フィクション|汗と涙のメンバーシップの末路
この話の主人公である僕は、現在ベンチャー企業で働いている。この会社では、みんなでビジョンを共有し、一緒に困難を乗り越え、時には酒を交わし、メンバーシップが生まれてきているところだ。
あいつがあんなに頑張ってるなら、僕ももっと頑張らないと。そう思って労働時間はどんどん長くなってしまい、そしてそれは不思議なことに複数名に連鎖して全員の残業が増えていっている。しかし、これも目標達成のためだ。みんなは必死でついてきてくれている。
残業が増えた分、身体には疲れが残り、夜に飲む酒は余計に美味しく感じるようになる。ちなみに残業代がたくさん出ているからこれっぽっちの出費は痛くもかゆくもない。
だんだんと感覚が麻痺してきた。ある時、どうしても家庭の事情ではずせない予定があり久しぶりに定時で帰ったが、その時は「これしか働いてないのに帰っていいのか」と感じてしまったほどだ。今は毎月80時間以上残業をしている。
感覚が麻痺すると、それが当たり前になる。月日が経つのは猛烈に早く、気づいたら、80時間越えの残業を半年感続けていた。いやはや、6カ月間もこんなに頑張ってたのか、僕もタフになったものだ。
ある時、上司から連絡があり、少しは休んだらどうだ?と急に優しい声掛けをされた。いつもは厳しいけれど、こんなに頑張ったんだし、遂に認めてくれたのかもしれない。
そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。おかげさまでタフになったし、仕事の魅力もわかったし、みんなで一丸となって社会課題を解決するやりがいを教えてくれたのは紛れもなくこの会社だ。今月も来月もまた一段と頑張りますよ、一緒に最高の会社をつくっていきましょうよ。
僕の頑張りを見てくれたのか、どうやら部下たちも目の色を変えて働いてくれるようになった。ようやく僕にも背中で見せる魅力、リーダーシップのようなものが出てきたのかもしれない。みんな、くれぐれも無理だけはするなよ。
チームで一丸となって頑張るのはなんてすばらしいんだ。ひとりではこんなことは成し遂げられない。みんなで一緒に頑張れる時代に生まれて僕はなんて幸せものなんだ。
ある日、社内が突然ざわつきはじめた。どうやら何か問題が起こったらしい。社長の身に何かが起こったようだ。同僚に聞いても言いづらそうにしていてはっきりしない…。いったい何が起こったんだ?
なんと、社長が書類送検されたらしい。なんでだ?社会課題を解決すべく、僕たちを導いてビジョンを示してくれたあの社長が何をしたっていうんだ。
労働基準法違反容疑。詳しくは、労働者3名(1日の所定労働時間8時間)に対し、最長で月97時間に達する時間外労働を行わせ、三六協定の延長時間の限度を超える違法な時間外労働を行わせていた、ということらしい。
97時間、それって違反なのか、僕は毎月そのくらい残業していたぞ。それは違法だったのか、それが原因なのか、あんなに活き活きとみんなで働いていたのに…。
調べてみると、どうやら月45時間以上の労働を年間で6カ月以上してしまうと、労働基準法違反らしい。あれ、僕も確か半年間くらい80時間以上の残業をしていたな…あれは違法だったんだ。
それからというもの、うちの会社は少しだけ有名になってしまった。社長が書類送検されたからだ。お客さんがどんどん減っていっているのがわかる。
仕事は全然うまくいかない。評判ってのは大事なものなんだな。全然今までのようにうまくいっていない。
まずい、会社の売り上げは激減している。それに伴って給料も下がったし、リストラも増えてきた。明るい未来なんて全くみえやしない。
不穏な空気が流れていたなか人事に呼び出された。異動にでもなるのだろうか…?
…なんと、解雇されてしまった。あまりにも突然だが、どうやら本当らしい。
あんまりだ、あんなに頑張っていたのに。会社のことが大好きでみんなと一緒に夢を見ていたのに…。
努力は報われるって言うじゃないか?あれは嘘なのか?誰か嘘っていってくれないか…。
僕にとって人生そのものだった会社はよかれと思ってメンバーシップを発揮し、結果的に社長の書類送検によって潰れてしまった。頑張っていた社員たちの働き口はなくなってしまったのだ。
*
この話から、何がわかるだろう。労働市場というのは、極めて合理的なシステムであり、漫画やドラマのように「努力が報われる」わけではないことを教えてくれる。まるで青春の様なメンバーシップの温かさも、解雇という結果をもたらすに至ってしまった。
本来、雇用主と労働者は対立構造にあるものである。労働者は高い賃金を求め、満足できなかった場合は他の職場に移動し、より高い給与を得る。雇用者側は、労働者が継続的に働いてくれるよう、賃金や待遇を優遇していく。
そうして市場の労働力は流動性を高め、その業界の経済は活発化する。無情に思える労働者の転職は、実はその業界の市場を活発化させ、高い生産性をもたらしているのだ。それはつまり、消費者にとっても質の高い製品やサービスを提供していることにも繋がる。
そう、資本主義にとって、大切なのはみんなで一緒に頑張ることではない。自分本位と思われても、誰もが自分の意見や意志を主張し、そんな自分を評価してくれる職場を探し続けることが最も大切なのだ。
一見、美しく見えるチームの魅力を過大評価してはいけない。それよりも市場の原理を理解していた方が、個人の人生は幸福になるはずなのである。
※実話ではありません。(ありそうだけど)