜いた。杉崎鈴もそれに反応して、ナイフを構える。どうやら、杉崎鈴はここでひと仕事を終えていたのだと気付く。油の臭いで気付きにくいが、深く吸い込むと血の匂いが混じる。
 一発目の銃弾が杉崎鈴の太ももを掠める。体勢を崩しかけるが、そのまま一気に竜平との距離を詰める。二発目。外れる。三発目。外れる。杉崎鈴はぎりぎりで銃弾を躱している。竜平の喉笛を切り裂こうとする。ナイフの切っ先が掠め、赤い線ができる。竜平は銃で思い切り杉崎鈴の頭を殴りつける。一瞬動きの止まった杉崎鈴を銃で狙うが、杉崎鈴はまたもやぎりぎりで躱し、距離を離す。
「あの、よければ、どうして、僕を殺そうとするのか、教えていただけませんか」
 頭から血を流しながら、竜平に問いかける。血の匂いが濃くなる。現状、けがの浅い竜平の方が優勢に見えるが、昨日、うとうとしながら聞いていた、中山と竜平の会話を思い出す。人を殺す、天才。
「あの、どうしてですか」
「……お前が、俺の妹を殺したからだ」
 竜平が怒鳴った。その瞬間、竜平の肩にナイフが突き刺さる。杉崎鈴が投げたのだ。竜平は怒りのままに銃を撃つが全て外れた。
「すいません。本当は覚えてました。竜平さんは腕がいいと聞いていたので、冷静さを失わせないと、こっちがやられると思ったんです」
 冷静にそんなことを言いながら、距離を再び詰める。竜平は別の銃を取り出そうとしているが、間に合いそうにない。そうか。竜平はここで死ぬのか。そう思った瞬間、私は杉崎鈴の腕に飛びついていた。杉崎鈴は驚いただろうが、私の方がもっと驚いていた。私はいったい何をしているのだ。見ているだけで協力はしないつもりではなかったのか。私が振り払われたとき、竜平は銃をすでに構えていた。
 近くで銃声を聞くと、鼓膜が破れそうだ。銃弾は杉崎鈴の肩に当たっていた。杉崎鈴が避けたというよりは、竜平の手が震えたせいで急所を外れたようだ。もう一発撃ち込もうと再び構えるが、力なく腕を落とす。銃を落とし、胸を抑え、倒れこむ。どうしたというのだ。
「卑怯な手を使って、申し訳ありません。あなたは、刺し違えてでも僕のことを殺したいでしょうが、僕には死ねない理由があるんです。効き始めたら、あまり長くは苦しまないはずなので、それで勘弁してください」
「……ナイフに毒か」
 苦しそうに竜平が答える。
「竜平、大丈夫か」
 大丈夫なはずがないが、他に何と声をかけたらいいか分からず、おろおろとする。
「……みらい、巻き込んで悪かったな」
 出会って三日目で、そんなに親しくもないというのに、悲しみが込み上げてくる。死と向き合うということは悲しみと向き合うことなんだろうか。
「私こそ、協力できなくて、悪かった」
 竜平は何か言おうとしたが、聞き取れない。激しく咳き込んで、血を大量に吐くと、それきり動かなくなった。死ぬということは、こんなにも生きるということなのか。
「杉崎鈴、一つ聞いてもいいだろうか」
「なんですか」
「さっき言っていた、死ねない理由とは何だ」
「僕は……僕には、恋人がいるんですよ。彼女のために、死ぬことはできません」
「そうか」
「あなたって、人探ししてるっていう魔法の猫ですよね? 僕からも一つ、質問いいですか。あなたが探してる人って、あなたにとってそんなに大切な人なんですか」
 彼女が私にとって大切でなければ、こんなにもなって探しているはずがない。私はどれだけ、彼女のことを大切に思っているのだろう。杉崎鈴の方を振り向いた。
「……とても大切なんだ。彼女を殺しても構わないと思えるくらい」

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