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光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑩

学習院大学山岳部 昭和36年卒 熊野將

再び曲がり角(その2)


 これを見ると定員十九名になった昭和六十二年度から利用者数が激減。 これが最大の理由と思われるが、それまで一泊当たり学生、生徒、教職員五〇〇円、教職員家族、在学学生父母、卒業生一〇〇〇円、卒業生の家族、学外者一五〇〇円であったが、平成三年四月一日より学生、生徒、教職員一〇〇〇円、教職員家族二〇〇〇円、在学生父母、卒業生及び賛助会員三〇〇〇円、本院が認めた者四〇〇〇円と値上げされたことにより、減少傾向にある利用者はさらに減るものと予想される。 これでは安部院長が「山静かにして太古に似たり」と言われた自然がいまだに残っている光徳小舎が充分活用されず残念なことと思う。

 学習院は一貫教育の学校であるからかつての関のスキーの一般合宿のようなシステムを作り、その昔、旧制中等科生がここをベースに自然や山に慣れ親しんだように、都会に生まれ育ち自然から遠ざかってしまった今の中等科、あるいは中等科の生徒に自然を知って貰うためにもこの小舎を定員など関係なく利用できるよう学校関係者にも努力をして貰いたいものだと思うがいかがなものであろうか。 筆者も小舎の運営委員会で、このような事を先に述べた水道の件などと合わせて発言したが、全く顧みられなかった。

 二代目の小舎を再建した際、再建委員会は院長に対する口上書で、これを学習院に寄贈する旨述べている通り、昭和二十五年十月から学習院の財産としてその管理下にあったにも拘らずその歴史を尊重し、山岳部の存在を無視しなかったのとは全く異なり、三代目の管理体制は役所のそれのごとく十回開催された運営委員会もほぼ年一回の年次報告と次年度計画発表に過ぎず、山桜会、雪桜会、稜桜会の意見、要望を申し述べる場でなかったように記憶している。 ただ一度、昭和六十三年四月二日に山桜会の申し入れにより管理人鹿間氏を含み、学校側は古川経理部長、山本管理部長、貞守管理課長、山本管理課員と話し合った結果二月、六月、十一月の決めた日を山桜会に割り当てる(貸し切り)ことを、その時は保留事項であったが結果として認めてもらったことがある。

(※)光徳小舎
 山岳部では設立時から「舎」という文字を使っている。現在正式には「学習院光徳小屋」です。このエッセイでは、執筆者(故人)の考えを踏まえて敢えて「舎」で統一いたします。

「光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑨」から

「光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑪」へ

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