【短編ホラー】「探してください」 中篇Ⅱ
景子は、もう一睡も出来なかった。
「あれは夢じゃなかった!」
美由紀は景子に別れを告げに来たのだ。それと同時に最期の願いを伝えに来た。
『探して』
美由紀は、ハッキリとそう言っていた。でも、肝心な探す物は聞き取れなかった。
(探す?何を?何を探せばいいの?美由紀ちゃん!)
アパートの外では朝の訪れと夏の終わりを告げる油蟬が弱々しく鳴いていた。
店のドアには大きく「臨時休業」の紙が貼られていた。
景子が中へ入るとマスターが声を掛けたのだろう。昨夜のメンバーの半数程の人数が黒っぽい服装で座っていた。今日は平日の午後だ。大人相手の店の常連客の殆どが会社員だった。それでも、これだけの人数が集まったのは昨夜の出来事の衝撃の大きさを物語っていた。
焦燥しきった様子でうつむいて居るマスターを取り囲んだ皆は、誰も言葉を発しようとしなかった。
暫くの静寂の後、常連客の一人 智が口を開いた。
「景子ちゃん、びっくりしたね~」
「はい…」
「俺、会社休んじゃったよ…」
「いったい、あれから何があったんですか?」
景子は詳しい状況をマスターから聞いていなかった。いや、聞けなかった。
「うん、此処から国道に出て暫く走ると狭い市道と繋がる変則三叉路の交差点があるだろ?」
景子は、あぁ、あの交差点かと思った。
「美由紀の家へはあの細い市道を通って行くらしいんだ。美由紀達の車が市道に入った瞬間、前からセンターラインを越えた車が突っ込んで来てさ、柴田君がそれを避けようと右へ急ハンドルをきった瞬間、遠心力で美由紀の顔が窓の外へ…」
智もここまで話すのが限界だった。
「顔……」
「左側頭部がブロック弊にぶつかって即死だったらしい…」
うううううっ……
集まっている皆の口から嗚咽や咽び泣きの声が漏れた。
「美由紀ちゃんは?美由紀ちゃんは今、何処に居るんですか?」
景子が唐突に質問した。正確に言えば『美由紀ちゃんのご遺体は何処に安置されているのか?』と尋ねるべきなのかもしれない。
うつむいていたマスターが、やっと顔を上げた。
「明日にならないと家へ戻って来ないらしい」
「あぁ……」
景子は何かで聞いた事があった。
変死や事故死等は先ず警察にご遺体が運ばれて検証を終えた後に遺族の元へ帰されるらしい。
明日、美由紀が帰って来ると言う事は彼女の死に不自然なところが無かったのだろう。犯罪性が感じられれば司法解剖に回され、更に帰還が遅くなるはずだ。
「お通夜とお葬式はもちろん皆で参列させて頂くけど、明日、都合のつく人だけでお悔やみに伺おうと思って…」
マスターの背中をずっと擦っていたバイトの先輩 美咲が、今日集まってもらった主な理由を話した。
「あんまり大勢でお家へ押し掛けるのもアレだから、代表を決めようと思ってるの」
美由紀は母と妹の三人暮らしだと言っていた。母親の為に専門学校の学費の負担を少しでも軽くしようとバイトに明け暮れていたくらいだ。
美由紀の家が裕福な豪邸とは思えなかった。
「私、行きます!」
景子はなんの躊躇もせずに手を挙げた。
「ありがとう、景子ちゃん、貴女、美由紀ちゃんと仲良かったもんね」
先輩の美咲が、メモを取る。
「後はマスターと私と…」それから美咲は、斎場に出す生花や花輪等、細かな手配を一人でこなしてくれた。
ガタンッ
乱暴に椅子を引き、常連客の茂樹が立ち上がった。黒いスラックスのポケットから幾らかの札を掴むと
「マスター、悪いけど飲ませてもらうよ」
カウンターに無造作に置いた。
冷蔵庫から勝手に自分で赤ワインのボトルを取り出して来た。
「飲まなきゃ、やってられないよ」
茂樹は24歳、美由紀がこの店のバイトに入った時から、ずっと彼女を可愛いがって来た兄のような存在だった。
事故の説明をした智が、店の奥からワインオープナーと幾つかのグラスを持って来た。
「バカ!一人で飲むのかよ、哀しくてやりきれないのは皆一緒だぞ」
「献杯」
何十時間か前には同じこの場所で笑顔で「乾杯」していた。
「美由紀〜、美由紀〜」
マスターが握り締めるスマホの中の美由紀だけが笑っていた。
翌日の夕方、景子は智の運転でマスターと美咲と美由紀の家にお悔やみに向かっていた。
「おかしいな〜、この辺りのはずなんだけど…」
智はマスターから渡された美由紀の履歴書に記載された住所をカーナビに入れていた。住所の辺りをぐるぐる回っても、それらしき家が見当たらない。
助手席に座っていた景子が大声を上げた。
「あ!あれじゃない?!」
景子が指差す先に小さな一戸建ての借家が何棟も建っていた。
「えっ、あそこ?」
「あの全体が一つのこの住所なのよ」
美由紀の家は皆が想像していたよりも、更に小さかった。沢山の借家の中の一軒にトタン板の外壁に小さな「忌中」の紙が貼り付けてある家があった。
(彼処だ!間違いない)
智も「此処だね」と言うように頷いた。車を駐車するスペースもないので、借家脇の道路に智は車を停めた。
「行こう」
喪服に身を包んだマスターは、もう泣いてはいなかった。キリキリと唇を噛み締め、握り締めた両方の拳がワナワナと震えている。
「はい」
三人がマスターの後に続いた。
景子は智の喪服の袖を掴むとマスターに聞こえないように
「美由紀ちゃんに逢えるかしら?」
と囁いた。
「ん……どうだろうね……」
ガラガラ〜
借家の玄関の引戸をマスターが開けた。
「失礼します」
玄関の上がり端の直ぐ其処に、白い布団にしがみつく二つの背中が見えた。
「渡辺です。この度は本当に……」
マスターはそこまで言うと狭い玄関にいきなり膝を付き腰を曲げて土下座した。
「申し訳ありませんでした」
二つの背中の少し丸みを帯びた方が、ゆっくりと振り返った。
「美由紀がお世話になっていたお店のマスターですよね?」
(美由紀の母親だ!)
景子は直ぐに分かった。涙でグシャグシャになっていてもその人の顔立ちの中に美由紀の面影が、あった。
「顔を上げて下さい。マスターのせいじゃありません!」
「……」
「本当にマスターには可愛いがって頂いて、いつも嬉しそうにバイトの話しをしてたんですよ、この娘」
「……」
「どうぞ、立って……美由紀に会ってやって下さい」
気丈に振る舞う母親が素足のまま玄関に降りて、マスターの手を取った。
「すみません、すみません」
立ち上がって白い布団に向かう。
その時、
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
身体中を震わせ布団にしがみついていたもう一つの背中が、此方を向いて顔を上げた。
「どうぞ、皆さんもお上がり下さい」
「あっ!」
景子は息を飲んだ。
(美由紀ちゃん!)
其処には死んだはずの美由紀が居た。
(夕方から悪い夢を見てるの?私)
智と美咲もよほど驚いた顔をして立ち尽くしていたのだろう。
様子を察した美由紀の母が
「この子は美由紀の双子の妹の静羽です」
と紹介した。
(双子、双子だったんだ……)
冷静になってよく見れば、顔立ちはうり二つでも静羽はセミロングの黒い髪をしていた。
「私と違って地味で目立たないヤツなんだ〜、でも会ったら絶対びっくりするから!!景子ちゃんに今度紹介するね」
美由紀は景子に妹を紹介する前に亡くなってしまった。びっくりすると言っていたのは、この事だったんだ。
狭い四畳半の和室に美由紀は眠っていた。
先にマスターが美由紀の亡骸の傍らに正座した。両手を合わせ礼をする。
「痛かっただろう、ごめんな、ごめんな……」
暫くマスターは美由紀を見つめて撫でて居た。奥から男の人の嗚咽が聞こえた。
「柴田君のせいじゃないから!」
美由紀の母が泣き声の方へ向かって声を掛けた。
美由紀の顔をした妹も、うんうんと頷いている。
「誰も悪くない、誰も悪くない……」
美由紀の母は自分に言い聞かせるように何度も何度もそう言って美由紀の身体に突っ伏した。(約3122字)