光徳小屋の思い出(100年の自画像)④
学習院大学山岳部 昭和47年卒 秦野郁郎(山桜会小屋係)
私が現役の光徳小屋係りのころの三千人を超える利用者は結果的に最も多い時代だったようです。 残る資料や光徳小屋日誌の記載情況から見ても間違いなさそうです。 光徳小屋に三十年間奉職された奥山文雄さんの人となりが大きな要因となっていることは間違いないでしょう。 奥山文雄さんがいたからこそ多くの人が光徳小屋を訪ね、奥山文雄さんと語らいお酒を酌み交わし、身も心も清楚に洗いなおして下界の雑踏に帰って行ったのだろう。 現役のころの奥山文雄さんとの四年間は本当にそんな思い出で一杯でした。
二十年強の下界の雑踏から逃げ帰ろうとした際、光徳小屋の番人は規則のみで私を追い返しました。 管理人の存在が利用者に大きな影響を与えることは間違いないが、それだけでは解決ができない。 三代目の光徳小屋に建て替えて小屋利用代金が徐々に高くなったこと、そして安全面から利用人数に消防からの指導が入ったことも利用者を減らす要因でしょう。
最近の消防指導にたき火の禁止があります。 キャンプファイヤーを囲んでの合唱や語らいはアウトドア―の華です。 学校の安全管理上からの十一月から三月の冬季閉鎖もウインター派の人には寂しいでしょう。
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