桜の樹の下には、屍体が埋まっている。
金曜日の休憩時間。この時間帯は、一週間で最も幸福度の高い時間……のはずなのに、わたしの心はどこか晴れなかった。
どれもこれも、流行病のせいなのか。それとも、この時期は毎年こんな気持ちなんだったっけ。とにもかくにも、目の前のTO DOリストには、まだチェックのついていない項目が幾つもあった。
「はぁ……。金曜日なのに全然達成感がない」
そう呟くと、隣の席の上司がクスッと笑いながら
「ねぇ。なんて不思議なんだろうね。今そう思っているのはあなただけじゃないわよ。」
と言いながらお菓子をくれた。
わたしの職場では、誰かがこうやって行き詰まっていると各々隠し持っているお菓子を出してきては激励を込めて渡し合い、ちょっとしたお菓子休憩をする。
この日も彼女は、わたしの机にお煎餅をにポンと置いてコーヒーを一口啜った。そして、
「なんだかね。得体の知れない不吉さがあるよね。ご時世柄なのか、季節柄なのか分からないけれど。まぁ、これはあの黄色いものではないけれど、どうぞ。」と、笑いながら言った。もうこれは、お腹が捩れてきた。書類が山積みになった彼女のデスクを差しながら
「ここは、丸善でしたっけ?」
と答えると、彼女はいたずらな笑みを浮かべてこう言った。
「いいえ。桜の樹の下よ。」
んふふ。
わたしたちは目を見合わせて、ついには声を出して笑いはじめてしまった。
ご存知の方もいらっしゃるかな。これは「得体の知れない不吉な塊がわたしの心を始終圧えつけていた」から始まる梶井基次郎の『檸檬』と「桜の樹の下には屍体がうまつてゐる!」から始まる『桜の樹の下には』をもじった会話。
でも多分、『梶井基次郎」という人と、彼が『檸檬』と『桜の樹の下には』という作品の冒頭文を知らなければ発展しなかった会話。
わたしがこの作者と作品を知ったのは、今から10年近く前のこと。
学生時代。好きかもしれないな……なんて思っていた先輩が、卒業研究で『梶井基次郎研究』をしていた。気になる人の好きなものを知りたいと……と本屋さんでこっそり『檸檬』の文庫本を手にして、よく分からないながらページをめくった。
多分彼の研究テーマが宮沢賢治とか夏目漱石だったら出会わなかったであろうあの日々の記憶のカケラ。まさか、10年後のわたしをこんなにもすくってくれるだなんて。
目の前の仕事が終わらないことには変わりないけれど、こんな掛け合いを楽しみに、わたしは2022年の1月を生きています。
最近は本当に忙しさにかまけていて読書をする時間なんて全然確保できていないのだけれども、インプットの経験が心地よい娯楽につながることに気付いたので、ちまちまとまた今年もたくさんの言葉たちと出会っていきたいなぁ。