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逃げるは恥だが職はある|職業選択の自由からの逃走

心理学者のエーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』という著書で、人間が「決断する」ということをいかに重荷に感じているかを説明しました。

『自由からの逃走』では、長い歴史の成果によってついに獲得した市民の自由を、よりにもよって20世紀の先進国である市民達がいとも簡単に手放して独裁政権を支持してしまう過程を心理学の側面から分析しています。

フロムはこれによってナチズムを説明しましたが、ここに書かれている「人は決断をしたくない」という心理は現代の私たちの日常にも充分に当てはまることばかりです。

ひと昔前の日本も就職活動においては、現代の様に多様な価値観を受け入れる風潮はありませんでした。

優秀な大学を出て一流企業に入り、その企業で定年を迎えるまでにできる限り出世することを目指す。これが当たり前の時代であり、この世代の方と話をする機会があると「そういうものだった」と口を揃えて言います。

疑問を抱くことなく目標に突き進むか、その目標を達成できずに苦しむか、良くも悪くもわかりやすい時代であり「自分は何をやりたいのか」を自問自答している人は少なかったようです。

その後、社会は多様性を求めるように変化をし続け、現代の大学受験や就職活動では、優秀な学力を持っていることだけでなく、具体的な志望動機などが求められるようになります。

一方で、最近よく聞くようになった現代の悩みに「やりたいことが見つからない」というものがあります。

社会の変化はポジティブに思えますが、『自由からの逃走』で分析された当時の先進国の市民の様に「決断したくない」という心理を持つ現代人にとっては、多様性によってもたらされた進路選択の自由が、かえって重荷になっていることもあるように思えます。

「やりたいことが見つからない」人は、この「自由」にどの様にして向き合えばよいのでしょうか。ひとつのヒントに「消去法」があります。


ストーリーのある志望理由

「病気で苦しむ家族の看病を経験したことにより、医療従事者を目指している」

「学問への興味関心を与えてくれるような担任の先生に憧れて教師を目指している」

こういったストーリーを持っている人は、仕事をするうえで明確なビジョンを持っていることもあり、注目もされ、今後の活躍も期待されることになります。

仕事を長くしていると「なぜこの仕事を始めたのか」といった説明をする機会も往々にして訪れますが、そんな時にも迷うことなく説明することができ、自分の仕事に誇りを持ち続けながら周囲からの尊敬も勝ち得るでしょう。

しかし、そういった個人のストーリーと社会が求める仕事の需要は必ずしもマッチすることばかりではありません。

自分がやりたいことがロックミュージックだったとして、ミュージシャンを雇用してくれる会社は今も多く存在しておらず、非常に狭き門に挑戦するリスクを伴うことになります。

こういった経緯を経て、何となく入社した会社で従事した仕事にやりがいを見出すことができず、結局のところ再び自己実現ができる職場を求める転職活動を続けている人が多く溢れているように見えます。

嫌いだからこその商売

インターネットなどで転職の記事を探してみると、転職に成功した社員の記事が本人のストーリー付きで魅力的に書かれているものを見つけることができます。

こういった記事を読むと、やりがいに満たして自己実現を仕事に求めるようになるものです。

しかし、実は世の中にはその様な美しいストーリーばかりではなく、嫌いだからこそうまくいっているケースがあるものです。

それを作家の中島らもがわかりやすく説明していました。中島らもは営業マン、コピーライターを経て、その後は小説家として活躍した作家です。彼はコピーライターの仕事である広告についてこの様に言っています。

ではお前はそれだけキライな広告をなぜメシの種にしているのか、という問いが必ず来ると思う。
キライだから商売になるのだ。
きらってきらってきらい抜くから相手の性格や相貌が見えてくる。
のぼせあがって、広告コピーを自己表現と勘ちがいしたりするのはプロのやることではない。スポンサーにとってもいい迷惑だ。

『恋は底ぢから』/中島らも(集英社文庫)P.115

これを読んでハッとさせられますが、この通り仕事というのは自分がやりたいことをするために存在しているのではないことに気づかされます。広告で言えば読者や視聴者、そしてスポンサーのためにあるのです。

そういえば僕も20代の頃に胃がんを患い、手術のために胃を全摘出してしまった時に似たような考え方で仕事を探していました。治療で衰えた身体でも働くことができる職種を「消去法」で探していたのです。

会食の機会が少ない職種であることと、将来病気になったとしても困らないように、長く働けるだけのスキルを身に付けるため、IT企業を就職先に選んでいました。

仕事の成果と人付き合いのための会食が結びつく営業職を、胃のない身体でこなすことは不可能に思えましたし、体力が落ちて病歴を持った若者がアピールできることと言えば何らかのスキルしかないと考えたのです。

好きなことを仕事にしている人に敵わないことは多くあり、その度に悩みもしましたが、しっかりと成果は挙げていたため貢献することはできていたはずです。消去法のキャリア選択は一応の成功を遂げたのです。

もちろん自由から逃走することなく、自分がやりたいことに対しては積極的にアプローチをしていきたいと思います。

しかし、「やりたいことがない」といった漠然とした自由には、強い意志と決断力が必要であることは、フロムが説明してくれていることです。

消去法によって、決断することの心理的重荷をほんの少し和らげてあげられるのであれば、余計な悩みを抱えて時間を無駄にすることなく仕事に熱中できるようになるかもしれません。

過去に同じテーマで記事を書いていますので、もしよろしければどうぞ。

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