「追悼 松村政道」松村政道君を偲ぶ(「山桜通信」52号)
学習院大学山岳部 昭和33年卒 芳賀孝郎
この頃追悼文を書く機会が多くなった。書いていると順番が自分に近づいていることを意識する。同期が亡くなることも淋しいが後輩が亡くなるとより悲しく思う。
松村君は私より三年後輩と思っている。
1955年12月末鹿島槍ヶ岳天狗尾根で我々の仲間4名が遭難した。捜索活動しながら来年の新入部員が入部するのかと心配していた。
1956年4月予想に反して新入部員は21名であった。その中に可愛い顔の松村君が居たことを記憶している。学習院大学山岳部創部以来(以後、この記録は破られていない)の56名の大所帯となった。
その当時我々は1日でも早く遭難者を探すことに懸命であったので、新入部員への配慮が全く足りなかったが、8月に捜索活動が終了。秋の登山から本来の本格的活動を開始した。私がリーダーを務めることになった。我々が冬の鹿島槍ヶ岳、春の槍・西穂登攀に取り組んでいる時、松村君たちは井ヶ田傅一たちとスキー合宿に専念していた。
1957年11月頃、私は右川近男、松村政道、山岸行輝、沖津俊男(ともに同期)らから、全日本学生スキー選手権大会(インカレ)に是非出場したいとの要望を聞いた。
特に松村君の熱意に押されて、岸体育館にあった全日本学生スキー連盟に松村君たちを連れて行った。学習院大学スキー部として正式に加盟を申し込んだ。この時スキー部は正式に山岳部より独立した。
1958年1月、第31回学生スキー大会は山形県米沢五色温泉スキー場で行われ、学習院から松村政道、井ヶ田傳一、右川近男、そして私がインカレ初出場をした。翌年のインカレでは松村君は滑降で4位に入賞し、学習院スキー部の存在感を示し、スキー部の基礎を作り上げた競技スキーの功労者であった。
松村君は長野のスキーのメッカ野沢温泉に育ち、長野北高時代スキーで活躍した。家は旅館・千歳館でその長男として生まれ、卒業後家業を継いだ。
学習院スキー部自身も、その後のスキー部の後輩たちはみんなが松村君にお世話になって育った人たちだと私は思っている。晩年は体調を崩し、人工透析などの治療をしていたこと聞いていた。学習院スキー部の功労者・松村君を偲び、ご冥福をお祈りする。
2023年1月11日逝去
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