成果と評価は別物|頑張り過ぎない方がいい
人々は成長することを通して人生をより豊かにしていくことを目指します。そして資本主義社会では成長が必須条件になっています。
そんな会社という組織のなかで、成長ができておらず失敗も多い時期を過ごしていたら、周りに置いて行かれてしまったり、評価を下げられてしまったり、ネガティブなことばかり気にするようになります。
そして成果を出すことができないと、時には責任問題に発展し、評価が下がってしまうことさえ往々にしてあります。現実は厳しい社会なのです。
この前、僕自身が仕事において困難な壁にぶち当たった時、結局その壁を乗り越えることができず、社内でもリスクになりかけたことがあります。
成果を挙げられなかったことに対して、自分の評価も下がってしまう。期待して仕事を任せてくれたのに申し訳ない。そんなことを考えて落ち込みかけていました。
きっともの凄く怒られたり、仕事を与えてくれなかったり、制裁のような出来事が起こるんだろうな、と不安に感じながら働いていたのですが、上司を始め周囲の人たちは僕に対してネガティブなイメージは持っていない模様でした。
なぜだろうか、何だか逆に怖くなってきてしまいました。
しかし、次第にその謎が解けていきます。他の社員が責任を放棄するかたちで退職することになったのです。もともと仕事の負荷と責任に追い込まれやすいタイプの同僚で、以前はメンタルも壊しかけていました。
最近は元気になったと思っていたのですが、どうやらその間に転職活動をしていたらしく、内定が決まったことから退職の希望を出したようです。
僕は彼の転職を素直に祝いたい気持ちではいますが、社内では落胆や幻滅のような声がちらほら聞こえてきていました。期待していた分、裏切られた気持ちになったのでしょう。
この事態によって、仕事で成果を果たせなかった僕の失敗は大したインパクトを残さなかったようです。僕よりもマイナスイメージの社員がいたというだけですが。
こうして考えてみると、評価というのは、どうしても相対的になりやすいものだと気づきました。もちろん大企業でガチガチの成果主義の会社ではうまくやっているのかもしれませんが、中小企業ではなかなかそうはいかないように思います。
会社というのは組織なので、自分の周りだけでなく色んな部署で様々な人間関係が繰り広げられています。そのなかには、業績不振があったり、背任行為があったり、突然の退職があったり、たくさんのネガティブな出来事が起こっているものです。
ひとりがマイナスをもたらした時、そのマイナス分は誰かのものになっているのかもしれません。ひとりが退職したら、その分の仕事は他の社員が担うようになり、彼らの価値がその分高まります。
これから何かうまくいかないことがあった時は、組織の全体像をイメージすることで「成果と評価は別物になり得る」と考えておこうと思います。あまり思い詰めないように、こうして工夫をしておきたいものです。