「コメント削除×アカウントブロック」=政治家の言論統制[追記あり]
まずはこの記事をお読みください。
上記の記事で取り上げているのは、衆議院議員(宮崎一区選出)の武井俊輔議員の当て逃げ、車検切れ、自賠責切れの事件に関するものです。
その武井議員が9月1日、約3ヶ月ぶりにFacebookに新規投稿をされました。
その内容は以下の通りです。
市内、東諸県各所の交差点等で日中、立たせて頂いております。
日頃からご声援頂いている方から改めて激励を頂いておりますが、初めてお声かけていただく方も最近増えております。
車内からの声援、自転車からわざわざ降りて頂き
「熱い中、気をつけて頑張って」との激励など
非常にありがたいです。
道路の反対側の歩道から
わざわざこちら側に来て頂く方もいらっしゃり、
感謝を幾らしてもしきれません。
路上とはいえコロナ感染リスクもありますので、お声がけ頂いた方と長くお話しすることは中々難しいですが、
一つ一つのお声が私の力になりますし、身の引き締まる思いです。
感謝申し上げます。
出典:武井俊輔氏のFacebook
6月8日に武井議員の秘書が、東京港区六本木交差点で起こした当て逃げ事件、武井議員の所有している車が車検切れ、自賠責切れを状態で公道を走らせていたことについては一言も触れられていませんでした。
武井氏は自身でも述べられていますが、彼は宮崎1区内のいたるところ(私が把握しているだけでも源藤交差点、高千穂通交差点、橘橋、市役所前)に「自民党」という幟(旗?)を立てて、道ゆくクルマにただひたすら起き上がり小法師のようにペコペコと無言で頭を下げ続けている行動を繰り返しています。
Facebookの投稿に「前述の事故」が全く触れられていないのであれば、一体なんのために頭を下げ続けているのでしょうか。
しかしながら衆院選が近づくにつれ、武井議員は本格的な活動を開始したようです。
Facebookでコメント削除そしてブロック
上記の9月1日の投稿について、私は以下のような主旨のコメントをつけました。
先日の事故について経過報告はおろか、選挙区の有権者に対して説明責任を果たそうとしないあなたに未来の政治を語ってほしくありません。
また自民党宮崎県連から「公認申請しない」という判断を下されたにもかかわらず、選挙区支部長を辞任しない態度は醜く、正直、醜悪に思います。
県連は自民党員に対し「自由投票」という方針を出していますが、多くの人はどこに投票すべきか苦しんでいます。法を作る側の立法府の人間が法律違反をしておきながら有権者に説明もせず、頬かむりして立候補。それで子供たちに範が示せますか?またあなたを支持した有権者が「自分は武井議員を応援している」と胸を張って言える存在と言えますか?
あなたは「古い政治を打破するため」に国会議員になったはずです。
だからこそ初当選の時には当時の自分が出せる一番大きな胡蝶蘭を送りました。しかし、事故の説明責任を果たそうとしない今のあなたは、あなた自身が「古い政治家」になってしまったように思えます。
事故は秘書が起こしたそうですが、車検切れ、自賠責切れは明確な法律違反です。公道を走る資格を有しないクルマを行動に走らせてるわけですから、バス・運輸業界出身のあなたならそれがどれだけ危険かわかっているはずです。自民党は「大したことではない」という認識のようですが、一般人の多くの人がおなじようなことをやれば間違いなく処罰されます。
あなたはそれを有権者に説明する義務、有権者の疑問に答える義務があるはずです。それをせず、ただひたすら起き上がり小法師のように道ゆく車にペコペコするだけ。それがあなたのやるべきことですか?あなたのもとにはまともなブレーンはいないのですか?
今からでもできることはあるはずです。
初心に帰るならそのやるべきことをやってほしいと思います。
このコメントをつけた数時間後、コメントは削除され、私は当該議員によってFacebookアカウントをブロックされました。
また同時にツイッターアカウントもブロックされていました。
その事実に怒りはなく、ただ
「これが、武井議員の限界か」
という脱力感しかありませんでした。
政治家がSNSをやるということ
政治家がSNSをやることは、広く政策や信条を知らしめるとともに、いろんな意見に身を晒すリスクが生じます。
また、賛同、疑問、批判、さまざまな意見や反応が出るでしょう。それをロジカルに返信し、時には受け入れ、時にはスルーしてこそ、政治家の胆力が試されるところだと思っています。
しかし、反論もせず、ただ腹が立ったからコメントを削除してアカウントをブロックするというのは言論封殺そのものです。少なくとも民主主義国家の現職の衆議院議員のやることではないと思ってます。
万が一、私が感情的に「バカ」だの「クソ」だの「死ね」だのいわゆる卑猥な言葉を使っていたのであるならば、コメント削除、アカウントブロックも致し方ありません。
ですが前述の私のコメント文章(削除されたので覚えている範囲しかありませんが)をお読み頂いて、どこか間違った箇所がありますでしょうか?
この文章に一言もレスをすることもなく、コメント削除+アカウントブロックという行動が示すものは「これ以上、この件に触れられたくない」という議員の意識があるのだと推察しました。
「物事はすべからく原理源原則に従う」
上記は稲盛和夫先生の教えです。
そう、すべての事象には必ず理由があり、それは原理原則に従ってなされる。
今回の事象に稲盛先生のロジックを当てはめると、レスもつけずに削除したのは自分でうまく反論できないからであり、またこれ以上多くの人の目に触れて、変に受け取られると困ると思ったのだと推察します(個人の感想です)。
要するに「ど真ん中を突かれて悔しかったんだろうな」と。
ブロック被害者急増
ところが、ブロックされたのが僕だけではなく、6月の当て逃げ、車検切れ、自賠責切れで説明責任を果たせと求めていたTwitterの方々も、同じタイミングで次々とブロックされていたことがわかりました。
昔ならこういうやり方でも口封じ(言論封殺)もお手の物だったのでしょうが、今ではSNSというものがあるため、道理の通らないことがおきるとこうやって明るみにでてしまいます。
政治家とはそういうことも理解した上でSNSの運用を行わねばならないのですが、残念ながら武井議員は時代に合わない存在になってしまった感が滲み出ているようです。
対抗馬と言われる立憲民主党の渡辺創さんや、維新の会の外山イツキさんは毎日精力的に情報発信している姿が出ていますが、武井議員は前述のとおりこの3ヶ月間ダンマリの上、事故のことには一切触れない状態。
去る8月25日の宮崎日日新聞には下記ような読者の投書があったようです。
また、宮崎3区の衆議院議員・古川禎久議員も別の新聞記事に下記のようにコメントしています。
政治家として有権者にどうけじめつけるかが大切と本人に話した
そのケジメの付け方が、ただ道路脇に立ち、起き上がり小法師のように道ゆく車にひたすら頭を下げるだけというのは、あまりにも悲しすぎると思うんです。
<2021年9月11日追記>
日付は明確ではありません(おそらく2021年9月のどこか)が、当該議員は宮崎県の県政記者室で、この事故の説明を含めた記者会見を行いました。
この記事を書いた当初は記者会見を行っていなかったので、上記部分は削除せず、今回改めて「記者会見を行った」ことを事実として追加付記します。
「ならぬものはならぬ」
上記の一文は東北の会津藩校「日新館」に伝わる「什の掟(じゅうのおきて)」の締めの一文です。
江戸時代、会津藩では毎日、10人ぐらいのグループがリーダーの家に集まり、下記のような話をし、今日一日を反省していたそうです。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
出典: https://nisshinkan.jp/about/juu
武井議員の思想、信条についてとやかく言うつもりはありません。それは個々人の議員の自由ですから。しかしながら、彼は「コメント削除&ブロック」という処理を行いました。それは私の思想、感情、信条を土足で踏み躙ったことに等しいと思ってます。
それは政治家として、そして国会議員としては、絶対にやってはいけないことです。ならぬものはならぬのです。
私は彼に対して政治家として彼が行うべき義務と責任を果たしてほしいだけです。それが政治家が果たすべき有権者への責務であるからです。
当たり前のことを当たり前に要求することが、そんなに悪いことなのでしょうか?
誰がどう考えたって、不祥事を起こして選挙区の有権者に何も説明しないと言うのは道理が通らないと思うのです。一般人ならともかく、政治家がそれをやるのか。しかもそのまま選挙に臨む?もう、異常すぎてこっちの頭がおかしくなりそうです。
それほどまでに有権者の説明や疑問に答えることが嫌ならば、自ら自民党を離党し、無所属で出馬して、選挙区の有権者に自らの進退を預けることです。それが身を糺す表れでしょう。
そのいずれもせず、自民党公認候補として次期衆院選に臨むというなら、ほんとに残念ですが、もう政治家や議員関係なしで、一人の人間として見下げ果てた人としか言えません。
どんだけ個人的に思い入れや情があったとしても、物事の道理を尊ぶのが政治家であり、国会議員です。ましてや国会議員は法律を作る立場。その立場の人間が法律に違反する行為をし、適切な説明もしないという行為は、何度考えても理解不能です。
しかしその道を誤り、その補正を自らしようとしないなら、もう何も言えません。つくづく残念です。
最後の一言、この言葉で締めたいと思います。
国会議員 落選すれば ただのひと