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限界にしたくない集落 山梨県身延町古関

旅先で、初めて通る名もなき町でも、ここは最高に素敵だな、と思うことがよくある。

トタンで覆われてはいるものの、茅葺き屋根の家がいくつもある川沿いの美しい集落に出会った。

何気なく通り過ぎてしまうような町でも、歩き回ってみればそこかしこにその地に生きている人たちの息吹と、代々暮らしてきた人たちの残したものが見て取れて、その、トライアンドエラーでできた町なみというのは、計画に的に作られた町では到底たどりつけない魅力がある。

町にふたつもある火の見櫓。路傍には双体道祖神やお地蔵さま。もはやもとが何であったかわからないような石碑には、ちゃんと紙垂がつけられ、まわりが掃き清められてあるのを見るだけで、古くからここに住む人たちの信仰に寄り添った暮らしが垣間見える。

水の豊かな水路をたどると大きな神社に出た。本殿の背後には合祀されたという7つの神社の名が書かれている。きっとこの集落のまわりにもいくつもの小さな集落と神社があったのだろう。

どの家にも畑があり、それなりの野菜は作れるのだろう。身の回りのものを賄うことができる、それがつまりは風景の調和につながっているのだと思う。

学校かな、と思って近づいた鉄筋コンクリートのひときわ大きな建物は、近づいて見ると今は公民館となっていた。かつては集落の名を冠した中学校であったようだ。町村合併を繰り返しているようであるこの集落だけれど、かつてはこんなに大きな中学が必要なほどたくさんの子どもがいた時代もあったのだ。

限界集落という言葉がある。高齢化や人口減少で、共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のことだという。この美しい場所がいつかなくなってしまうだなんて思いたくはないけれど、実際にこの近くにも住人がいなくなって消滅してしまった集落はあるようだ。

石炭や石油という限られた資源を使って一時的に急成長していたかに見えたここ150年程度の暮らしの変化は、ある意味まやかしだったということにみな気づいている。なるべく長く、人が暮らしていくためには、きっと地に足をつけて暮らすことのできる、こういう集落が理想なのだ。

小さなまちの絵地図を描くこと。

何百年かけて人が築いてきた場の素敵さを多くの人に知ってもらうことがきっと、美しい集落がこれからも在り続ける助けになると信じている。


山梨県南巨摩郡身延町古関 いきなりみちくさMap  ©︎さんぽ絵ずし

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