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【特集】 トイ レコードメーカーとZineの思い出
学研さんの「大人の科学」の最新号「トイ レコードメーカー」が大人気のようで、3月の発売以降売り切れ続出で、現在6月になって重版分がようやく買えるようになってきた。
さっそく、うちの小学生の息子といっしょに、ああだこうだ言いながら組み立ててみて、ようやく完成。1時間程度の製作時間がかかると示されているが、ほんとうにそれくらいみっちりかかる。
通常の再生針と、録音用のカッター針の2本がついた、ダブルアームが面白いマシンである。
自分でレコードを作ることができる。
自分でレコードを刻む。
・・・団塊世代ジュニアで、十分におっさんになってしまった僕にとっては、そこはかとない郷愁と、わくわくするような高揚感のあるガジェットだが、小学生の息子にとっては、どちらかというと
「未知の、謎の機械」
というイメージになるのだろう。そのギャップを楽しむのも、この機械の魅力と言えるかもしれない。
プレーヤーを組み立てて、まだ何も刻んでいないブランクディスクをしげしげと眺めていると、このなんともいえないドキドキに、既視感があるのに気づいた。
そういえば、僕は人生のうちに何度か、これとまったく同じ気持ちになったことがある。あれは、なんだったっけ、という気持ちである。
アナログでなにかを作り、手作りで何かを作る。出来上がったものは、一枚のメディア・・・。自分で聴くこともでき、もしかすると誰かに渡して、それをプレーヤーで聴いてもらえるかもしれないもの。手作りのレコード・・・。
思い出したのは、Zineのことである。Zineというのは、手作りでつくった冊子や本のことで、アメリカから入ってきた「自作メディア」の文化だ。もともとは「ファンジン」と呼ばれ、手作りのマガジン(雑誌)くらいのイメージである。
ちょうど10年前のこと。
日本にzine文化が入ってきたのはそれより少し前だったのだけれど、2010年頃にzineを作ろうというムーブメントがコアなファンのなかで盛り上がって、小さな爆発を起こした。
今でも恒常的にzineやリトルプレスを扱うお店が東京などにはあるが、その頃大阪に「Books Dantalion」というお店があって、僕はひょんなことからその店主さんと知り合いになり、僕自身がzine制作にのめり込んでいった。
当ブログのテーマである左大文字流は、三味線や三線を使ったポップスミュージックを扱うもので、zineのテーマにぴったり合った。
(その昔作った、三線音楽についてのZine)
当時いろんなzineを買い集めたり、交換したりして、いろんな素人づくりのzineの楽しさに完全に魅了されていたのだが、未来をめざすミュージシャンなんかは、コンビニのコピーで作ったzineの巻末に自作のCD-Rをつけたりして、それを配布したりしていた。
まるで、トイ レコードメーカーで作ったレコードを配るように。
レコードのジャケット、レーベル、どんなデザインにして、どんな言葉を書き込もうかといった趣向や、作り手の主張は、まるであの頃のzineづくりのようだと感じたのである。
(これも当時作ったzine 県立公園とのコラボ)
(シャミレレという楽器を紹介している CD付き)
あれからあっというまに10年が過ぎ、Zineブームは大きなものは終息したが、いまでも時々、アート界隈では各所で小さな爆発を起こしているようだ。
Zineは、そもそもは昔の人にとっては「ガリ版摺り」であり、80年代人には「フリーペーパー」であり、「ミニコミ誌」のようなものである。いつの時代にも、どこかで小爆発を起こしては、消えてゆき名前を変えて再登場する。同人誌という形態をとることだってあるだろう。
Books Dantalionのオーナーだった堺さんは、いまでもzineのワークショップをやっているようだが、彼によれば名言とも呼べる定義があって
「zineは初期衝動です」
という。
だから小爆発という表現がじつにぴったりくる。長年継続されるものでも、商業的に発展するものでもない。
「これを表現したい!これを作りたい!これを読んでほしい!」
という衝動だけで一冊の小さな本ができ、それを配って笑い合うような、あるいは、時に知らない誰かの手に届いてしまうような、そういうものだ。
トイ レコードメーカーのレコードも、とても似ている。
何を録音しようか、何を刻もうか、どんな音が出てくるだろうか。
という初期衝動が爆発して、けれども、それで作ったレコードを販売するとか、(そもそも、そこまでの高音質ではないけれど)、市販レコードに対抗するとか、そういうものではない。
もっと言えば、数枚レコードを削ったところで、飽きてしまう人だっているだろう。
元をただせばあの、「科学と学習」からの「大人の科学」なんだから、これは「レコードを作る実験」に過ぎないのかもしれない。
それでもなんだか、僕はzineを思い出す。
手作りで作ったレコードは初期衝動と自己満足の実験に過ぎないのかもしれないけれど、たとえばトイ レコードメーカーを持っているユーザー同士で盤を交換するとか、誰かに自作のレコードを聴いてもらうとか、そういうことがやりたい!と思ってしまうのは、この機械の魔力なのかもしれない。
もし、誰かの手作りのzineから、手作りのレコードが付録で出てきたら、すごくわくわくするだろう。
そんなことをやりたい!と思ってしまう初期衝動は、10年前も今も、ちっとも変わっていない。
息子は、自分のピアノ演奏を録音しようと苦心している。僕は性懲りもなく、三味線に手を伸ばす。
わくわくは歳をとらない、そんな気がして、僕と息子はそれぞれのやりたいことに「にやり」とするのだった。
(了)