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光徳小屋創設時の建設作業と戦前の光徳小屋利用のピーク②

学習院大学山岳部 昭和62年卒
学習院高等科山岳部 昭和58年卒 平澤信一

創設時の二年間の夏季休暇を使った勤労奉仕の記録は以下のとおり;

◆1938(昭和13)年「奥日光小屋建設作業」
1938(昭和13)年8月10日-18日
先生:村松茂樹部長
OB:関口五郎、原口兼義
現役:
高2 3名
高1 1名
中5 3名
中4 1名
中3 1名
中2 3名
中1 1名
合計 16名

※当時の学習院中等科は5年制

 300坪ほどの傾斜地の平地化作業を、先生とOB、そして中学生まで参加、真夏の作業に参加した。その中で、登山と釣りを行っている記録も残っていた。
8月13日
奥白根登山隊 4名
釣り隊   切込刈込湖で鱒7匹
8月18日
ろうそく20本で、夜間作業を行った。

出典:輔仁会雑誌163号

◆1939(昭和14)年「奥日光勤労奉仕」
1939(昭和14)年8月6日-26日
先生:渡辺八郎・西崎一郎先生
OB:原口兼義、井口昌平
現役 12名
合計 16名

8月9日に「地鎮祭」を行い、8月12日に敷地完成。

出典:輔仁会雑誌164号

 後に「学習院登山史Ⅰ」において、編集委員長の橋本實が勤労奉仕に参加した高橋悦二郎(昭和20年高卒)に聴き取りを行った。

 土地の整備のためと称し、中高等科生で熊笹狩りをした。暑さと虫にはとても往生した。初めてテントを張り、料理作りをしたが、鍋をつるす支えが倒れひっくり返ってしまい大騒ぎをした。
 キャンプファイヤーを楽しみ、土木作業の親方の漫談を聞き、多いにわいた。途中、奥白根山に部員4名が登ったとのことを聴取している。

ヒアリング:橋本實


1939(昭和14)年11月から、1951(昭和26)年4月の焼失まで
11年少々の短い期間に存在した、「初代光徳小屋」

「光徳小屋創設時の建設作業と戦前の光徳小屋利用のピーク①」から

「光徳小屋創設時の建設作業と戦前の光徳小屋利用のピーク③」へ

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