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光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑫

学習院大学山岳部 昭和36年卒 熊野將

再び曲がり角(その4)


 昭和五十九年に岡本先生を小舎にお招きしていろいろなお話を伺ったが、そのなかで山岳部長になられた頃は小舎予算が僅かで、それでは奥山氏の給料も払えず、年間予算を前借されてこれに当て、極力利用者の勧誘をされ、「私はこの小舎の番頭兼客引きでした」と内輪話をされた。

 六十一年二月二十三日にはその前年行った「鹿島槍ヶ岳に逝った友を偲ぶ会」の余剰金の一部で鐘を用意し、彼らを偲ぶよすがとし、彼らの遭難を教訓として後世にそれを残そうとテラスの梁に吊るした。

 以来前述したように毎年二月、六月、十一月と年三回、毎年山桜会の貸切りの形でAACKメンバー、その他知人友人を含めて有志が集まり周辺の山を季節に応じて楽しんでいる。

 昭和十五年以来、五十年余りの光徳小舎の三代にわたる歴史の大綱を記したが、若き日の何日かをここで過ごし周辺を歩き回った思い出と、未だに奥日光界隈を歩き回っているお裳入れを込めれば込めるほど永年運営委員として学側との交渉窓口を務めた間の力不足を切実に感じつつ筆を置きます。 最後に、前半に関しては小島敏武氏の纏めた資料に依るところが大きいことを書き加えて深謝します。

(※)光徳小舎
 山岳部では設立時から「舎」という文字を使っている。 現在正式には「学習院光徳小屋」です。 このエッセイでは、執筆者(故人)の考えを踏まえて敢えて「舎」で統一いたします。

「光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑪」から

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