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ホットサンドを焼く時間
先日のnoteを書いていて、コロナ禍にホットサンドを焼くことにハマったことを思い出した。
あの時期は空前のキャンプブームで、ネットやテレビを眺めていても『山を買うならどこそこ』『キャンプアイテム比較、1番いいテントは?』とかそんな話題がそこかしこにあった。
今でもそうだが、キャンプ道具を揃える財力も時間もない彼女と私は唯一気軽に買えそうかつ日常的なキャンプ道具であったホットサンドメーカを買うことに決めた。
そもそも私達はホットサンドが好きだった。サンマルクカフェの具沢山のホットサンドは私たちのデートではモーニングの定番だったし、私自身に関して言えばホットサンドは思い出の料理の1つだった。
*
まだ私が福島の田舎町に住んでいた頃、母の通っているパン教室の先生が山の上のコテージで絵画の個展を開くことがあった。
先生はピアノ教室の先生も兼業していて、わたしも教わっていたからその日は母と二人で出かけることになった。
普段は兄が座っている助手席に座って、母の運転する車は山を登ってゆく。わたしは車窓に映る普段とは違う色合いの山々を見つめながら、自分の生きているところは山ではなく麓なのだと思い知る。
車は山の中腹でとまり、丸太を積み上げたような風体のコテージはそれまでの私の人生とは別のどこから来た何かすごいもののように思われた。
遠くに海が見え「海だ!」とわたしが叫ぶと、母は海に近い街に住むのが夢だったと教えてくれた。
コテージはそんなに広いものではなく、喫茶店と画廊とが一部屋ずつ小屋の中に配置されているような建物であったはずだけれど、当時の私にはとんでもない別荘のように感じられた。
先生の絵を見て、開け放たれた窓から眼下の山々と遠くに見える海を眺めていると、自分が世界に包まれているような、そんな優しい気持ちになった。
せっかくだからと先生が隣の喫茶店を案内してくれた。
聞いたことのない心地よい音楽と、ゆたかな景色に包まれていると、母が頼んだホットサンドが運ばれてきた。
ハムとチーズ、それにベーコンと卵のやつ。
『なんだ、トーストじゃん』
そう思って口に運んだ瞬間、鼻に抜ける焼けたパンの香ばしさに打ちのめされた。
たまらず貪りつくと今度は芳醇なチーズの甘みとハムの塩気が突き抜ける。
なんだこれは!?
驚きつつも気づくとホットサンドはなくなっていた。家で食べるトーストとは何もかもが違っていた。
それ以来、わたしは幾度も母にホットサンドを頼み、母は何度かフライパンで試行錯誤してくれたがあの時食べたホットサンドとは似ても非なるものでしかなかった。
*
そうして時が経ち、都内に住んで様々な喫茶店でホットサンドを食べ歩き、けれどいまだにあの時のホットサンドを超えるホットサンドには出会えていない。
彼女といっしょにホットサンドを焼きながらわたしはそんなことを考えていた。
そんな時間がとても幸せなことのように思われた。
そのときできあがったホットサンドの味は言うまでもない。
そんな想い出をこの前のnoteを書いているときに思い出して、キッチンの隅に放置されているホットサンドメーカーを久々に取り出してみた。
少しだけ埃はかぶっているがまだまだ使える。
あの時はアルバイトだったけれど、今は正社員であの頃よりは金銭的にも豊かになった。
けれど、今、日々残業やタスクに追われてゆっくりと料理を作る機会も減っている。毎朝焼いていたホットサンドもここ二年は食べていない。
どんなに忙しくともホットサンドをゆっくり焼く。小麦の焼けた香ばしい匂いに喜びを感じる。そんな時間は大切にしたい。
想い出しながら今日はホットサンドを焼いている。